第8話 婚約(Side:サヴィーノ)

 キルレア王国の王立学院に留学したばかりのころ。

 割とすぐに、気づいてしまった。セラフィナが視線の先に誰を見ているのか。

 騎士団長の令息だというヘンリだ。

 彼は、僕の立場から見ても、いい奴だった。

 周囲への気遣いができ、バランスよく足りない役割を補う。地位に臆さず、きちんと自分の意見を語ることもできる。

 しかし残念ながら、騎士団長の息子という立場は、王女を配偶者に求めるには身分が足りない。騎士団長は、キルレアでも、ティントと同様に子爵相当の一代限りの爵位が与えられるだけだ。

 そして、彼の視線の先がいつも向いているのは、セラフィナではなくソニアだ。

 報われない恋、と彼女が表現した意味が分かった。

 セラフィナが、自らの恋の終着点をどうしようとしているのかわからなかった。彼女の希望を聞きたかったのだが、彼女はこのことに触れられるのを好まないようだった。ただ、ヘンリと彼女が話せる場を作ることで、彼女の恋の後押しをした。

 なるべく、ヘンリをソニアから引き離し、セラフィナの元へ向かわせるようにした。


 一方、ソニアは、驚くほど恋愛の気配を感じさせない人間だった。

 最初の出会いの瞬間、僕への敵意を隠そうともしなかったあの一瞬は、出会った頃のフランを思い出させられ心が揺さぶられたが、あれは僕の心が弱っていたからこそ起きたことだった。セラフィナの側で心の健康を取り戻していくにつれ、ソニアにフランの面影を見ることはなくなった。

 ヘンリとソニアを引き離すため、ソニアの側にいることが増えた。逆にソニアに、好意があると誤解されることを恐れたが、そんな心配は全くいらなかった。彼女はむしろ、そういった想いをセラフィナに対して頂いているように思える。彼女の僕に対しての認識はあくまでもセラフィナを巡るライバルだ。男女間の駆け引きを考えなくてよいソニアの側は、かなり気楽だった。


 セラフィナとヘンリを取り持つ行動をしながらも、セラフィナの「親友」として彼女と語りあう時間は何物にも代え難かった。

 だんだんと、セラフィナとヘンリを取り持つ行為に苦痛を覚え始めて来た。

 こんなにも健気に思う彼女の存在に気づかないヘンリに怒りすら覚える。

 しかし、同時に気づかないでほしいと願う自分もいるのだ。


 そして、狩猟祭のあの日。

 彼女から、優しい微笑みと共に、彼女の髪色を彷彿させる銀のリボンを受け取った時、胸の奥のもやもやした気持ちが消せなくて、セラフィナに彼女の想いを確認しようと思った。ヘンリに対し、どのような気持ちを抱いているのか、彼女自身の口から聞きたかった。

 僕が本気になる前に、はっきりとその想いを聞いて、諦めたかった。

 彼女に徐々に惹かれている自分に気づいて怖くなったのだ。

 また、誰かに恋をしている女性を好きになって、拒絶されるのが怖かった。

 フランの時のように。

 あの時失った恋は、僕をどん底まで突き落とし、痛みを伴って僕の心を締め付けた。

 僕は、まだ、恋に落ちたくなかったのだ。


 だが、セラフィナが僕をかばって怪我をした時、彼女を失うかもしれないという恐怖に怯え、もう二度と会えなくなるかもしれないという絶望に打ち震えた時、その時初めて自分の気持ちに気づいた。


 ――自分は、もうセラフィナに恋をしているのだと。


 彼女に怪我を負わせた責任と、彼女を失う恐怖に耐え切れなくて、婚約を申し込んだが、彼女がヘンリに恋をしているのだと知れただけだった。

 ただ、彼女の傷が残るものでないとわかったことだけは嬉しかった。女性の傷が、女性自身にどれだけ深い心の傷を負わせるか、知っていたから。


 もう、彼女が誰に恋をしていようとあきらめるつもりはなかった。

 焦らなくてもいい。留学が終わるまでに、ゆっくり彼女と距離を詰めて、彼女に想いを伝えよう。また、手紙のやり取りをして、今度は、こちらから国を通して、正式に婚約を申し込みたい。


 彼女と一緒の未来を思い描く。

 外交官として国外を回る僕と、隣で微笑むセラフィナ。様々な場所を訪れて、彼女が僕の傍らで画を描く。そんな未来を。


 それなのに。

 やっと君との未来を思い描けるようになったのに、なぜ君は僕から離れていこうとするんだ?

