【解釈小説】少女レイ

蓬葉 yomoginoha

第1話 君は友達

 高校一年の初夏、田舎の駅の二番線。

 向かいのホームの窓には向日葵ひまわり畑が映っている。彼らは太陽を見上げてひたすらに笑っていた。


「暑い……」


 猛暑の空気の中、ただでさえむさ苦しいのに、浴衣で電車を待つのは何とも苦痛だ。こんな地獄を見るのならきちんと時刻を確認しておくべきだった。

 休日と平日とで五分も電車の時間が違うとは。そしてその五分の違いでさらに二十分も待たなければならないとは。

 

 じっとベンチに座っているのも耐え切れず、改札の側にある姿見の前まで移動して、自分の格好が不自然ではないか確認する。

 帯がずれたりしていないか、髪の毛は変ではないか。

 尽きぬ不安の賜物か、胸の奥がうるさい。

「はぁ……」

 結局、今この段階で安心などできないのだから、もう諦めよう。ため息交じりに、私は再びベンチに戻る。

 三往復目だった。


                                                          


「日曜日、夏祭りあるんだって」

 

 愛が言ったのは月曜日の昼休みのことだった。


「夏祭り? どこの」

「盛谷の。駅前に出店とか出るんだって。花火もきれいらしいよ」

「ふぅん」

 気の抜けた返事をすると同時に、飲んでいた紙パックのリンゴジュースの中身がなくなった。

「あんまし、興味ない?」

「うーん……」


 抜け殻となった紙パックを置き、残ったストローを無駄に噛みながら私は返事とも呼べないような返答をした。さすがの愛も少し不機嫌になったらしい。

「ないならないって、はっきり言って」と眉を寄せて私の口からストローを引き抜いた。

「いや、なんていうかさ、ほら、暑いじゃない? ここ最近。だからなーって。人いっぱいいたらもっと暑くなるだろうし」

 小学生くらいのときには地元の盆踊りや肝試しに何の思考もためらいもなく参加したものだが、今はどうしてもめんどくささが先に生まれてしまう。暑いし、人いっぱいいるし、虫に刺されるし云々うんぬん。多分人間はこうやってハリを失くしていくんだろう。

「暑いからいいんじゃん。気分も上がるし、花火もきれいだし、夏だと」

「冬だったらなぁ」

「冬にやったらどうせ、最近寒いからさー、とか言うんでしょ」

 愛は一部分妙に声を低くして言った。


「いまの私の真似したの?」

「……とにかく、せっかく、近場でお祭りやるんだからさ……」


 愛は長い黒髪の毛先を弄りながら上目遣いで私を見つめてくる。比較的体が小さく、その割に瞳の大きな彼女がその仕草をすると、まるで小動物のようだ。

「あのさ、もしかして」

 そのとき、教室の中心で甲高い笑い声が上がった。品のない、大きな笑い声だ。もちろん、口が裂けても本人たちにそんなことは言えないが。


 彼女たちは、髪を茶色に染め、濃い化粧をし、持ち込み禁止の携帯電話を堂々と出しているような、いわゆる上位カーストの人間だ。仲間の一人がこの教室にいるため、昼休みに集まるのだ。この教室に。

 愛を見ると、彼女は下唇を噛んで、手元のストローを見下ろしていた。

「愛。外行こか」

「うん」

 立ち上がりながら私は言った。愛はすぐにうなずいた。


 触らぬ神に祟りなし。人の不幸や不安を喜んで増長させるような人間を神とは言いたくないが、仕方がない。触れるべきではないものというのは、どうしても存在する。

 特に愛はもう、彼女たちのような人間とは関わりたくないだろう。

「ありがと」背後、小さく呟く声がした。


 


 空き教室に逃げ込んだ。

 愛はすっかり表情を暗くしてしまったので、私から続きを促すしかない。


「さっき、私のこと、誘ってた?」

「えっ?」

「夏祭り、さ」


 間違っていたら相当恥ずかしいが、確信に近いものがあった。愛は自分から会話を始めるのがあまり得意ではない。にもかかわらず、自分から話し始め、しかも珍しく食い下がってきたところを見ると、勧誘と考えた方がしっくりくる。

