第十二話 待ち焦がれた再会

 マユの列は相変わらず混んでいる。

 だが自宅の鍵ばかりは本人に渡さなければ、万が一があったら大変だ。

 ようやく順番が回ったと思ったら、店内が騒がしい。

 構わず鍵を渡すと、後ろから声をかけられた。


「聖剣機士ジェランは君かな?」

「そういうあんたは?」

「帝国機士団遊撃隊で中隊長を任されている、ギーヴ=サマライ中佐だ」

「正規軍だって!? なんでそんな人が傭兵の俺なんか」


 帝国機士団は、皇帝を総大将に据えた文字通りの皇帝直属正規軍だ。入隊を許されるのは貴族のみである。

 ヴァンプレスも厚めのものが採用されており、全員マントを羽織る。それを留める金属プレートが階級章と所属を表している。

 さわやか系のイケメンは、歯を見せて愛嬌をふるまった。


「君を正式に我が隊へ迎え入れようと思ってね」

「お待ち下さい、ギーヴ様」


 マユが受付から出てきて、鎧に身を包んだギーヴを制してくれた。

 それから何やら書類を見せられたギーヴは、ため息を付いた。


「考えることはどこも同じか」


 ギーヴがそう漏らすと、マユがこちらに振り返って先程の書類を見せてくれた。

 そこに書かれているのは、すべて聖剣機士を傘下にしたいというスカウトのクエストばかりだった。

 マユが申し訳なさそうに言った。


「実は今朝からずっとこの依頼ばかり来ていまして。どこからか、ジェランさんがここにいることが広まってしまったようです」

「あの野郎か」


 ジェランの頭にまっさきに浮かんだのは、リュークの勝ち誇った顔だった。腹立たしくなってその顔を五、六回ほど蹴り飛ばした。

 マユも同じことを思っていたようで、哀願するように両手を組んで言った。


「申し訳ございません、わたしなんかがあんなことを頼まなければ」

「それは違いますよ。何も言われなくても、俺はああしてましたから。マユさんは悪くありません」


 ギーヴが手を上げて提案を持ちかけてきた。


「こうしてはどうだろう。こういうものは、本人の意思が最も尊重されるべきものだ。だから希望者を集めて、ジェランくんに決めてもらうというのは」

「それは、命令ですか?」

「君は我軍に所属していないだろう。その権限は僕にはないよ」


 マユもそれに賛同している様子だった。

 しかし、ジェランはそれはなんとしてでも避けたかった。

 なぜならアルスが殺される最悪なイベントが起きる、もう一つの可能性だからだ。

 ゲームと若干異なるふたつのイベントは、もともと聖剣機士誕生を祝う祝賀会だった。それはジェランが正規軍だからこそのもので、傭兵あがりがそんなことをされるわけがない。

 なぜアルス処刑フラグだけが、こんなにも乱立してしまうのか。

 ジェランは己の生まれを後悔していた。

 自分が貴族に転生していれば、せめてゲームと同じく正規軍の一人であれば、アルスの傍にいてあげることができたのに。

 もがけばもがくほど、フラグが立つなんてそんな事あってたまるか。

 運命なんて覆すためにあるものだ!

 ジェランはギーヴたちに向かって、思いを訴えた。


「俺は生涯かけて剣を捧げたいと、心に決めた人がいるんです」

「それは誰かな」

「アルス=ロメリアお嬢様です!」

「こんなときに何の冗談だい」

「ふざけていません!」


 ジェランの真剣な顔に、ギーヴは優しく諭してきた。


「いいかい? 女性に剣を捧げた機士なんて歴史上一人も存在していないんだ。それにロメリア家は貴族の中でも下層の階級で、存続が危ぶまれていると聞いている。男子に恵まれなかったようだからね。そんな未来のない貴族の娘に、剣を捧げると他でも言ってみなさい。気が触れたと思われても仕方がないよ」

「でも、俺は本気で」

「ジェランくん。それ以上言うと、アルス嬢の立場が危うくなるよ。君をたぶらかしたとして、聖神教会が投獄しかねない。聖剣の事案については、我々軍では何も出来ないんだ」

