第一世界 邂逅
愉悦に口が歪む。これから起きる絶望に。そして、あの男の選択に。
悲鳴が上がる。克服されたはずの恐怖がその場を支配していた。建物は倒壊し、人々は血塗れで逃げ惑う、悪夢のような光景。喉がつぶれるような雄叫びを上げ、ソレに挑むがまるで歯が立たない。たった数秒で大地を舐めさせられた。次元が違う。どう足掻いても乗り越えられない壁がそこにいた。なぜだろう。何も間違えていなかったはずなのに。ようやく、正解に辿り着いたはずなのに。すべてが消えていく。慎重に、丁寧に、何度も試行錯誤を繰り返して築き上げたものが壊れるのに必要な時間は、一瞬だった。
「何も間違えていない?それはないだろう。貴様の所業は何もかも間違いだらけだ。なぁ、■■■■。貴様は存在そのものが害だ。世界にとって癌そのものだ」
悔しさに歯を噛み締めながら、ソレを見上げる。その顔を記憶に、魂に刻み、いつか必ず殺すと誓うように、悪魔の王を睨みつけた。
ソレは嗤っていた。嘲笑うように。貶すように。馬鹿にするように。愚弄するように。ほくそ笑み、耐えられず、耐える気もなく、ゲラゲラと、見下し、ソレは、嗤っていた。いつまでも、いつまでも。
熱気が顔を撫で、炎が全身を転げまわる。男は炎の中心で、一人、叫んだ。
「ここは——」
見渡せば、男がいたのは炎に包まれた世界。それもただの炎ではなかった。その火は透き通るように白く、幻想郷を照らすためにあるような、まるで聖火のような光り輝く炎が、地獄を作っていた。辺り一面は白い炎に包まれ、その向こうに見えるのは荒廃した街だったナニカ。見るも無残な瓦礫の山に、その輝かんばかりの白い炎は君臨していた。
「何が、起きて——」
起き上がろうとした男は体がよろめき、膝をついた。よく見れば、いや見えなかった。片目、先ほど激痛の走った右目が全く見えなくなっていた。急いで右目のあるはずの場所をまさぐり、その感触に安堵する。どうやら本当に爆発したわけではないらしい。そこに傷跡のようなものはなく、ただ瞼は開かなくなっていた。男は自身を死人だと仮定していたが、先刻の件のように無茶をすれば、何かしらの影響が起きると理解する。もし、死に直結するような負傷をしたら、自身の内に広がる疑問に答えは見つからない。数秒の思考の末に得られた一つの解は、この身が生きているにしろ、死んでいるにしろ必要なもの、この状況下での安全の確保だった。
しばらく探索をすると、近くに小高い丘が見えた。男は、周囲の今にも崩れそうな建物と白い炎からの避難と、この災害の全貌を把握するために丘へ向かう。
丘の草木は既に燃え尽きたのか土砂が露出していた。何の障害物もなく丘の頂上まで登り、振り返ると、そこには地獄が広がっていた。地獄しかなかった。前後左右、全方位の視認できる、地平線の果てまで光り輝く、不謹慎だがどこか美しいとすら思えてしまうこの光景は、この世界はとっくに終わっていることを告げていた。
一体どれだけこの地獄を見ていたのか、もう見るのが嫌になったか前を向く気になったのか、原因を探さなければならないと思い立ち男は周りを見渡す。すると視界の端、やや下に白い光が見えた。案の定白い火がそこで燻っていた。丘の下では危険だったがここでなら、安全に調査ができると思い、男はその白い火に手を伸ばし——
「止めといた方が良いですよ」
声をかけられた。
予想だにしていなかった状況に、思わず忠告通り手が止まる。まさか——
「まさか、火に話かかけられるとは」
ジッと足元の今にも消えそうな日を睨む。
「んなわけないでしょ。顔上げろ」
チラッと視線を上げればそこに誰かがいた。ノリが悪いらしい。
そこにいたのは白い髪を肩まで伸ばした男性だった。一体どこにいたのか、彼の真っ黒な服装はこの世界ではよく目立つと思われるが、つい先ほどまで影も形もなかった。
「はじめまして、名乗りたいところですが、あいにく記憶が欠落していましてね。君の名前を知りたいのだが、良いかな?」
もし彼がこの大災害の黒幕だったとしたら、男には抵抗する手段がない。そのため、なるべく刺激しないよう丁寧目に話しかけるが、そのように問われた彼は目を見開き、驚いたような、ショックを受けたような、そんな表情を見せた。彼はしばらく顔を伏せて考え込んだ後、苦笑いしながら口を開く。
