第8話 残酷で可愛い、無邪気な君
私は、何でサヴィにキスされたんだろう?
サヴィは、シルヴィオと私のことをずっと応援してくれてた。
あの日は、サヴィに頼まれて、隣国のセラフィナ殿下へのプレゼントを選びにいくことになっていた。
『シルヴィオと二人の時間を作ってあげるよ』
なんて、サヴィもいつも通り、私とシルヴィオを応援してくれてた。
途中までは本当に、いつも通りだったのだ。
食事の後庭園に出て、ちょっとシルヴィオに離れてもらったので、いつものように王子に恋愛相談にのってもらおうと思っていた。
『ねえ、サヴィ、既成事実を作るって難しいのね』
『はは、前から思ってたけど、フランとシルヴィオじゃ無理じゃないかなあ?』
サヴィは、いつもの通り、からかってくる。
『そっそこまで無理ってわけでもないと思うのよ! ただ思うに……。ねえ、サヴィ。ちょっと聞きたかったんだけど、既成事実って、どこまでが既成事実なの?』
『どういうこと?』
『強制執行の申し立てって、どのレベルの既成事実だったら認められるの? それとも相手によるのかしら? 相手によるのなら、あのお堅いシルヴィオだったら、今の私たちのレベルでも、強制執行に応じるような気もするんだけど』
『だから、どういうこと? 君達、どこまでしてるの?』
私は、サヴィの様子がおかしいことに気づいていなかった。
『どっどどどどこまでって言っても。キスまでよ。た、ただ、ちょっと、その、人前ではできないレベルというか、ちょっと続けるとくらくらしてきちゃうレベルというか……、まあ、大人のキスよ! これ以上言わせないで』
その瞬間だった。いきなり腕を引き寄せられると、全身を強く抱きしめられる。
サヴィの顔が近い。
怒り、憎しみ、哀しみ? 彼はなんという表情をしているんだろう?
そして、私はそのまま口づけられていた。
シルヴィオとするような大人のキスだった。
呆然とする私をベンチに座らせると、サヴィは、私にささやきかける。
『これで、申し立て、できないね。それとも、その申し立て、僕にしてみる?』
王子にもらったプレゼントは、王子の瞳の色だった。
私は、自分の間違いに、そろそろ気づき始めていた。
◇◇◇◇◇◇
次の日、私は、部屋にこもって学園も休んでしまった。
頭の中がぐちゃぐちゃで、何も考えたくなかった。
部屋がノックされ、心配そうな顔をしたお母様が現れる。
「フランチェスカ」
「お母様。私は、間違ってたのかなあ?」
私は、ベッドで布団をかぶったまま、横に座ったお母様の腰にしがみついた。
ぽつり、ぽつりと、今までのことをお母様に話す。
はっきりとは言えないから、ぼかすしかないけれど。
「私とシルヴィオの婚約をよく思っていない人がいるのは知ってるの。……いろんな理由で。でも、一番仲の良かった人が、そう思ってたのかもしれなくって、ショックなの」
ずっと、サヴィは一番の理解者だと思ってた。
シルヴィオとのこと応援してくれてるんだと思ってた。
「何かを得ようとすると、何かを捨てなければならないことは、時としてあるわ。でも、フラン。私は、あなたの味方よ」
「私、シルヴィオが好きなの。でも、それって、そんなにたくさんのものを捨てなきゃいけないのかな?」
私は本当に馬鹿で、自分の想いの及ぼす影響をそこまで突き詰めて考えたことはなかった。
「もしそうなっても、お母様だけは、私の味方でいてくれる?」
「ええ、私は、あなたの味方よ……大丈夫。思うままになさいな」
「うん、うん」
私は、お母様の膝で、久しぶりにおもいっきり泣いたのだった。
◇◇◇◇◇◇
私は、学園に行ってから、何回かあった王子の呼び出しを無視した。
こんなの本当は許されることじゃないけど、自分の気持ちが整理できてなかったから。
サヴィと会って、何かを聞くのが怖かった。徹底的に壊れてしまいそうで、怖かった。
シルヴィオにも二人で会うなって言われたからって、それも免罪符にして逃げてた。
でも、とうとう王子に捕まってしまった。
サヴィは、私を空き教室に引き込むと後ろ手にドアを閉めた。
「ねえ、フラン。どうして逃げるの? 本当は、僕の言いたいこと、分かってるんでしょう?」
「聞き……たくない」
「もう、このままではいられないよ」
サヴィの声は静かだった。でも、私は、怖くて顔を見られない。
「ねえ、フラン。少し思い出話を聞いてよ。
10歳のあの時、僕は、思い出し笑いをしている君に興味を惹かれて、ちょっと話がしたかっただけなんだ。本当に君の大事な石を池に入れてしまうつもりなんてなかったんだ。なぜあんなにあの石が飛んだのかわからない。君には本当に申し訳ないことをしたと思った。そして、石を拾って君と笑いあうあいつをみて、自分が池に石をとりに入らなかったことをひどく後悔したよ。
それからは、僕と君は仲直りしたけれど、君はあいつと恋に落ちてしまった。