「そんな……」

「ここだけの話だが」ギーヴは耳打ちした「彼らのやり方は、我でも目を背けてしまうような仕打ちを裏でやっているらしい」


 それを聴いたジェランは、拳を握りしめたままうつむくしかなかった。

 余計なことをしたばかりに、また処刑フラグが立ってしまった。

 そして聖剣機士のドラフトイベントが、執り行われることになってしまった。

 しかも、聖剣の参拝日よりも早い日取りでだ。

 ジェランはこの後、マユからの昼食の誘いを断って、アルスに連絡をとった。

 しかし、通信拒否という虚しいログだけが映し出された。

 アルスに「けっして裏切りませんよね」と聞きたかった。

 たとえ話を聞いてくれたとしても、何から話せばいいのかが分からない。

 悲嘆に暮れながら、家に帰るとミフィリアが出迎えてくれた。

 

「おかえり。仕事見つけてきたわよ。て、なに、今にも世界が終わるような顔しているわよ」

「ミフィリア、君だけでも聴いてくれないか。俺の話を」


 ジェランは自分が異世界転生者であることと、これからアルスが裏切ってしまうことと、その処刑を自らの手で行うかもしれないことをすべて話した。

 ミフィリアは始めは作り話だとしか思っていないようだったが、質問も全て的確に返すし、臨場感がそれの域を超えていることを感じてくれた。

 そして、椅子の背もたれに身を預けながら言った。


「信じるしかないようね。あなたが記憶喪失なのも全部合点がいくもの。……昔のジェランはもういないのね」

「そのあの、完全に記憶がないわけじゃないんだ。こうして話せているし、文字も読める。君との幼い頃の思い出も少しだけなら残っているみたいなんだ」

「言ってみなさいよ」

「りんごの木を登ろうとして、俺が落ちて骨を折っただろ。それがきっかけで衛生機士になるって、言ったんだよな」

「そうよ。他には覚えないの?」

「ごめん、これしか記憶になくて」


 身を乗り出すミフィリアに、申し訳なさそうに答えた。

 残念そうに顔を伏せる彼女を、ジェランが肩を置いて慰めようとしたが、手をはらわれてしまった。


「しばらく……、一人にして。あたまぐちゃぐちゃで、気持ちの整理がつかないの」

「わかった。落ち着いたらヴァンプレットで連絡してくれ。俺出かけてくるよ」


 陽はまだ高かった。

 気晴らしにと肉の串刺しを買って、スパイスを堪能しているところに、連絡が入った。

 もう気持ちの整理が付いたのかと、聖剣に触るとマユからだった。


『お時間ありますか。わたしはもうお仕事あがりで、明日休日なんです』

「そうだな、マユにも聴いてほしいことがあるんだ。会おう」


 見晴らしのいい帝国の展望台に登った二人は、景色を眺めた。

 それからジェランの話をすべて聞き終わったマユは、いつもの朗らかな顔を崩さなかった。


「わたしも信じますよ。それに、わたしが好きな人は今のジェランさんですから」

「マユさん、ありがとう」

「魔女のわたしを男のあなたが受け入れてくれたことだって、嬉しくて今も胸がいっぱいなんです。勇気を出して本当に良かったって」

「会ったばかりなのにそこまで思ってくれるなんて」

「いつも私の列に並ばないジェランさんが、いつの間にか気になってしまってて。それがきっかけですかね」

「そうだったんですか」

「それから、これは提案ですけど。敬語で話すはやめにしませんか。もう恋人同士なんですから」

「そうですね……、いや、そうだね」

「わたし、今夜は家にいるの。良かったからこのまま泊まっていいのよ」

「ミフィリアのこともあるし、約束はできないけれど、連絡は必ずするよ」

「じゃあ、万が一ダメだったときのためにも、キスしてくれる?」

「マユ」

「ジェラン」


 ジェランはマユの肩を抱き寄せると、舌を絡め合う濃密なキスを夕刻を告げる鐘がなるまで続けた。

 ミフィリアから連絡が来たのは、その余韻がまだ残っていたときのことだった。

 家に変えると、ミフィリアが抱きついてきた。

 涙を流し、顔がグシャグシャになっている。


「ごめんね、ジェラン。わたしやっぱりあなたが好きなの! もう正妻なんてこだわらないから、お願い、見捨てないで」

「どうしたんだ。見限られるのは、俺の方だと思っていたのに」

「違うの、違うの。ごめんなさい」


 謝ってばかりのミフィリアにできることは、唇をかわすことくらいだった。

 ミフィリアから舌を絡めてきて、押し倒されてしまった。


「今までの中で一番激しくして、わたしをお仕置きして!」


 ジェランは、望み通りに犬のような格好を命令した。