「あなたも、ですか」
思わず天を仰いだ。
「それで、気が付いたらこの世界にいて、色々見て回っていたと」
どうやら彼もさっきこの世界に現れたばかりらしい。男が似た境遇になかったら絶対に信じなかっただろう。今も信用しきってはいないが。
「えぇ、まさか生きている人がいるとは思っていませんでした」
驚くだろう。誰も生きていないと思われる地に人がいたら。その人が大災害の原因である白い火に手を突っ込むというなかなかできない自殺をしようとしていたら。そんなに危ないものなら、もう少し止め方に必死さがあってもいいのでは、本当に止めようとしていたのかと邪推してしまう。
彼の話によると、この白い火は生物の魂を燃やすらしい。にわかには信じがたい話だが、ありえない現象は既に目にしているし、今も起きている。なぜそんなことが分かるのかと聞けば、彼はにやりと笑みを見せ、言った。
「私は魔法使いですから」
何も覚えていない男にも魔法が空想の産物だということくらいは分かる。しかし、度重なる不可思議な現象が、彼の言葉を否定することを妨害した。本当にあるのだろうか、そんなものがないと思い込んでいるのは自分だけで、魔法は当たり前の存在なのか。何も分からない。男の記憶はこの地獄を作った炎と同じくらい驚きの白さで支配されていた。
「魔法使いなら、この世界をどうにかできないのですか」
とりあえず、聞いておくことは聞くことにする。貴重な情報源だ。胡散臭いが他に聞ける人はいなかった。その問いに、彼は一瞬動揺を見せ、すぐに笑う。
「残念ながら、記憶が一部欠落していまして。肝心の魔術発動のための呪文が分からないのですよ」
今の一瞬の違和感はなんだったのか。しかし、その後見せた彼の表情は、どこか壊れてしまいそうなほど悲しげだったために、どう切り出せばよいものか分からず時間をいたずらに浪費してしまった。
「そういえば、この災害の発生源と思われる爆発痕があったのですよ。見に行きます?」
沈黙を唐突に破り、彼は驚きの情報をもたらした。当然行くに決まっている。しかし、魂を焼くというこの白い炎をどう搔い潜ればいいか思案していると、彼は大雑把に腕を横にひと薙ぎすると、眼下にあった街の残骸の一部が見えない壁に押しのけられたように吹き飛ばされた。
「これで進めますね」
ニッコリと男に笑いかける彼に対して、男は今起きた現象の理解に追いつけないでいた。
「え?魔法使えるのですか?記憶がないというのは噓ですか?あなたは安全ですか?」
何を聞けばいいのか分からず、生じた疑問を矢継ぎ早に浴びせるが、彼は微笑みながら丘を下り、肩越しに話し始めた。
「こんなものは魔法ではありませんし、魔術ですらありません。そうですね、魔力をただぶつけただけなのですが、例えば歌詞を忘れて歌を歌えなくても大声で叫ぶことくらいできるでしょ。歌が魔術で歌詞が呪文、ただ大声で叫ぶ行為が今の現象です。理解できました?」
分かるわけない。そんな例えで納得できないし、そもそも知りたいのは、魔術かどうかではなく、いや、聞いたところで分からないだろう。このフシギパワーについて男は考えることをやめた。
彼はそんな調子で腕をブンブン振り回し、先を塞ぐ瓦礫を吹き飛ばし、降りかかる火の粉を吹き飛ばし、進んでいく。男はこの現象に諦めて慣れてくると、更に彼と話をした。男の身に起きたこと、今までの経緯、気が付くと異なる世界にいること、右目が見えないこと、自分はきっと既に死んでいて罪人なのだろうという推測など。それを聞いた彼がどのような表情をしていたのか分からない。単純に前を歩いていたからなのだが、すべて聞くまで後ろを振り返らなかったからだ。
この世界で彼と出会うまでのことを聞き終えると、彼はひときわ大きく瓦礫を吹き飛ばし、男に振り返る。その表情は固い無表情だった。頑張って作った無表情、記憶のない男にもそれくらい察することができた。
「右目、診せてください」
それだけ言うと彼は、許可もなく男の顔を覗き込み、ギョッと顔をしかめた。
「なんですか、これ。封印されてますよ。それもかなり強力なやつ。何したんですか」
どうやら、かなりやばい代物らしい。しかし、心当たりといえばアレしかなく。
「見えないものを見ようとした。頑張って覗き込んだらこれだよ」
