第6話 不揃いのスカート 2

「村上さんだっけ。愛が、前、色々された子って」

「……」

「また、やられたんだね」

 屋上手前の階段。生徒は立ち入り禁止のそこに、私と咲穂は向かい合って座った。

「何も、無い」

「大丈夫だって。愛。私は」

「大丈夫じゃない……。咲穂はあの人たちの怖さを知らないんだよ……。もし、咲穂まで、そんなことになったら、やだよ」

「今ここで愛のことを見放す方が嫌」

 そう言って、咲穂は私の背に手をまわした。


「話してみてよ。友だちでしょ。私たち」


「咲穂……」


 咲穂の体温を感じる。この二日間、冷え切った温度しか感じていなかった私には、熱すぎるくらいの温かさだ。

 咲穂の背に、私も手を添えて、声は出さないで泣いた。


 私は語った。理由もわからず攻撃されたこと。痛くて苦しくて、これから先もずっと続くと思ったら、もう耐えられないかもしれないということ。

「中学生の頃と同じ。どうしよう……」

「同じじゃないよ」

 咲穂は私の手をギュッと固く握って言った。

「私がいる。何があっても、私は愛の側に居るから」

「あ……」


 そうか。中学生の頃は味方はいなかった。少数の敵とたくさんのサイレントマジョリティに、私は囲まれていた。


 今は違う。咲穂がいる。味方がいるんだ。

 言われるまで気づきもしなかった。


「辛くなったら一緒に逃げよう。愛」

「うん……」

 頷くと、咲穂は私の頭を優しくなでてくれた。

 やっぱり、咲穂は特別だ。私の手をこうやって引っ張ってくれる。


「咲穂がいてくれれば、大丈夫、かも」

「もう泣くなって」

 昨日も私の血を拭ったハンカチで、彼女は私の目元をぬぐってくれた。咲穂は気付いているのだろうか。その一挙手一投足が、どれだけ私にとってはげみになっているかを。


「咲穂」

「何?」

「私に何があっても、見ないふりしてね」

「え?」

「でも、もしどうしても耐えられなくなったら、またこうやってなぐさめてくれる?」

 そう言うと、咲穂は一瞬不服そうな表情を浮かべたがすぐに数度頷いた。

「いいよ」

「ありがとう」

 チャイムはとうに鳴っていた。ホームルームはもう終わってしまっていた。私は咲穂に先に戻るよう言い、少しの時間を置いて、私も教室に戻った。




 その日の夜、希美のぞみから電話があった。

 何も知らない希美は、いつものように明るい声でしゃべってくる。

 迷惑には思わなかった。むしろ気がまぎれる感じがした。その声を聞いていると。

 しかし、私の小さな相槌あいづちでも、希美は違和感を覚えたらしい。


『愛、なんかあった?』

「ん?」

『なんか、元気ないような気がして』

「そんなことないよー。大丈夫大丈夫」

『そう? ならいいんだけど』

「ねえ、希美」

『何?』

「今度さ、ひさしぶりに希美の家行っていいかな」

『え、ええっ?』

「え、嫌?」

『いや、嫌じゃないよ! 嫌じゃ、ないけど……』

「ないけど?」

『緊張するじゃん……。色々さ』

「ただ遊びに行くだけなのに?」

『じゃあ、逆にあたしが行くって言うのはどう?』


 何がそこまで希美を躊躇ためらわせるのかわからないけれど、向こうが望むなら別にそれでもかまわない。

「希美がそうしたいっていうんならそれでもいいよ」

『ああ、待ってやっぱそれも緊張するな……。うう』

 心にきりが立ち込める。

「私と会いたくないってこと? ならそう言ってよ」

『違うよ! そういうんじゃなくて……』

 希美は反論したものの、その言葉尻はしどろもどろでよく聞こえなかった。訳が分からない。

「……もう十二時なるね。今日はもう、切るね」

『あ……、うん。また、電話するね』

 しおれた希美の声と、電話の切れる音。

 何をしているんだろう。これじゃ八つ当たりみたいなものじゃないか。

 電気を切る。深い夜の闇。このまま夜が明けなければいいのにと、そう思った。



 

