第6話 初めての夜会

 私達は、その後もを重ねた。

 キスなら、短い逢瀬でも可能だったから。

 私からねだれば、彼はすぐに応えてくれた。


 私にも、だんだんわかってきた。

 この練習は、既成事実この先へと進むための準備なんだと。

 練習が進むにつれ、キスは、どんどん熱く、深くなる。

 シルヴィオは、時々、体の芯が熱くなって、立っていられなくなるほどのキスを返してくる。


 でも、シルヴィオは、こんなキスを返してくるのに、どうしてもその先へは進まなかった。 


 私は、夜会デビューまでに既成事実を作りたいという、当初の目的を断念せざるを得なかった。



  ◇◇◇◇◇◇

 


 今年は社交界デビューの年だ。

 17歳はまだ学生なので、社交界デビューは、たいてい学園が休みの夏に行われる。この国では、デビュタント・バルのようなデビューのためだけの舞踏会はなく、大人の参加する公式な夜会で紹介されればデビューしたことになる。

 ただし、爵位の高い家の子女は、王家に紹介される必要があるので、必然、参加する夜会は限られてくる。


 デビュー時のエスコートは、家族か婚約者が行うのが慣例だが、シルヴィオは王子の護衛があって、難しかった。私が参加するのは王家の夜会なので、王子は当然主催者の一人として出席するからだ。なので、私のエスコートは父が務める。


 でも、私は同じ会場にシルヴィオがいるので、デビューのドレスをシルヴィオに見てもらえるのが、嬉しくて仕方ない。デビュタントは、白を基調としたドレスを着るのが基本だが、私は、シルヴィオの瞳の色、浅葱色を所々にちりばめたドレスにしている。シルヴィオの黒髪も入れたかったが、デビューで黒は、とお母様にたしなめられたので、そっちはあきらめた。


 ホールへ入る順番待ちの列に父と一緒に並んでいると、サヴィーノ王子とシルヴィオがやってきた。

 サヴィの後ろに立つシルヴィオは、今日は近衛の礼装を着ている。

 初めて見た!

 近衛の礼装は、白地に金糸で刺繍が施され、凛とした雰囲気でとってもかっこいいのだ。

 シルヴィオに、なんて似合うんだろう!


「やあ、フラン。デビューおめでとう」

 サヴィったら、私のために開場前にシルヴィオを連れてきてくれたのかしら?

 あとでお礼を言わないと!

「ご機嫌麗しゅう。サヴィーノ殿下。ありがとうございます」

 私は、きちんとカーテシーをして、殿下をお迎えした。

 私は顔を上げるとシルヴィオに目線を送る。

 見て、このドレス! シルヴィオの色なのよ! 

 あとでシルヴィオと踊りたい。サヴィにちょっとだけシルヴィオを貸してもらうよう、お願いしよう。


「公爵、美しいご息女で鼻が高いね」

「光栄に存じます。殿下もご立派になられまして、臣として、喜びも一塩でございます」

「公爵、どうかな? フランと僕は親友だ。彼女のデビューのエスコートは僕がしたいんだが、いいだろうか?」

「は、いえ、それは……」

 王子は、何を言い出したんだろう?

 父も、あまりのことにびっくりしている。

「シルヴィオもいいよね?」

 シルヴィオだってびっくりしてるわよ。

「……はい」

「じゃあ、行こうか、フラン。僕がエスコートするよ」


 はあ??


 何がどうなっているのかわからないまま、私は、サヴィに連れられて舞踏会場へと、足を踏み入れた。デビュタントは先に入場する決まりだ。

 いや、待ってよ。これはなしでしょう! 普通は、エスコート役は、なの!

「ちょっと、サヴィ!」

「ほら、時間がないよフラン。行こう」

 私は、サヴィに強引に背中を押されて、会場入口へ向かう。

 ほら、入場の紹介をする方だって唖然としてる。よくわからないけど、普通王族は、こんな入場の仕方しないってことだけは確かだ。

「――ティント王国、第三王子、サヴィーノ=ティントレット殿下、アゴスティネッリ公爵家ご長女、フランチェスカ=アゴスティネッリ嬢ご来場――」


 サヴィに手を取られ、腰をささえられ、エスコートされる。

 あれ、エスコートってこんなだっけ? これ、触りすぎなんじゃないの!?

 でも、私だって、こんな風に舞踏会場に入場するのは初めての事でよくわからない。もう私は、大勢の人目にさらされて、ぎこちなく微笑むことしかできなかった。


 拍手に混じって、ざわめきや人の声が聞こえてくる。

「まあ、あのドレス、殿下の瞳の色なのね。やっぱりお相手は、公爵令嬢なのかしら?」

 もう、誤解されちゃうじゃない! 何考えてるのよ! これはシルヴィオの浅葱色なの! サヴィの露草色とは微妙に違うんだから!

