セラフィナの恋

第1話 王女の初恋と失恋と偽りの恋

 私、セラフィナ=ヒリヤ=ハースキヴィは、キルレア王国の第三王女。

 濡れ鼠のような黒か灰色かわからない色の髪を持つ、誉め言葉に「優しそう」以外の形容詞が見つからない、要するにあまり王家の威光を示すには似つかわしくない王女だ。瞳だけが唯一、ハースキヴィ王家の特徴である淡い薄紅色をしており、かろうじて王家の血脈を証明している。

 性格も、十人中五人はおとなしい、残りの五人は淑やかだと表現する、画を描くことだけが趣味の、要するに気の弱い、何の面白みもない姫だった。


 だから、社交的で見目麗しく、貴族令嬢の憧れの的であった隣国の第三王子サヴィーノ殿下に内々に婚約を打診して断られたことも、当然と言えば当然の帰結だった。

 私の初恋を敏感に感じ取った侍女のアマリアが、気を回して両親に伝え、娘を溺愛する両親がティント王国へと婚約の打診をしてくれたのだが、先方から即座に断られたらしい。当時の私はまだ自分の心を隠すのが今ほどうまくなかったのだ。

 そして娘を思いやる両親は、婚約を断られた事どころか婚約を打診した事実すら娘に黙っていたのだが、秘密とはえてして漏れるものだ。私はその事実を、当時もう文通相手として何度も手紙をやり取りしていたサヴィーノ殿下本人から聞くという堪えがたい状況に陥ったのである。

 サヴィーノ殿下は婚約を断った理由については、「君個人に不服があるのではなく、今、自分には片思い中の相手がいて他の相手が考えられないのだ」ということを丁寧に手紙にしたためてくれた。

 私は自分で告白をする前に失恋してしまったわけだが、「きちんと自分の言葉で伝えたかった」というサヴィーノ殿下自身からの誠意ある手紙に、ますます恋心を募らせてしまった。


 私は、彼とそのまま文通を続けたくて、嘘をつくことにした。

 婚約の件は、二人の文通を知った周囲が早合点してしまったのであり、私にも実は想い人がいるため、断られたことはむしろよかったのだということにした。

 そして、これからもお互いの想い人への相談を続けられないかと手紙に綴った。


 こうして私たちの関係は、「お互いに想い人がいて、お互いの恋を応援しあう親友」へと変化する。


 その関係は、今も続いている。


  ◇◇◇◇◇◇


 私が、サヴィーノ殿下に初めて会ったのは、五年前。

 ティント王国王家の御一行を、キルレア王国の誇る避暑地に迎えたことがきっかけだった。キルレアの避暑地には、各国に先駆けて建設された温泉付きの療養施設があり、当時ご病気を患っていたティント王国の王妃様が療養のため長期滞在されていた。その年の夏は、学園の夏休み期間中ということもあり、王家の第二王子殿下と第三王子殿下が王妃様のお見舞いに訪れていた。

 私と一つ上の兄は、同世代の王子と交流を深めるため、彼らと共にその夏を避暑地にある王家の離宮で過ごすことになった。


 当時十二歳だった私は、私以外は全員男の子というその集まりに行くのを渋ったが、ティント王家の第二王子殿下と第三王子殿下は落ち着いた評判のよい王子だと説得されて結局兄について行くことになった。本当の決め手は、同行する妹想いの兄が、男同士で遊ぶ間は、側で画を描けるようにしてくれると約束してくれたことだったのだけれど。

 今になって思うと、評判のよい隣国の王子二人と私との、将来の婚約を見据えての顔合わせだったことは想像に難くない。


 この避暑地にある離宮の裏手には、散策に適した明るい森林と草花の咲き誇る草原とが広がっていて、川幅のさほど広くない清流が森から草原へと流れ込んでいた。

 勉強時間を終えると、王子たちは、護衛を連れて森で乗馬を楽しんだり、川で水遊びをしたり、魚を釣ったりして過ごすのが日課になった。兄は約束を守ってくれ、私は、画の道具を持って彼らの側の木陰でキャンバスを広げ、離宮の素敵な景色を画に描く幸せな日々を送った。

 第二王子のフェルモ殿下は十三歳、第三王子のサヴィーノ殿下は十二歳のやんちゃな盛りで、「落ち着いた」という情報は明らかに誤報だったが、性格自体は穏やかで私に対しての言葉かけも優しく、私は徐々に彼らに好感を抱いていった。

 そんなある日、彼らが川遊びをし、私はその傍らで画を描くといういつもの時を過ごしていると、川から上がったサヴィーノ殿下が私の画をのぞき込んだ。

「セラフィナは、景色を書くのが好きなの?」

「はい。自然の中にある、独特の色彩を表現するのがとても楽しくて」

 私たちはこの休みの間には名前で呼び合う程度には親しくなっていた。

「これ、僕達?」

 彼が指さしたのは、画の左下の部分に小さく描かれた子供たちの姿だった。

「はい。将来、この画を見た時に、この夏の思い出だとすぐにわかるように」

「なんか、それってすごく素敵だね」

 サヴィーノ殿下は、そう言うと屈託のない笑顔で微笑んだ。私は、彼が私と同様にこの夏をかけがえのないものに感じてくれているということがとても嬉しくて、心の奥がふわっと温かくなるのを感じた。


 その時、突然突風が吹いて、ざっと木陰を揺らす。その風は、私の画のキャンバスを立てかけているイーゼルをも勢いよく押し倒し、そのまま描きかけの画をさらって川の水面へと押し流してしまった。

 私の描いた画は、そのまま水の流れに乗って下流へと流されていく。

 それを見たサヴィーノ殿下は、即座に下流へと走り出していた。

「殿下がた、大丈夫ですか!?」

 少し離れた場所から見守っていた護衛が走り寄ってくる。

「あ、あの。画が流れて行ってしまって、サヴィーノ殿下が下流へ……」

 護衛達は、慌てて殿下を追って下流へと走っていく。

 遠くで大きな水音がして、殿下が水へ飛び込む姿が見えた。

 殿下は水を掻き、手を伸ばし、水に浮くキャンバスに追いつく。

 しかし、その手は、キャンバスをつかめそうでつかめない。


 ――お願い、届いて。

 私は、心臓がばくばくし、喉に何かがつまったように、息ができなくなってしまって、思わず胸を押さえる。

 そして、私が必死に胸に手を当てて目を凝らす前で、サヴィーノ殿下は、再度キャンバスに手を伸ばし――、次の瞬間、水の底に消えてしまったのだ!

 私は、さっと血の気が引いて、がくがくと膝が震えて地面にへたり込んでしまった。

「殿下!!」

 護衛が慌てて水に入り、殿下の沈んだ場所へ近づく。


 その時、水面のキャンバスが勢いよく跳ね上がった。

 ――その下には、キャンバスをしっかりとつかんだ手と、勢いよく水中から飛び出したサヴィーノ殿下の姿があった。

 

 私の心臓は、安心と感動とがない交ぜになって早鐘のようにわめき散らし、胸からはこぼれ落ちる熱いものはいくら止めようとしても止めることができなかった。


 やがてキャンバスを抱えた殿下が、水をぽたぽた滴らせながら、へたり込んだ私に、そっとその画を渡してくれた。

「はい、セラフィナ。えっ!? なんで泣いてるの?」

 その時の私はお礼を言うこともできず、ただ胸の奥からこみ上げてくる熱い何かに翻弄されて涙を流すことしかできなかった。


 この日、私は、恋に落ちてしまった。

 甘く、つらい初恋が、この時始まったのだった。


 



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