 向けられたお尻を力いっぱい叩いた。

 ミフィリアは何度も「ごめんなさい」を繰り返す。

 そのセリフの中から、謝罪とは違う歓喜のうめき声が聞こえてきた。

 やっぱりこうなるのか。

 ジェランは呆れながらも、精一杯彼女の自尊心をおとしめる言葉を浴びせた。

 ミフィリアは傷ついて泣くどころか、歓びの鳴き声をあげてくる。

 それから一時間もの間、激しい愛のムチを外にも中にもたっぷりとぶつけたのだった。

 ミフィリアは野獣の遠吠えのような絶頂を響かせたあと、満足気に力尽きた。

 寝息を立てた彼女にシーツをかぶせて、となりに書き置きを残して家を出た。

 それからマユに連絡して、無理してお仕置きプレイした心を一晩中慰めてもらった。元々優しくすることに充実感を覚えるジェランは、かなり参っていたのだ。

 スズメが聞こえる朝になり、ゆっくりと身を起こす。

 ジェランとマユふたりの股間にテントが貼っていた。もちろん、マユのテントが数センチも高い。


「おはよう、ジェラン」

「マユ、おはよう。ありがとう、慰めてくれて」

「ふふ。あんなに甘えてくるなんて、まるで赤ちゃんみたいだった」

「幻滅した?」

「まさか。いつでも、いい子いい子してあげるわよ」ジェランのテントを見て「すっかり元気になったみたい」


「まあね」

「このままする? わたしお休みだし」

「君に溺れてしまうのも悪くないけど、今はやることがあるんだ」

「アルスお嬢様のことよね。わたしで力になれるなら、なんでもするわ」

「ありがとう。でも、なにかするとさらに状況が悪化していっていくんだ。だからどうしたらいいのか、分からないんだ」

「そういうときは、周りをよく見るの」

「周りを?」


 マユはシーツをで身を包んで、ジェランの横に座った。

 目線をあわせながら、身体を寄り添わせる。


「そう。行き詰まった冒険者は、目標のことを考えすぎてしまっているの。そういうときは、一旦距離を置くのが大切よ」

「つまり、ロメリア家や聖神教会の周りの状況を見直してみるってことかい」

「そうね。わたしもできるだけ情報を集めてみるわ」

「ありがとう、助かるよ。俺もロメリア家についてなにか分からないか、探ってみる」

「きっとお嬢様は助かるわよ」

「ああ、そう願ってる」


 ミフィリアから通信が飛んできた。

 書き置きの件がまっさきに飛んできた。

 でもどうやら、マユの家に行ってしまったこともお仕置きの一環だと思ったらしく、繰り返し謝っていた。


「ミフィリア、もういいから」

「本当に、許してくれる?」

「ああ。君のことも好きだよ」

「正妻なら、『が』でしょ」

「やっぱり正妻は、アルスお嬢様しか考えられないんだ。でも君もマユも愛している」


 しばらくの沈黙があった。

 ミフィリアは、ジェランがアルスを最推ししていることをずっと見てきていたはずだ。

 通信機から、大きなため息が聞こえた。


「もう、わかったわ。でも、第二正妻はわたしよね?」

「ああ、もちろんだとも」


 となりで聞いていたマユは、ゆっくりと首を縦にふった。

 マユの頭を優しく撫でながら、ミフィリアにの件の調査の協力をお願いした。


「頼めるかな、ミフィリア」

『分かったわよ。私は教会の周りを調べてみるわ。内情については、そこの三人目ちゃんにお願いするわ』

「はい! あの、同じ人を愛している女同士ですし、仲良くしてもらえませんか?」

『名前はたしか』

「マユです。ギルドの受付やってます」

『ジェランに半端な気持ちで惚れたら、許さないんだからね!』「もちろん、本気です!」


 ミフィリアとマユの間に、友人の関係が結ばれたようだった。

 それから、ジェランはさっそく行動を開始した。

 以前スキャンしたアルスのステータス情報では、アルス個人のことしかわからない。

 アルスが裏切ってしまう原因がほかにあるはずだ。

 ゲームではそんな描写はなかった。徹頭徹尾、プレイヤーに悪感情を抱かせて、裏切って当然だという存在だったのだ。

 でも、ジェランは知っている。


 アルスは卑怯なことが嫌いで、気高く、愛情深いがゆえに誤解されていたということを。

 やはり直接本人に聞くしかない。

 屋敷に向かった。

 ヴァンプレットの通信では切られてしまうので、直接会いに行った。

 彼女の窓際へ登って覗いてみると、下着姿でクローゼットに立っていた。形の良い桃尻と細い太ももがおりなす三角形の隙間が、なんとも愛くるしい。

 どのドレスを着ればいいのか、迷っているようだ。

 