あいつのために、君がとてもきれいになっていくのも気に食わなかったよ。
ねえ、知ってた? フラン。僕の方が先だったんだ。
あいつより、僕の方が先に、君を好きになったんだ。
婚約の話が出た時、強引に君と婚約を結んでもよかったんだ。
でも、あの時、君はシルヴィオに夢中だった。
だから、僕は待つことにしたんだ。
シルヴィオと婚約させておいて、その間に、僕に心変わりしてくれるのを待ってたんだ。
あの時、無理やり婚約をしていたら、きっと、君とこんな関係にはなれなかっただろう。だから、ずっと、待ってたんだよ。君がシルヴィオに飽きて僕の方を振り向くのを。僕に気づいてくれるのを。
ねえ、フラン。僕は、君を好きだよ。ずっと好きだったんだよ」
「私、私……知らなかった」
「そうだよね。フラン。君は気づくはずなんかない。そんな残酷で可愛い、無邪気な君が、僕は大好きなんだから」
「ごめんなさい」
私は、シルヴィオが好き。シルヴィオだけが好きなの。
「そうだね、君は、僕の思惑に反して、とうとう心変わりしなかった」
「こんなことになるんなら、あの時、君の意思を無視してでも、僕と婚約させるんだった!!」
サヴィが声を荒げるのを初めて聞いた。
それは、悲鳴にも似ていて。
「大好きだよ、フラン。ねえ、僕を選んでよ。君が僕を選んでくれたら、僕はなんだってするよ。絶対に幸せにするよ。シルヴィオと、婚約破棄して。そうしたら、僕がどうとでもするから」
――懇願。
「ごめんなさい」
「ねえ、フラン。想像してみて。僕と結婚して、離宮に暮らして、僕が王宮から帰ると、君が出迎えて、子供たちがいて、休みの日は皆で外でお昼を食べて。皆が明るい顔で、君はいつも笑っていて……そんな未来が、想像できない?」
――憧憬。
「ごめんなさい、サヴィは、私の、親友だわ。大好きな、親友だわ」
私は、顔を上げた。
サヴィは、哀しくて、弱く、儚い、今にも泣き出しそうな顔で私を見た。
毅然としたいつもとは全く違う顔だった。
「わかった。困らせてごめんね。ねえ、最後に抱き締めさせて?」
サヴィは、私をそっと抱きしめる。
「決心がついたよ。――僕は、隣国に行くよ」
私は驚いて顔を上げた。
「最後に伝えられてよかった。――ほら、君の婚約者が、迎えに来た」
サヴィの口元は、声を出さず、さよなら、と動いたように見えた。
そこへ、シルヴィオが、駆け込んできた。
王子に何も言わず、私の手をとって、駆け出す。
私は、どうしていいのかわからなかった。
◇◇◇◇◇◇
シルヴィオは、人通りのない、学園の校舎裏まで私を連れてきて、そこで歩みを止めた。
「二人で会うなって言っただろう!?」
私の頭の脇の壁に彼の手の平がたたきつけられる。
彼は、心配してきてくれたのだろうか?
それとも嫉妬? だとしたら、嬉しいと、こんな時まで思ってしまう私は、本当にひどい女だ。
「フラン。俺もう無理。お前らを見てるの、もう限界なんだよ。……あいつに、告白されたんだろ? もう、潮時だ。どのみち、いつかは終わる婚約だったんだ。あいつの婚約までって約束だったけど、もう、無理。
――婚約を、破棄しよう。」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。
「やだ、絶対やだ! 私、シルヴィオのこと好きだって言った! 婚約破棄なんてしない!」
「あれは、同情だろう!? 犬とののしられた俺を憐れんで、お前が血迷っただけだろう!?」
「違う、違うの! ほんとに好きなの!」
シルヴィオは、首を振った。
「お前がもし、王子を断ったとしても、本当に俺の事好きだったとしても、俺たちだけは、どうにもなんねーんだよ! わかれよ! どうにもなんねーから、婚約破棄前提の格差婚約なんだろ!」
「もう、お前を見てるのつらいんだよ。俺が、耐えられない。破棄しよう」
「なんで、そんなに婚約破棄したがるの?」
私の好きな気持ちをどうしてそんなに否定するの?
耐えられないのは、なんで?
優しいシルヴィオが、限界だなんていう理由は、何?
最悪の事実に気が付いてしまった。
こんな時だけ頭が回る自分を呪いたい。
私は、シルヴィオの好きな人を知らない。
私は、シルヴィオに好きだと言われたこともない。
自分がシルヴィオの一番だと勝手に思い込んでた。
シルヴィオがつらいという、その理由。
それは、罪悪感だ。
「――好きな子、いるの?」
「……ああ」
私の中で、嫉妬が膨れ上がるのがわかった。
どうして。いつの間に。
顔の見えないその子への嫉妬で感情が溢れかえる。
言葉にするとどす黒いものを全て吐き出してしまいそうで、私は口をつぐんだ。
私は、決めた。
何が何でもシルヴィオを手に入れてやる。
――媚薬を、手に入れることにした。
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