第6話 逃げる事、向き合う事
サヴィーノ殿下の留学期間は、第二学年の終わりまでの予定だ。
今までと変わらない日々が続く。
私は、友人たちと一緒にサヴィーノ殿下を様々な場所へ連れ出した。
相変わらず、ソニアとサヴィーノ殿下の私の親友争いは続いているが、私は、今までよりも凪いだ気持ちで、微笑ましくそれを見守ることができた。
今日の親友争いは、サヴィーノ殿下に軍配があがったらしい。
サヴィーノ殿下と私は、二人で、彼の選んだ散策ルートを並んで歩く。
「ねえ、セラフィナ。この国で、僕は色々な文化に触れて思ったんだけど、文化交流の仕事っておもしろそうだなって。まずは、外交の仕事に携わって、それから文化交流にも手を広げてみたいと思うんだけど……」
殿下は、日に日に明るくなり、時に将来の夢を語る。落ち込んでいた時は、将来の話をされることなんてなかったのに。私は、彼をまぶしく見上げる。まるで巣立っていく小鳥を見るようだ。以前は、目元の泣き黒子が、憂いと色を含んで見えていたが、今は年相応の明るさと前向きさしか感じられない。
「……どう思う?」
「あ、ごめんなさい。ちょっと聞き漏らしてしまって」
「……外交の仕事って外国を回ることになるだろう? いろんな場所で画を描けるのって、セラフィナもいいと思わないか?」
「そうね。素敵ね。色々な景色や街を描くのは好きだもの」
話の前半がうまく聞き取れなかったが、彼が微笑んでくれたので、話の流れとしては間違っていなかったんだろう。
キャンバスと、絵の具の匂いを連想すると心が穏やかになる。
「君の穏やかな微笑みは、きっと、これから出会う人々皆の心を癒すんだろうね」
「そう言ってくれると嬉しい」
それは、私のこれからの人生にとって、得難い言葉だった。
思わぬ福音を授けられたかのように、サヴィーノ殿下の言葉は、私の心を温かくしてくれた。
◇◇◇◇◇◇
第二学年も終わりに近づいたころ、アウリスに呼び出された。
「セラフィナ、君さー、傷、本当は残るんだろう?」
様々な場所に顔の利く彼が、一番最初に真実にたどり着くだろうとは思っていた。
「……」
「君が連絡をとっている修道院、僕の家がかかわってるんだ」
私は、観念してふっと息をつくと精一杯明るく微笑んだ。
「そう、隠しても無駄ね。公には私の体に残る傷はないことになっているけれど、やはり傷は残ってしまうの。だから、結婚しないために、卒業したら修道院に入ろうと思っているの。ただ、修道院は、入った後も社会活動を続けたり、画を描いたり続けられるところがいいの。王家の役に立つつもりよ。あなたの領にある修道院、とても評判がいいのよ。アウリス、協力してくれるかしら? あなたが支援してくれるならば心強いわ」
アウリスは、わずかに顔を歪めた。
「セラフィナ、君さ、逃げ出すつもりなんだろう」
アウリスの言葉は、私の凪いだ心を容易に揺るがすものだった。それは、あの決意を固めた日、私が自分自身に許した、最大の汚点だったから。誰にも知られたくなかった汚い自分。
「情けない……わよね」
「違う、否定してるんじゃないんだ。僕は、逃げ出していいと思う」
思わぬ肯定に俯いた頭をあげると、アウリスは、真剣にこちらを見つめていた。
「戦える奴は、戦えばいい。でも、向いてないやつだっているはずなんだ。無理をしてでもしなければいけない事じゃないはずなんだ。だから、僕は、幸せになるために逃げるっていうのも選択肢の一つだと思うんだ」
いつもの彼に似つかわしくない、必死、という表現が似合う瞳でこちらを見る。
「穏やかに、過ごさないか? 逃げ出すんならさ、修道院じゃなくて僕の所でもいいんじゃないかな? 不自由はさせないよ。卒業したら、僕の所へこないか? ……僕と、婚約してほしい」
それは、彼からの求婚の申し出だった。
彼の言葉に胸がじんわりと温かくなった。
でも。
「ねえ、アウリス。疵物の娘を娶ることがどれだけその家の評判を落とすか、知らないあなたじゃないでしょう? いくら隠しても、いずればれるわ。大事な友人のあなたにそんな危険は侵してほしくないの」
「むしろ、友人だからだよ。セラフィナは、こういうときぐらい、友人を頼るべきだよ。君は、陛下にも、王太子殿下にも大事にされている。僕の家には、それだけでも十分にメリットがあるから、負担に思わなくてもいいんだけどな」
彼が私の事を必死に考えてくれる、その気持ちが嬉しかった。
「ありがとう。でも、私が負い目を感じてしまうの。私が対等の友人でいるためにも、負い目を感じさせないで」
「少しぐらい迷わない?」
「迷わないわ。アウリスは大事な友人だもの」
アウリスは、泣き笑いのような表情を浮かべた。
「このこと、他のみんなに、特にサヴィーノ殿下へは言わないでね」
「分かった。……気づいていると思うけど、ほんとは、君が好きなんだ、セラフィナ」
「ありがとう」
◇◇◇◇◇◇
「上出来」
セラフィナが去り、一人アウリスだけ残された談話室に入り込むと、トゥーラはそう声をかけた。
「うるさい!」
「胸を貸してあげようか」
「おまえ、どれだけ男前なんだよ」
だから嫌なんだ、とぶつぶつつぶやくアウリスは、頭がいいのに、自分の事が見えていない。自分はひねくれ者の嫌な奴だと勝手に思い込んでいる。
「サヴィーノ殿下には、言わないの?」
「言うに決まってるだろ!」
「あなた、いい男ね。だから好き」
トゥーラは嬉しくなってもう何度目かもしれない告白を、またしてしまった。
「っ! お前は、いつもいつも!」
そういうと、彼はトゥーラを置いて去って行ってしまった。
「そろそろほだされてくれるかな?」
くすりと笑ってそうつぶやく。
トゥーラのすることはいつも通り、見守ることと、想いをまっすぐに伝えること、それだけだ。
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