第7話 彼の覚悟

 第二学年も残すところ、あと二週間となった。

 サヴィーノ殿下も、この第二学年終了と同時に留学期間を終える。

 彼は、とても明るく、日々を楽しんで過ごしている。

 私たちは今日、彼の帰国を控えて、久しぶりに王宮で二人で会うことになっていた。


 私は、彼がソニアをどう思っているのか、聞いてみようと思っていた。

 彼が本気でソニアを求めているのであればできる限り力になるつもりでいる。

 その場合、ヘンリには、私と一緒に失恋してもらうしかないのだけれど。

 残念ながら、誰もの想いが叶う恋愛はない。


 私が私室で物思いにふけっていると、急に周りが騒がしくなった。

「困ります!」

 侍女のアマリアの声が廊下でするが、続く声はサヴィーノ殿下のものだ。約束の時間よりだいぶ早いし、私室のあるこんな奥宮まで来るなんて何かあったのかもしれない。

 私は、慌てて廊下に顔を出した。

「セラフィナ!」

 サヴィーノ殿下は、真っ青な顔で侍女と護衛に押し留められていた。

「アマリア、いいわ、お通しして。こちらで会うわ」

 私は、殿下を私室へと通し、そっと付き添いながらソファへと座らせた。

「どうなさったの、サヴィーノ殿下」

「大事な、話があるんだ。人払いして欲しい」

「分かったわ――アマリア、私が呼ぶまで入ってこないで」

 ティント王国で、何かあったのだろうか?

 侍女も下がらせ、落ち着かせるためのハーブティを手ずから入れると、私は、サヴィーノ殿下の向かいに座り、下を向いた彼の表情を伺って彼が話し始めるのを待った。


「……嘘、だったんだね」

 やがて、絞り出すように発された彼の言葉は、私が最も恐れていたものだった。

 私は、ぐっと息を飲む。あと二週間。せめてそれだけでもごまかせれば、まだよかったのに。

「卒業後、修道院へ行くと聞いた」

 ショックを受けたのだろう。俯いたまま告げる彼の声は、低く、絶望的なまでの苦悩をはらんでいた。

 もう、傷についての嘘は通じない。でも、最後まで守り通さなければならない嘘もある。私は、姿勢を正して彼と向き合う。

「私は、確かに傷を負ったわ。卒業後は、社会活動に力を入れている修道院に行こうと思っているの。でも、画もやめないし、あまり生活に変わりはないのよ。むしろ、そんな生き方は私にあっているかもしれない」

「結婚しよう、セラフィナ。君の傷は僕のせいでもある。……君は、僕があそこにいなかったら、飛び出さなかっただろう!?」

「我が国の国民によってつけられた傷よ。これは、キルレアの失態なの。あなたに――ティントに責任を負わせることはあり得ないわ。あなたのせいじゃないの! こんなことで責任を感じないで」


 それでは、あなたが幸せになれない。

 責任なんかで結婚しようとしないで。


 ――もう、これ以上、私を惨めにしないで。


「セラフィナ。君が心に別の人への想いを抱えているのも、だから結婚したくないと思っているのも知っている。でも、もう諦めないか? 僕は、君と一生会えなくなってしまうのが耐えられない」

 そう、修道院の規則……男性とは、もう会うことができなくなる。

 私は、サヴィーノ殿下の隣へ座って、その手を握った。

 こんな風に彼の手を取ることは、多分、もうないのだろう。

 精一杯平静を保ち、諭すように告げる。

「手紙なら書くわ。前と変わらないわ。私は、変わらずあなたの親友よ」

「それじゃ、嫌なんだ!  耐えられない!」


「何度も言うけれど、あなたが責任を感じる必要ないの。あなたとティントに責任を負わせることは、我が国と、私の誇りにかけてあり得ないわ。そして、ティントの国民も、貴方がありもしない責任に縛られて、瑕疵のある王女を娶ることを望まない」


「違うんだよ。そうじゃなくて。……じゃあ、君は、どうしたら頷いてくれるの? あいつを諦めてくれるの? 僕がこんなに求めても、だめなの?