あんなの気になるに決まっている。今思えば、不用心でしかないが、あの時は好奇心を強く刺激された気がする。一種の罠だったのか。
「えー……申し訳ございません。あなたの身に起きたことは、全く分からないですね。お力になれず、本当に申し訳ない」
なぜかすごく謝られた。治してほしいと頼んでいないし、彼自身治せるなんて言ってないから気にしなくていいのだが、それより早急にどうにかすべき案件がある。
「互いに名前がないってやっぱ不便だ」
唐突に男はそう呟いた。
「そうは言っても覚えてないのですから仕方ないでしょう」
彼はあきらめムードだが、男は既に答えを考えていた。
「だったら、新しく決めればいいじゃないですか」
自信満々に語る男に彼は少し興味を見せたらしく、歩みを止めて男と向き合う。
「自分の名前を新しく決めるのですか。面白いですね」
違う。それも面白いが、もっと面白いものがあった。それこそ男がさっきからずっと、彼の話をそっちのけに、考えていたこと。
「互いに相手の名前を考えよう。その方が面白い」
その提案に、変な名前を付けられる想像でもしたのか眉を顰め、少し不審そうに男を見つめる。
「変な名前、付けないでくださいね。こちらも考えておきます」
本当にそんな想像をしていたらしい。なぜこんなにも信用されていないのか不思議で仕方ない。なにもしていないのに。名前は何にしてやろうか。
その後は目的地に到着するまで、無言だった。彼はまじめに考えてくれているようで、先ほどから聞こえる音といえば、炎が燃える音と瓦礫が崩れる音、それらを吹き飛ばす彼の力だけだった。結構うるさかった。
「着きましたよ」
短く彼はそう告げる。眼前に広がる光景に男も驚愕を隠し切れないでいた。そこにあったのは爆発痕なんて表現の仕方は過小評価すぎた。それはまさにクレーター。隕石でも降ってきたのか、そう思ってしまうほど、そこで何かがあった痕跡は巨大だった。結局、彼の特徴にあった名前は一つだけだった。
「ありがとう、ソロ。ここで何かがあったのは間違いなさそうだ」
そう言われると、彼は首を傾げる。
「ソロ、というのはあなたが私に付けてくれた名前ですか?」
「なんとなく、それが君にピッタリだって思ったんだよ」
そう言うと、ソロは嬉しそうな、悲しそうな、形容しがたい複雑怪奇な表情をしていた。
「ありがとうございます。私もそろそろあなたの名前を決めなければ」
「ほら、ソロって
「変な名前つけないでくれって言いましたよね。まあ良いですよ、ホープってそういう奴だって何となくわかってきたよ」
先ほどの仕返しのように、自然と名前を呼ばれた。ソロがニヤリと笑う。なるほど。
「ほう、ホープ。それが僕の名前か。ありがとう、ソロ」
大層な名前だ。『希望』なんて意味があるらしい。罪人には似つかない気がするが、せっかくの贈り物だから、そう名乗ることにした。
時間が来た。唐突にホープの体が薄まっていく。ソロの方を見ると、彼はそうではないようだ。
「お別れですか?」
ソロはホープをまっすぐ見つめ静かに聞いた。
「残念ながら、そのようですね。抵抗の仕方もわかりません」
だから、手を差し出す。最後にせめて。
「握手、ですか。いいですね」
ソロは悲しそうに微笑みながら、その手をとる。手が重なった瞬間、ソロの体は握手した手から徐々に薄まっていった。
「おや、触れていれば一緒に行けるということなのかな」
「どうやらそのようですね。では、この先の旅に同行させていただきましょう。よろしいですか、ホープ」
ホープは当然と頷く。独りぼっちの旅に同行者ができたことに、ホープは内心とても喜んだ。ソロは不思議な男だ。きっと何か知っているのだろう。それを黙っていることが気がかりだったが、それはそれとして、悪い奴ではなさそうだった。もう少しソロのことを知りたい。そのためにも、できれば次の世界はもう少しマシであってほしいと願い、新しい同行者と新たな発見を連れてホープは瞼を閉じた。
「逃げよったか。まあ良い、我々はいずれ再び相まみえることになるだろう。その日が今から楽しみだよ」
地獄の底でソレは嗤う。
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