「誰?」


 気配に気がついたアルスは、ドレスで下着姿を隠し窓際を警戒した。

 観念したジェランは、窓に顔を見せた。

 アルスは睨みつけてきた。


「あんたね、レディの着替えを除くなんて最低よ」

「バツを受けますから、部屋に入れてもらえますか」

「入りなさい」


 ジェランは部屋に入って、すぐにひざまずいた。

 アルスはジェランの顎を上げると、おもいっきりビンタを打った。

 はげしい音が部屋に響く。

 真っ赤にはれた頬をさすりながら、ジェランはつぶやいた。


「痛いです」

「痛くなければバツにならないわ」

「今日はお嬢様にお話があってまいりました」

「私は忙しいの。これからショッピングなんだから」

「そういえば、お付きのメイドが見当たりませんが」


「ふ、ふん! 一人でいたいときもあるのよ」

「そういえば、窓に鍵がかかっていませんでしたね」

「別にいいでしょ。な、なによそのにやけた顔は」

「まさか、俺がいつ来てもいいようにしてくれていたんですか? 俺はなんと愚かだ。そんなお嬢様のお心遣いに気が付かず、言いつけを守って距離をおいていただなんて」


 もう一発ビンタが同じ場所にとんだ。

 ジェランはあえて避けず、甘んじて受けた。

 もう頬の感覚が麻痺してしまっている。


「今のは効きました」

「勝手にあることないこと喋らないでくれるかしら! ふざけるのも大概に」


 ノックが聞こえてきた。

 ジェランは天井に張り付いて身を隠した。

 アルスが入るように促すと、専属のメイドが入ってきた。


「あら、お嬢様。まだお着替え中でしたか」

「そうよ。なかなか決まらなくて」

「なにか良いことがありましたか?」

「別になにもないけど」

「分かりますよ。声が明るくなってハキハキしていらっしゃいますもの。それに、髪をなでつける癖は嬉しいときしかしませんよね」

「ちょ、ちょっとなに言い出すのよ」

「幼い頃からお世話をさせていただいておりますから、バレバレでございますよ」


 メイドはそういうと、窓際に目をやって小さく微笑んだ。

 うろたえているアルスにさらに付け加えた。


「今日は私、急用が出来てしまいました。残念ながら、お買い物にお付き合いできなくなりました」

「え、嘘でしょ! 先週から計画してたじゃないの」

「ですから、お一人で行ってきてください。そのとき、どなたかと合流されても私は感知いたしませんので。たとえば、窓から入ってこられた王子様とか」


「な!? はぁ? はぁぁぁぁあ? 何を言っているのかしら」

「待ち焦がれていらっしゃいましたもの。良かったですね、アルス」

「ちょっと、リディ!」

「では、ごゆっくり。ご懐妊されたら、まっさきにご報告くださいね」

「バカ!」


 ドレスを投げつけたときには、リディと呼ばれたメイドは部屋のドアを閉めていた。

 ジェランが天井から着地すると、アルスはこちらを見ずに下着姿のまま顔を赤らめていた。


「全部、聴いていたわよね」

「はい、つつがなく」

「忘れなさい! 命令よ! 全部忘れなさい」

「お断りします。俺は、今すぐお嬢様をベッドに押し倒したくてたまりません」

「ばっかじゃないの? ん!?」


 ジェランはアルスの顎を上げると、唇を奪った。

 まだ数えるほどしかしていないキスを、数分ものあいだ交わした。

 唇を離すと、アルスの目が潤んでこちらを見つめていた。

 拭おうとしない彼女に、ジェランが頭を撫でた。


「でしたら、口づけだけで今は我慢します。たとえ世間が認めまいと、あなたの剣ですから」

「まだ言ってるの? とりあえず屋敷の外で待ってなさい」

「出ていけではなく、待てとは」

「分からないの? ショッピングに付き合えって言っているのよ。荷物持ちだからね、覚悟しなさい」

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