第4話 君は友達 3

 長い夏休みは予定がないとほんとうに苦痛で仕方がない。


 クーラーをつけた部屋、一人ベッドの上で寝転がっているだけで、気付くと陽が沈んでいく。そんなダラダラ生活を送っていても、誰もとがめる者はいない。

 気楽ではあるけれど、反面少し寂しくもある。 


 まあ、愛からすれば、あの、なんだっけ名前、ああ、村上とかいう女子と顔を合わせないで済むから気が楽なのだろうけれど。 


 愛とは携帯でメッセージのやりとりをしていたけれど、あまり携帯を見ない彼女から返事が来るのは一日に一回だけだった。しかも不定期でなかなか返事が来ないために、いつ来るかいつ来るかと気が休まらない。別に大した話はしていないのだけれど。


「ううう……」

 意味もなく、身悶みもだえしてうめく。

 会えなくなって気付いた。私にとって愛は、切り離すことのできないほど大切な存在となっていた。


 早く夏休みが終わってほしかった。

 しかし、それから少し経った頃、私は時がさかのぼってくれることを祈るようになる。





「お……」

 動画を見ていた画面が急に切り替わった。愛、という名前と受話器のマークが表示される。

「なんだなんだ」

 普段はメッセージが送られてくるだけで、電話をすることはほとんどなかったから変に緊張してしまう。


 ベッドの上に正座をして、画面を押す。


「もしもし」


『あ、咲穂。よかったぁ、繋がって』

 しばらく聞いていなかった声。頬に温度を感じる。どうせなら、目の前にいてくれればいいのに。


「どうしたの? 愛」

『んん。なんていうかね、ちょっと色々あって……』

「色々って?」

 愛は、確か海に行くと言っていた。私は泳げないため、無念にも一緒には行けなかったのだが、知り合いと行ったはずだ。


『うーん……少し言いづらいんだけど……』

「どうしたの。相談したいから電話してきたんでしょ?」

 そう言うと、しばらくの間があった。どうやら、少し重たい話のようだ。


『あのね、この前海に行ったんだよ』

「うん。言ってたよね」

『それでね、その、昔の友達と海に行ったんだけど……』

「……うん」

 胸の奥がちくりと痛む。その役も私がしたかったな、と。

 しかし、それは表に出さないように、笑顔を作る。

「それで?」


『それでね、帰り道にね、告白、されたっていうか』


「……」


『あれ、咲穂?』


「あ、ごめんよく聞こえなかった。なんて言った?」

『もう……何回も言わせないでよ。だからね、海から帰る途中で、告白されちゃったの』


 聞き間違えではなかった。


『まだ答え出せてなくて、どうすればいいと思う、咲穂? 信頼出来る友だち咲穂しかいないから、相談乗ってー』


 友だち。その一言が、嬉しいはずの称号が、私を苦しめる。


『咲穂ー?』

「あ……ごめん。つい」

『もう。私ほんとに困ってるんだよー』


 こっちだよ。困ってるのは。


「ごめんてば」

 慌てて思考を整える。

 そうだ。悲観的になる必要はない。今ならまだ、愛を引き戻せる。何も言われなかった可能性を想定すれば、むしろ幸運だ。

「まあ、話してみてよ」

 下心でもいいだろう。大切な友達だからこそ、私は愛を手放したくない。




 海に行った日、彼女は旧友に告白された。

 彼女が悩んでいるのは、答えを間違うと、このままその友人との繋がりが途絶とだえてしまうと思うからなのだという。


「じゃあ、断る気でいるんだ?」

 そうなれば話は早い。そう思ったのだが、愛は「うーん……」と言葉をぼやかした。


『私もね、その子のこと、嫌いなわけじゃないの。でも、恋人、というか、なんかそういう関係になると、ちょっと違うかなぁっていうか』

え切らないな……。好きなら好き、嫌いなら嫌いって言えばいいのに」

『そんな単純な話じゃないから困ってるんだよ』

 まあ確かにそうかもしれない。けれど……。いや、焦ることは無い。落ち着いて聞くんだ。


「でも、意外だな」

『何が?』

「愛が男の子と一緒に海行くなんて」

『え? あっ……!』

 その瞬間、彼女ははっと何かに気付いたような声を出した。

「何?」

『一つ、言い忘れてたんだけどね、その、相手の子、女の子……なんだ』

「え」

『肝心なこと言い忘れてたね。ごめん』

「いや……」

 驚きはあった。けれど、よく考えれば、その方が色々と都合がいいのではないか。そうだ。こっちの方がいい。


『女の子同士だからおかしいとは、別に思わないよ。女子高に通ってるわけだし、そう言う話を聞かない訳でもないし。だから、そこで悩んでるわけじゃないんだけど、やっぱり、昔の友だちだからさ、困っちゃうんだ……。断るにしても、ちゃんと考えなきゃいけないし、受け入れるにも、ちゃんと色々先のこととか考えなきゃいけないし……』 