 それから一週間余りが経った。もちろん、状況は一切変わっていない。

 不揃いのスカートがひるがえる。嘲笑、つま先がお腹に食い込む。朝食を抜いてきて正解だった。もし食べていたら、今頃、この土の上に吐き出してしまっていただろうから。


 朝のリンチの後、教室に戻る。机の上には落書き。机の中のものを、すべて持ち帰っておいて正解だった。そうしなかったら、きっと教科書は使い物にならなくなっていただろうから。


「愛……」

 心配そうこちらを見る咲穂に、人差し指を唇に立てて示す。


 大丈夫。私は大丈夫だから。


 そんな中で、いじめは続いた。

 けれど、私の方は私の方で、対策はできていた。中学生の時、彼女にしいたげられたことが、逆に経験となって生きているんだ。

 上履きの中の画鋲。トイレの鍵の状態。傷の隠し方。靴は持ち歩くこと。バッグは隠しておく。財布にはお札は入れないでおく。


 前だったらこんな気持ちにはなれなかったし、こんな対策は思いついてもやらなかっただろう。

 以前と同じだったら、今頃逃げて、不登校になっていたかもしれない。けれど、今はそうは思わなかった。徹底抗戦してやろうとすら思った。見て見ぬふりをする第三者が味方にすら覚えた。


 負けるもんか。


 そんな、今まで生まれたことのないような激情を胸に抱けたのは、きっと咲穂のおかげだ。

 暴力に屈するのではなく、反抗しようと思えたのは、彼女のおかげだ。


「何でこんなことするの!」


 ある日の朝、いつもの体育館裏、私は叫んだ。

「その理由を教えて! 私が、何か気に食わないことをしたなら、謝るから」

「白を切るなよ」と村上は言った。

「あんたのせいでうちらめっちゃ怒られたんだから」

「だからその仕返しなのよ」

 取り巻きが何かごちゃごちゃと騒ぐ。ただ、それを聞くに、彼女たちは何か誤解しているらしい。

「ちゃんと説明してほしい。お願い」

「だから話す事なんか……」

「あなたには話してない!!」

 私はただ村上だけを見据えて言った。何年も、トラウマになるくらい虐められた相手。気を抜けば震えてしまいそうだったが、手を握り、唇を噛み、それを必死に抑える。

「ミチ、こいつもうやっちゃっていい?」

 取り巻きが私の胸ぐらをつかんだ。しかし、そのとき、考え込んでいた村上が、「いや」と取り巻きを制止した。

「ミチ?」

「本当に心当たりないんだ?」

「ない……です」

「じゃあ、森田に告げ口してないって、そう言うんだ?」


 森田というのは私たちのクラスの担任だ。しかし、村上とはクラスが違うから、接の関係はないはずだ。なのになぜ彼の名前が出てきたのか。それに、告げ口? 私はそんなことしていない。

「なんの、こと?」

「……」

「私は何もしてない。あなたたちが、蹴ったり殴ったり、机に落書きしたり靴に画鋲がびょう入れたり、そこまでするほどのことなんか、何も」

「はぁっ!?」

 取り巻きが反応した。村上も眉をひそめて私を見ている。


「うちら落書きとか、そんなことしてないんですけど」


「は?」

 どういうことなのだろう。何かおかしい。いや、悪いのはどう考えても村上たちだ。どんなことがあったって人を虐げていい道理なんてない。けれど、お互いに何かを勘違いしているのは確かだ。

「あ……」

 そして気づく。あの机の落書きは朝、教室に入ると書かれていた。

 しかし、そのとき村上たちは全員ここにいたはずだ。私が帰った後に書いた可能性もあるが、そうなると教師に見つかるかもしれないし、彼女たちのような人間は、わざわざ私ごときに放課後の時間をこうとは思わないだろう。


 となれば、あれは早朝に書くしかないはずだ。


 私は駆け出した。取り巻きの怒鳴る声が聞こえる。しかし、構わず走った。根拠はないけど、変に嫌な予感がした。

 階段を駆け上がり、奥の教室の扉の前に立つ。

「はあっ……はあっ……」

 息がはずむ。

 しかし、それを整える余裕はなかった。

 気絶えしそうな現実が、そこにはあった。


 くずおれそうになる膝をなんとか立たせる。つぅぅ……と頬に一筋涙が伝った。


「咲穂っ……、どうして……」


 こんなに深い絶望を感じたのは、あの地獄の日々の中でも、一度もなかった。


 窓際の席の隣、私の席の前に立った咲穂はこちらに気付かぬまま、一度も見たことのないくらい、冷たい表情で私の机にペンを走らせていた。

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