 ――僕の側にいてよ、セラフィナ」


 その言葉は震えて切実な響きを帯びていて、私の心を震わせた。

 彼は、責任を感じ、私との友情をなくしたくないとの思いから、私に婚約を申し込んでいる。

 でも、彼が真実求めているのは、私ではないのだ。

 責任と友情では、恋には敵わない。

 私は、彼に後悔をさせたくない。


 ――違う。

 

 本当はそうじゃない。


 私が耐えられないだけだ。

 サヴィーノ殿下に、同じ想いを返してもらえないみじめさに耐えられないだけ。


 私は、いつだって、選ばれなかった。

 彼は、あの無邪気で快活な公爵令嬢を選んで、今度もまた、明るく天真爛漫なソニアを選んだ。

 私は、選ばれることのないみじめな自分に耐えられなくて、逃げ出したいだけだ。


 アウリスには、私が、彼に恋をしていないから、Yesと言えなかった。


 サヴィーノ殿下には――

 

 ――彼が、私に恋をしていないから、Yesと言えないのだ。


 私は、一瞬でぐしゃぐしゃになってしまった胸の内を彼に悟られたくなくて、下を向いた。


「セラフィナ」


 サヴィーノ殿下は、やがて、下を向いてしまった私の顔を両手ですくい揚げるように持ち上げた。

 乱れた金の前髪の隙間から除くサヴィーノ殿下の露草色の瞳は、いつもの春の草原の色でなく、冬の陰りを帯びた淀んだ草色をしていた。

 私のひどい表情をみて、サヴィーノ殿下も、表情を歪める。


「本当は、こんなこと、すべきじゃない。でも、僕にはもう、これしか思いつかない。ごめんね、セラフィナ」


 憂いに満ちたその瞳が、近づく。その色は、哀しみに溢れていた。私の瞳は、彼の瞳に絡めとられて、もう逸らすことができない。


 そして。


 唇に触れるあたたかいもの。


 私は、何が起きたのか一瞬分からなくて、初めてのそれに目を見開いた。


「僕のつけた傷なら、僕が責任をとってもいいよね。

 もう諦めて、セラフィナ。

 これが僕たちの正解で、あるべき姿だったんだ」


 彼は、そういうと、私を引き寄せて抱きしめた。

 何が起きているんだろう。

 呆然とする私を抱え込むように抱き上げると、彼は立ち上がった。

 肩に触れる手が、腰を支える手が、耳に届く吐息が、そのすべてが熱くて、私は何も考えられなかった。

 彼は、私をそのまま隣室のベッドに運ぶとそっと横たえた。


「僕はこれから、君に一生の傷をつける。君を本当の意味で疵物にする」


 それを聞いて初めて、私は彼が何をしようとしているのか悟り、我に返った。

 だめだ!

 それだけはだめだ!

 彼に、そこまでさせるだけの価値など、私にはないのに!


 私は、抵抗しようとして……でも、彼の表情を見て、動けなくなった。


 彼の瞳は涙で潤んで、その表情は自己嫌悪で歪んでいた。


 ――でも、決意と覚悟があった。


 彼は、こんなことを決して望んでいない。

 その彼が、ここまでする覚悟を見せた。

 そうまでして、私を繋ぎ止めたいと思ってくれていると、うぬぼれてもいい?


 昏い喜びが、胸を満たす。

 はじめて、自分が認められた。

 のだと、仄暗い満足感が、甘美な誘惑となって、私の頭を溶かしていく。


 ゆっくりと彼の瞳が降りて来た。


 この行為は、恋ゆえではない。


 みじめで、申し訳なくて、情けなくて。

 でも、私は、こんなにも嬉しい。

 私のために、恋をあきらめることを決めた、彼の覚悟がこんなにも愛しい。

  吐き気がするほどの、浅ましい、私の本性。


「ごめんなさい」

 翻弄される熱の中で、私は小さくつぶやく。

 ごめんなさい、それでも私は、こんなに幸せなの。

 私ばっかり幸せでごめんなさい。

 せめて、あなたを精一杯幸せにするから。


 これは、きっと儀式なのだ。

 決意と、覚悟と、全てを諦めるための。


 ――そして、私は彼の全てを受け入れ、前に進む覚悟を決めた。

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