第2話 君は友達 2-1

 目覚まし時計の音で目を覚ます。

 真夏の空気は、朝にまでも侵攻していて、二度寝など思いもよらない。


 時計を止めて、身体を伸ばす。首筋に浮かんだ汗を振り払い、ベッドから下りて、カーテンを開けて窓を開く。

「暑っ……」

 しかし、涼しい空気は全く入ってこない。それどころか、鋭く強い日差しが入り込んで、むしろ暑くなったのではないか。


 窓を閉めた私はセーラー服をハンガーごと取って階段を下りた。

 母は夜に出勤してから帰宅していないらしく、ただ机の上に千円札だけが置かれていた。

 今更不満を言うつもりはない。紙幣しへいを折りたたんでポケットにしまい、家を出た。朝食を取らないのは、気付けば日課になっていた。



 うとうとしながら電車の席に座って15分、駅に到着する。

 駅を出て徒歩数分、月極の駐輪場で自転車に乗り、学校に向かう。


(たまにいるんだけど、今日はいるかな)

 公園の中を突っ切って住宅街、学校にほど近い歩道に、その後ろ姿が見えた。

「愛ー」

 後ろから近づいて声をかけると、彼女は長い黒髪をおさえて振り向いた。

「あ、咲穂さほ。おはよう」

「おはよー」

 愛と会えた朝は自転車を降りてその横を歩く。時間はかかるけれど、その分長く愛と話せる。


「今日はちゃんと朝食べたの?」

「食べた食べた」

「嘘だ。絶対食べてないでしょ」

「ちゃんと食べたってば」

「咲穂嘘つくとき二回同じ言葉繰り返すからわかるんだよ」

「……まじで?」

「あ、やっぱり抜いたんだ、朝ごはん」

「ぬぬぬ……。はったりだったか……」

「ちゃんと食べないとだめだよ。おかしくなっちゃうよ。ただでさえ痩せてるのに」

 そう言われて立ち止まり、ハンドルに伸びる自分の腕を見てみる。特段、他の人と変わっているとは思えない。


「そんな痩せてるかな」

「痩せてるよ。私よりか全然」

「でも別に骨とか浮き出てないよ」

「そうなったらもうせてるとかのレベルじゃないと思うけど」

 まぁ、確かにそれはそうだ。そこまでいったらさすがの私でも病気だと思う……はずだ。


「ちゃんと食べなよ。毎日の習慣だよ。こういうのは」

「うーん……。まぁ、善処ぜんしょするよ」

 朝食の有無で体型が変わるのだろうか。わからないが、ここである程度納得の態度を示しておかないと、今日一日延々とそれについて講義されそうなので、私はそう答えた。

 愛は「よろしい」と腕を組んで胸を張った。

(……たしかにこいつよりは……)

 その胸を見て、口をつきかけた余計な言葉を飲み込む。それから間もなく私たちは学校に到着した。


                          


 かなりの余裕をもって学校に着いた私たちだったが、すぐに教室には入らず、空き教室に避難した。理由は簡単だ。彼女たちがいたから。

 愛はさっきまでの明るい表情をき消して沈痛な表情で青いテーブルクロスの机を見つめていた。

「宿題、なんかあったっけ今日」

「……」

「愛」

「うえっ!? な、何?」

「今日なんか課題あったっけって」

「あぁ……いや、なかったんじゃないかな」

「そっ。ならいいや」


 いやよくない。この気まずい空気をごまかすことができないではないか。


 愛があのカースト上位集団を避ける理由は、話すようになってしばらくしてから聞いた。

 中学生の頃、件の集団のリーダーにいじめられていたことがあるらしい。


「ちょっとだけね。ちょっとだけ」と愛は笑っていたが、辛苦しんくの浮かぶ笑顔を見れば、ちょっとでないのは容易よういに理解できた。

 愛の中学校は、この高校と同じ盛谷市内にある大きな中学校だった。だから、そういうこともあったのだろう。私の学校は全校生徒を合わせて百人にもならないくらいの小さな学校だったから、なかっただけで。


「ごめんね」

「ん?」

 突然、愛が呟くような声で言った。

「私の都合で」

「いや、別にいいよ」

「いいかげん、克服こくふくしないとってのはわかってるんだけどね……」

 愛はうれいを帯びた笑みを作った。

 その笑顔はあまり好きではない。そうやって無理に笑うくらいなら黙っていればいいのに。


「いいんじゃないの、別に。逃げたって」

「んん……」

「私はいつでも付き合うよ」

「でも、三年間通うんだから、いつまでもこうやって逃げてばっかいられないよね」

「そうかなぁ」

「そうだよ」

 愛の心境を、私はわかってやれない。

 けれど、彼女が勇気を振り絞ろうとしているのなら、それを止める必要はない。


 むしろ率先して彼女の味方になってやりたい。彼女の、たった一人だけの味方に。

「まぁ、きっと大丈夫だよ。愛ならさ」

 机の上に突っ伏して、欠伸あくびを噛み殺しつつ私は言った。

「咲穂……」

 空調の利いた涼しい教室で、瞳を閉じると心地が良かった。そのまま眠ってしまいそうになるくらいだ。

「ありがとう。咲穂」

「おー」

 だらっと腕を上げて返事をすると、愛は私の手を両手で包んで額に持っていった。


「何しとん」

「咲穂のあったかさを感じてる」

「何じゃそりゃ」

 変なやつだと微笑しする。今まで誰とも体験したことのないくらい近い距離間だが、悪い気はしなかった。


 愛の味方になってあげたい。それは主客が逆でも同じなのかもしれない。愛にも、私の側にいてほしい。そういうことなのかもしれない。



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