「ああ、気が付かなかった。そっか、誤解されちゃうか。ごめんね、フラン。僕は親友の君のデビューに花を添えたかったんだよ」

 サヴィは、私の耳元に顔を近づけてこっそりと謝ってくる。

 先に謝れば、私が怒らないと思って! ずるい。

「もう、もっと早く気づいてよ!」

「お詫びに、あとで、シルヴィオと二人っきりにしてあげるよ。ダンスも踊ったら?」

「本当!?」

「本当。だから機嫌直して笑って」

「うん! だからサヴィ好きよ! でも、シルヴィオに失礼だと思うの。あとで謝るべきだと思うわ」

「そうだね、ちゃんと考えるよ」

「絶対よ」



 ファーストダンスは、仕方がなくそのままサヴィと踊り、次のダンスはお父様と踊った。

 さすが王子様。一緒に踊るのは初めてだったけど、とてもリードがうまくて踊りやすかった。踊っている間中、令嬢たちから歓声やため息が漏れ聞こえていた。私のデビューなのに、明らかに場を持っていかれてしまったわ。悔しい。

 でも、その後、サヴィは、約束通り私を控室に呼んでくれて、シルヴィオと二人きりにしてくれた。


「きれいだよ、フラン。デビューおめでとう」

「シルヴィオも、近衛の礼服、とても似合ってるわ! ドキドキしちゃうぐらい素敵よ」

「ね? このドレスの色。わかるでしょう?」

「ああ、とってもいいね」

「でしょう! 私、シルヴィオと踊りたいの! 行きましょう」


 シルヴィオは元気がないような気がする。

「お仕事、忙しいのかしら?」

「大丈夫だよ」

 シルヴィオは、私をエスコートして、会場へ連れてきてくれた。


「飲み物をとってくるよ」

「うん!」


 私は、少しテーブルの影になる場所で椅子に座ってシルヴィオを待っていた。

 シルヴィオは、飲み物を持って側まで戻ってくるとき、同年代の令息たちの集団に声をかけられる。

 

「アゴスティネッリの犬が」

「格差婚約のご褒美は、王子の側近かよ。うまくやったよな」

「しっぽ振るのがうまい奴は違うよ」

「まあ、ご令嬢は、そろそろ王子に持ってかれるんじゃないの?」


 何それ! 何それ! 何それ!


 シルヴィオは、彼らを冷たい目で見返し、何も言わずに彼らの脇を横切る。

 彼らは、それ以上は何も言わずに、去っていく。


 私は立ち上がる。

 許せない。一言言ってやらなければ気が済まない。


 しかし、シルヴィオに腕をつかんで止められた。

「いい、事実だ」

「そんなことない! シルヴィオは、すごく努力してる! 自分をちゃんと持って、ずっとがんばってて! 私、私、そんなシルヴィオが、だ、だ、大好きよ!」


 悔しくて、悔しくて、涙がぼろぼろ流れてくる。

 伝わっただろうか? 私の気持ちが、少しは、彼の傷を癒せないだろうか?

「だから、私、私……」

「ありがとう。大丈夫だ。時々あんだよ。ただのやっかみだ。フランが気にするようなことじゃねーよ」

 頭を撫でられる。


 いつものシルヴィオのように見える。


 でも、だとしたら、彼は、


 私が、シルヴィオを選んでしまったせいだ。

 私は、この格差婚約で彼に強いてしまった自分の罪に初めて向き合った。


 結局、私が泣き出してしまったせいで、シルヴィオとダンスを踊ることはできなかった。



  ◇◇◇◇◇◇

 


 帰りの馬車。

 お父様より一足先に、シルヴィオが、私を家まで送ってくれることになった。

 

 二人きりの馬車の中、私は彼にキスをせがむ。


 シルヴィオが、こんな悪意にさらされて傷ついていないはずはないのだ。

 でも、私は、シルヴィオを、この傷から解放してあげることはできない。私が、シルヴィオを、あきらめきれないから。

 だから、シルヴィオに与えられた傷を癒し、慰めることを考えるしかない。


 私は、この日、初めて彼に好きだと伝えたことに気が付いた。

 私の気持ちは、私自身は、彼への慰めにならないだろうか?

 ごめんね、シルヴィオ。

 私は、あなたをあきらめられない。


 私を全部あげるから、許して。

 

 私は、彼にありったけの気持ちを込めて、キスをした。

 彼のキスは、いつもより荒々しかった。


 ――でも、彼がどんな気持ちで私のキスに応えていたのか、私は知らなかった。

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