 愛はどっちの人間だろう。他人の意見に乗る人間か、他人の意見の逆を行くタイプか。

「愛は、どうしたいの」

『んんんんん……』

「私は、告白されてもすぐに了承できないような人はパスだけど」

『ううううう……』

「接してみて考え変わるとかはあるかもしれないけど、直感で愛せない人は、その後も愛せないよ」

『どうしよう……』

 まあ、やんわり否定するくらいがちょうどいいだろう。あんまり強硬きょうこうなことを言うと逆効果かもしれないし、愛も不信感を抱くかもしれないから。


「告白を受け入れるんならわからないけど、断るんなら、私がなんて言えばいいか教えてあげるよ。そっちの方が得意だから」

 優しいようでひどい誘導だなと内心苦笑する。けれどこれでいいだろう。

『何それ』と電話の向こうの愛も笑った。

 風向きは良さそうだ。


『咲穂と話して、元気出た。ありがとー』

「おー」

『じゃあまた』

「またな」

 電話が切れる。同時に、映画に行った日に、一緒に撮った写真のアイコンが表示される。

 親友という文字が、笑う二人の頭上に浮いている。携帯の画面を消して、ベッドに横たわる。

 枕元に置いてあるバッグの、白いキーホルダーが揺れた。




 それから数日後。夏休みが終わるまであと一週間というところで、私は制服を着て学校に向かっていた。

 登校日などという日を作るなら、休みに入るのを一日遅らせればいいのにといつも思う。


 駅前から自転車に乗り、いつものルートを辿たどる。

「おっ」

 公園を抜けたところに、愛が立っていた。

 いつもは偶然会う感じなのに、今日は私のことを待っていたようだ。


「愛ー」

「あっ、咲穂、ひさしぶりー」


 自転車を降りて、愛と住宅街を歩く。並んで歩くのは久しぶりだ。 

「まじでめんどいよね登校日って」

「ね。休みの日に登校日作るんなら夏休み入る前にやっときゃいいのに」

 愛も全く同じことを思っていたらしく、私はつい笑ってしまう。

「ほんとそれ」

「咲穂、またちょっと痩せたんじゃない?」

「えー、そんなことないっしょ」

「痩せたよー。どうせあれでしょ、朝と昼一緒にしたりするパターンでしょ」

「いやいや」

「絶対そうだ」

「違うって。ちゃんと食べてるよ。朝も昼もちゃんと」

「ふふっ」

 なぜか愛は笑った。ああ、そういえば、二回言ってしまっていた。「ちゃんと」を。


「それよかさ、あれどうなったの。付き合うって話」

「ああ……。咲穂と電話した後、すっごく悩んだんだけど決めた」

「うん」

 すると愛は私の自転車の前に立って、快活な笑みを見せた。


「私、付き合おうかなって思うんだ」



 早朝の住宅街で、坂でもないのに私は急ブレーキをかけてしまった。


「咲穂言ってくれたじゃない。接してみてわかることもあるかもしれないって。相手の子ね、小学校の時、すごい仲良かった子なんだ。だから逆にそういう関係になるのは考えにくかったんだけど、でも実際になってみないとわからないこともあるなって思ったんだ」

 愛の言葉は断片的にしか頭に入ってこなかった。ただ一つ確かなのは、私の言葉が、私の本音とは真逆の方向に愛をうながしてしまったということだ。


「そ、そう、なんだ」

 必死に笑顔を作る。きっと今、私は相当無理やりな顔をしているだろう。しかし、愛は私の左腕にしがみついて笑った。

「咲穂のおかげだよ。ありがとー」

「あは……。そっか。よかった、ね」

 作り物の笑顔の消費期限はわずか数秒だった。けれど、今は愛には私の顔は見えていないから、別にいい。

 

(……あ……)


 気づく。いや、気づいてしまった。

 

 彼女の持っているバッグに、キーホルダーが見えない。


 あの日一緒に買った白い花のキーホルダーが。


 心の中が、冷えていく。いつもなら心の中で滅茶苦茶な論理でも自分を励ますのに、今はそれすらできなかった。

「咲穂がいてよかった」

 ああ。きっとそれは友達としてということなのだろう。親友として、ということなのだろう。

 嬉しいはずのその地位が足首にまとわりついて、私をあと一歩のところで動けなくするんだ。


 ああ。今気づいた。私は、愛のことが、こんなにも好きだったんだ。失ってから、気づいた。

 むなしい気持ちを片腕に、私は学校についた。



「あ……」

 駐輪場、ふいに愛が表情を硬くした。

 自転車を立て、その視線の方を見ると、敷地の端の倉庫の裏に件のグループがたむろしていた。その指先には、高校生が持ってはいけないつつがある。

「咲穂、行こ」

 別にこちらに気付かれてないんだから恐れなくてもいいだろうが。私はそう思いつつ、愛の後についた。

 愛を見放すようなことを思ったのはこれが初めてだったかもしれない。

 頭の中に靄がかかって、何もかもが嫌になる。

 一度すべてを捨ててしまいたくなる。それは無理だとわかっている。けれど、そんな危うい思考では、もう、正常な判断はできなかった。

「愛、ちょっと待ってて」

「ん?」

「忘れものした」

 そんなでたらめを言って、私は駐輪場に戻った。



 夏休みが終わる直前、メッセージアプリの愛のトップ画像が、映画を見に行った日の写真から、愛が見知らぬ女の子と行った海の日の写真に変わった。


 意外と絶望も悲しみも感じなかった。ただ、一つの決断がそこにはあるだけだった.

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