二日目
東京に来て二日目。今日は母さんが新潟に帰る日だ。
母さんは午後四時の新幹線で新潟へ帰っていった。母さんは電車の乗り換えが怪しかったし新幹線の乗り方もよくわからないみたいだったから、俺は東京駅までついていくことにした。
東京駅は人でごった返していて、さすが利用者数世界一の駅だと感心するほかなかった。新潟から新幹線に乗ってきたときもここで降りて山手線の電車に乗り換えたはずだが、あの時自分には周りを見渡す余裕がなかったのだろう。改めて見ると本当にすごい人の数だ。
「……あのさ、利用者数世界一位なのって東京駅だっけ」
「いや、確か新宿駅。この間テレビで言ってた」
考えているうちに合っているか不安になって母さんに聞いてみたけど、どうやら世界一は新宿駅らしい。東京駅だけでもこれだけの人で溢れかえっているというのに、新宿駅はそれ以上なのか。どれだけデカい駅なんだ、新宿駅は。
しかし東京駅も新宿駅に負けず劣らずデカい上に、俺と母さんには土地勘というものが全くなかったので、ほとんど迷子になりながら新幹線乗り場を探して歩き回る羽目になった。歩き回っている間、俺と母さんはいろいろなことを話した。本当にくだらない話題ばかりだったけど、これから顔を突き合わせて話すことも少なくなると思うとガラにもなくこみあげてくるものがあった。
駅構内の土産物屋でチーズケーキとチョコのクッキーみたいなやつを買って新幹線乗り場の改札前についたときにはもうすでに三時四十分を回っていた。
「じゃ、私もう行くから。向こうに着いたら連絡するからね」
「うん」
「体には気を付けて」
「うん」
「じゃあね」
母さんはそう言って俺の方を軽くたたくと、空っぽのキャリーバッグを引いてポケットから切符を取り出そうとして、何かを思い出したように足を止めた。
「あ、そうだ」
歩き出そうとした母さんが振り返った。
「昨日、牛丼奢ってくれてありがとう」
「……どうしたの、いきなり」
「だってあんたがお金払ってくれたの、初めてでしょ」
「そうだっけ」
「そうなの。じゃあ、今度こそ時間だから行くね」
母さんは改札の向こうに消えていった。俺は母さんの背中が見えなくなるまで改札の近くに立って見送った後、足早に帰りの電車のホームへと歩き出していた。
昨日の夜七時くらいのこと。俺と母さんはアパートの近くの牛丼チェーン店で夕飯を食べていた。メニュー選択がタッチパネル方式だったのは驚いたけど、店内の雰囲気は新潟のそれとなにひとつ変わらないように見えた。
「ねえ、これ注文しなくていいの?」
母さんは店内に飾られている、ロボットアニメとのコラボメニューのポスターを指さして言った。俺は中学の頃からそのアニメが好きだったから、一瞬注文しようか迷ってしまった。コラボメニューを注文すると、全十種類のクリアファイルのうちの一つがランダムで一緒についてくるようになっている。正直、それが欲しくないと言ったらうそになる。けれど、これからの一人暮らしでも同じような状況に出くわし、その結果自分の欲望に負けて無駄遣いしてしまうようなことが何度も起きたら、それは見過ごせない問題だ。だから俺は今回は我慢することにした。
「いや、俺は普通のにするよ。母さんは?」
「牛丼の並だけでいいや」
俺はタッチパネルを操作して、牛丼の並を二つと、サラダと豚汁一つずつを注文した。母さんは忙しい時や料理をする気が起きなかったりする時はよく牛丼の具を作っていたけど、こうやって店の牛丼を食べるのはずいぶん久しぶりのようだった。俺も新潟にいたころの行動圏に牛丼屋はあるにはあったけど、あまり食べる気にはなれなかったから、本当に久しぶりだ。疲れていてお腹がすいていたから、とても美味しく感じた。それと同時に、これからは節約生活なんだからこれが最後の贅沢かもしれないな、なんてことを考えたりもした。
会計をするときになって、母さんの財布に小銭と一万円札しか入っていないことが判明した。ここぞとばかりに俺は自分のスマホケースから交通系のICカードを取り出して支払いを済ませてしまった。高校の頃のバイトで稼いだ分の金がカードの限度額いっぱい(二万円)までチャージされていたし、これからのことを考えてカードの支払いにも慣れておく必要があったから、自分にとってはなんてことない行動のはずだったけど、それが母さんには意外に見えたらしい。
「お金持ちじゃん。それバイトのお金?」
「あー……うん。無駄遣いしないように常に二万円はこっちに入れてるだけ」
俺はバイトで稼いだ金の三分の一を家に納めていた。それとは別に、今まで親のために自腹を切ったことはあっただろうか。多分、無かったと思う。
初任給は何に使ったんだっけ。新潟駅の大きい本屋で前から気になっていた新刊を買いあさったんだったか。よく覚えてないけど、少なくとも初任給で両親にプレゼントみたいなことはしなかったはずだ。
子から親への始めてのプレゼントが、どこにでもあるようなチェーン店の安い牛丼か。しかも父さんには何もプレゼントできてないし。
もっと親孝行しておくんだったな。
今更のように思っても、もうどうすることもできない。
母さんを東京駅まで見送りに行って、俺はアパートまで戻ってきていた。アパートにはテレビがないし、昨日までいた母さんもいない。新潟の家にいたときは、いつもテレビがついていたし、弟も母さんもいた。父さんも、仕事が忙しくない日はゆっくり話すことが出来た。いつも何かしらの音であふれていた。でも、ここは違う。
俺は寂しくなってスマホのミュージックアプリを開いた。高校の頃によく聴いていたジャズの曲をBGMに、帰り道で買っておいたパスタとミートソースの袋を一緒の鍋に放り込んで茹でた。普段はパスタとミートソースの袋を一緒に茹でたりはしないけど、その時の俺は、なんだかそんな気分だった。
パスタを食べ終わって、俺は本を読んだ。昨日、寝る前に読もうと思っていた本だ。あまり面白くなかったが、今は何かに没頭していたかった。その本を読んで、さらにもう二、三冊読んだら、時刻は既に深夜二時をまわっていた。
俺は大人しくベッドに潜り、電気を消した。
寝るときはいつも一人だ。だからか、先ほどまで感じていた寂しさは、だいぶ薄れていた。
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