『殿下、セラフィナは、卒業したら修道院に行くつもりなんですよ。あの時の傷は一生残る物で、結婚するつもりはないそうです。殿下なら、引き留められるでしょう――僕には、無理だった』

『アウリス、君は……』

『やだなあ、殿下、気づいてなかったんですか? 僕はセラフィナの事が好きなんです。もちろん求婚しました。殿下が気づいてない隙を狙ったんですが、見事に断られました』

『教えてくれてありがとう、感謝する』

 アウリスは、小さく、託します、と呟いたようだった。

 僕は、踵を返して、セラフィナの所へ向かった。


 ――そして、あの日、僕たちの関係は変わった。


  ◇◇◇◇◇◇


 国王夫妻に、セラフィナが婚約を了承したことを告げ婚約を願い出ると、無言で了承をいただいた。何があったか知らない筈がない。僕たちの将来を思い、黙認していただけたのだ。内心は大層お怒りをいただいていると思うが、頑なに修道院行きを譲らなかった彼女の心を変えたことについてだけは認めて下さったという所だろう。

 あの日セラフィナは、あの部屋であったことを公にしないため、僕を守るため、とうとう声を出さなかった。

 けれど、最低限の人間には知られることとなる。彼女の侍女のアマリアには、射殺さんばかりの形相で睨まれた。

 王族の人間が、隣国の王女にあのような無体を強いて責任をとらなければ、国家間の火種に発展する。セラフィナが頷かなければ僕は窮地に立たされ、良好だったキルレアとティントの関係に不和が生じるだろう。僕の立場を守るために、セラフィナの情に訴える汚いやり方だった。

 頑なに婚約を拒否するセラフィナを頷かせるためにしたことだけれど、他に方法がなかったのかと、常に後悔が付きまとう。


 僕は、彼女に想い人をあきらめさせた。

『ごめんなさい』

 あの行為の中で、か弱く囁かれた彼女の声が耳から離れない。

 謝るのは、無体を強いた僕の方なのに、彼女をあんなにも恐怖に怯えさせて。

 俺の腕の中で、セラフィナは小さく震えていた。

『好きだよ、セラフィナ』

 でも、やめてやることはできなかった。

 逃がしてやることはできなかった。


 全てを伏せて、何事もなかったかのように、僕とセラフィナとの婚約は進んだ。留学期間は数か月延長することになった。


 あの、二人だけで過ごした濃密な時間の僕の後悔とは裏腹に、学院で会ったセラフィナは、驚くほど普通だった。それどころか、とても明るく、快活に、幸せそうに振舞う。


 親しい仲間たちに、内々に婚約をすることを告げると、彼女は、照れ気味に友人たちにこう告げる。

「あの、だからこれからは、お休みの日は、なるべくサヴィーノ殿下と二人きりで過ごしたいの」

 ソニアの憎々し気に僕を睨む顔と言ったらなかった。あのじゃじゃ馬は、あれでもセラフィナの前ではだいぶ猫を被っている。


 セラフィナは、言葉通りに学院の休みには、二人で過ごしたがった。

 他愛もない時間を一緒に過ごし、僕に用事がある時は、傍らで画を描いて過ごすことも多い。

 満面の笑みを浮かべて、時には、僕の腕に手をかけて体をすり寄せる。

 好きだ、とも告げる。

 僕も、好きだ、と返す。

 本当の想い人を諦めた彼女が、自分をだますように告げる言葉に、追いつめられた僕の心は、締め付けられる。


 あんなことをした僕が怖いだろう。

 僕の後悔を少しでも軽くするために、無理をして、そんな風に振舞わなくてもいいのに。

 なじって、憎んで、手ひどく傷つけて欲しい。

 それでも、僕は君を放せなかったんだから。

 なぜ、僕を恨まない?

 好きな相手と引き離されて、無理矢理体を奪われて、なぜ?


 可愛い、愛しい、哀れなセラフィナ。

 僕の我儘で世俗につなぎ留められた、逃げ出すことが叶わなかった、可哀そうな籠の小鳥。


 僕は、一体君に何をしてあげられるのだろう?

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