第八話 正妻って
レースで彩られた、大きなベッドのある豪華な部屋をイメージしていた。
しかし、アルスの自室は非常に地味で、ベッド一つに飾り気がない木造丸出しの部屋だった。
三人とメイド一人が入ると、けっこう狭く感じた。
椅子を勧められた二人は、アルスがメイドに促されて座ったのをみたあと、ゆっくりと腰を落とした。
メイドを下がらせたあと、アルスは物悲しいため息を付いてメガネをかけた。
「これで分かったでしょ。私はこの家の厄介者なのよ。翡翠の薔薇で失敗すれば、正当な口実で私を追い出せるわ」
「そんな……」
「この屋敷に認められるためなら、何だってやってきた。無理難題もきいてきた。その最たるものが、魔獣の巣窟の中にある薔薇よ。今度こそと思ったのだけど、何も変わりはしなかったわ」
「いえ、そんなことはありません」
「ジェラン、そういって慰めてくれるのは嬉しいけれど。私はいつか貴族の身分じゃなくなるし、だから正妻になる資格なんてないし、あなたといても虚しくなるくらいなら終わりにしましょう」
「アルスお嬢様は、聖剣の機士を従える淑女です!」
「ジェラン? 何を言っているの。傭兵の契約は今日限りでおしまいでしょ」
「俺は、お嬢様の剣になりたいんです!」
「それならなおのこと無理よ」
「どうしてですか?」
「ジェラン、アルス嬢の言うとおりよ」
ミフィリアが代わりに解説してくれた。
「聖剣は本来、帝国と聖神教会の所有物なのよ。とくに聖神教会が保管していたから、ここに聖剣があること自体がイレギュラーなの。まだ表には出ていないようだけど、教会は大騒ぎのはずよ」
ジェランは背もたれに立て掛けた聖剣を一瞥した。
この世界でも自分を
ゲームではプレイヤーの誰もが聖剣機士になれたから、その希少価値について考えたこともなかった。
聖剣が政治や権威に深く関わっていると思うと、自分がとんでもない存在なんじゃないかと思えてきた。
その様子をみて、アルスが話を続けた。
「今頃その責任の重さに気がついた? だから傭兵の契約は今日でおしまい。新しい依頼先でも探すといいわ」
「お嬢様、品評会の警護はもう決まっているのですか」
「家のものが何名か付くでしょうね。いくら私が虐げられているからって、ロメリア家が主催するのだもの。何かあったら家の恥晒しよ」
「俺が警護に参加してはいけませんか?」
「あなた、話を聞いてなかったの? 聖剣機士を一介の貴族の娘が召し抱えることは、教会を敵に回すことになるのよ」
「ならせめて、出席をお許しください。客としてなら、そちらの面目も立つでしょう」
「分かったわ、招待してあげる」
「ありがとうございます」
「でなきゃ、品評会に乗り込んできて、あることないこと吹聴しそうだもの。いいこと? 余計なことはしないでよ」
「もちろんです」
夕食の時間が近づいてきたので、ジェランたちは屋敷から失礼することにした。
そして酒場までの行きすがら、ミフィリアがあきれたようにボブショートをゆらした。
「あそこまで食い下がるなんて、思わなかったわ。ジェランは本当にアルス嬢が好きなのね」
「そうだよ。俺の中のイチ推しはアルスお嬢様だ」
「そこまで言いのけられると、逆に清々しいわ。でもそれって、妻としても一番ってことじゃないわよね」
ミフィリアは、上目使いに深い谷間を見せつけるようにジェランに迫った。
辺りは人通りがなく、街路樹は初夏の訪れを報せて青々と茂っていた。
そよ風が彼女のミニスカートにいたずらをして、ふわりと撫でた。
確かに、この
あの夜は下のほうだけじゃなくて、全身が快感に包まれた。
身体の相性はアルスよりもいいかもしれない。
しかし。
と、ジェランは首を振った。
アルスを救うと心に決めて百回以上チャレンジした、あの日々を忘れることは出来ない。
「なあ、正妻って一人だけなのか」
「はい?」
突拍子もないジェランの発言に、ミフィリアから思わず変な声が漏れた。
「うわっ、忘れてくれ。無神経過ぎるよな。ごめん」
「そんなの聴いたことないけど」
「え?」
「正妻が一人だけなんて、そんな風習どこの国の話なの?」
今度はジェランが驚く番だった。
困惑する顔を、ミフィリアが笑った。
「あんた、そんなことで悩んでいたの?」
「え、だって」
「ごめんごめん、記憶がないんだったね。正妻は同時に二人くらいは認知できるわよ。中には三人って人もいるけど、大抵はうまくいかないって聞くし」
「
「もちろん、普通にいるわよ。それもモテなきゃだめでしょうけど」
「じゃあなんで、さっき驚いたんだ」
「普通、正妻の二人目を決めるときって、側妻をある程度囲ってからよ。年齢的にも早すぎるわよ」
「じゃあ、正妻にこだわっていたのは?」
「一人目の正妻は、本当の意味で見初められた女だからよ。二人目は増えた側妻から選んだ、いわゆる愛人ってやつかしら」
たしかにそれだと立場が全然違ってくる。
この世界の女達は、一人目の正妻を巡ってはげしい戦いを繰り広げているわけか。
教えられたことを噛み砕いている時、ミフィリアが腕に絡んできた。
スポンジではけっして味わえない感触が、二の腕を包み込んでいく。
「男の人って、こうやると嬉しいんでしょ」
「どこでそんなこと覚えたんだよ」
「わたし、人が変わったようになってもジェランが大好きなの。ううん、今のあなたのほうが何倍も頼りがいが出てきて、惚れ直したくらいよ。だから、わたしを正妻にして?」
耳元で囁かれると、理性が音を立てて崩れていってしまう。
ジェランは精一杯の笑顔をみせていった。
「人生の問題だから、もっと時間をかけて考えたいんだ。女性としてミフィリアとアルスお嬢様、どちらを大切に思っているのか」
本来、推すという気持ちは恋愛とは別の感情だ。
推しアイドルが誰かと結婚したなら、ファンは手を叩いて祝福することが正しい態度だろう。もちろん血の涙を流して悔しがるやつもいるだろうけれど。
推しの幸せを第一に考えるのが、紳士として求められるべきもの。
それと同じ感情を二次元のアルスに抱いていた。
だが現実にアルスが現れて、しかも抱いてしまったとなると、いろいろな感情がぶつかって混ざって、訳がわからなくなっている。
そしてそういうファンは、別の女性と恋に落ちて結婚するものだ。
それがミフィリアになるのかも、分からない。
そんな思いが、彼女に伝わったのだろうか。
ミフィリアは寄り添うように、頭をもたげた。
「分かった。答えは急がない。だけど、今夜はひとりにしないでね」
「覚えておくよ」
宿の部屋に防音の魔法かけなければならないなと、ミフィリアの声の大きさを思いだして股間が高まった。
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