 案の定、彼女は小さくうなずいた。


「ふぅん」

「あの、でも、別にいいよ。行きたくないなら、別に、ほんとに」

 愛は私と目を合わせず、さっきの自分の行動を否定するように首と手を横に振った。

 その様子に半ば呆れつつ、私は言った。

「いいよ」

「え……。……えっ……?」 

「何その反応、もっと喜んでよ」

「いや…だって、さっき、あんまり、気が進まない感じだったから……」

「一人で行くならあれだけど、愛と行くならいいよ」


 そう言うと、彼女はポッと頬を染めてムフフと笑った。

 いちいち反応が面白いな、と思いつつ、時間差で今の自分の発言も大概だなと気づき、身体が熱くなるのを感じる。愛のように頬が紅くなっていたら嫌なので頬杖をついて隠し、顔を背けた。


「うれしい。したら、日曜日行こうね」

「ん」

 愛の表情は見ずともわかった。きっと大いに浮かれた顔をしているのだろう。私が言えたことではないけれども。


 その後、金曜日まで、私と愛との間に、夏祭り以外の話題は皆無になった。


                  

           

 電車の中は、今までの暑さが嘘であるかのように涼しかった。

 ただ、夕方の帰宅ラッシュに紛れて浴衣姿で車内にいるのは居心地が悪い。窓の外を見つめて盛谷もりや駅に到着するのを待ったが、なかなか着かない。普段登校するときは早すぎるくらいなのに。

「ママ、見て浴衣のお姉ちゃん」と、どこかから子どもの声が聞こえてきたときには、電車に身を投じたくなった。


 数々の苦難を乗り越え、盛谷駅についた時には疲労困憊ひろうこんばいだったが、ここまで来たからには、と私は気持ちを切り替え、電車を降りた。

 ターミナル駅の喧騒けんそうを抜け、待ち合わせ場所の公園に着いた。

「どこだろ」

 あたりを見回すしていると、川沿いのベンチに座る愛の姿が見えた。


「あれ……」


 私はどうして、と思わず眉をひそめる。

 同時に、愛がこちらを向いて、笑顔を見せて近づいてきた。

咲穂さほ! わぁぁ…綺麗…浴衣着て来たんだ!」

「愛は、なんで着てないの?」

「え? だって私浴衣持ってないし」


 平日でもないのにセーラー服をまとった愛は小首をかしげた。なんでそんなことを聞くのかとばかりに。

「そんな……」

「咲穂、顔真っ赤!」愛は愉快げに笑った。

 腹立たしさは、なかった。

 その代わり、さっきの電車内とは比較にならないくらいの羞恥しゅうち心に襲われる。


「き、着替えてくる!」

「あっ! 咲穂!」

 踵を返し、公園の公衆トイレに引っ込もうとする私の手を愛がつかむ。

「離して!」

「いいじゃんそのまんまで」

「やだ!」

「大丈夫だってすっごい綺麗だから」

「そういう問題じゃなくて……」

「もういいから早くいくよー」

「うわっ、ちょっと……!」

 普段の愛からは想像もつかないほどの力で引っ張られる。

「何この怪力。どっから……」

「大丈夫だってば。祭り行けばみんな浴衣だから」

 私の言葉には一切返答せず、愛は私を引きずる。地面を見ると轍ができていた。

「そうだけど……」

「ならいいでしょ」

「うぅん……」

「すっごい綺麗だよ。咲穂」

「……」


 愛に手を取られてその後ろを歩く。いつもとは逆の立場になってしまっている。胸の奥がうるさいのは、恥ずかしさだけのせいだろうか。先行する愛を直視できない。

 それでも握る手の感触のせいでどうしてもその存在を意識してしまう。胸の奥が、うるさい。



 出店で買ったたこ焼きと焼きそばとフライドポテトを持って、私たちは人の少ない土手のすみに腰を下ろした。

「ここから見えるかな、花火」

「見えるんじゃない?」

「だといいけど」


 生ぬるい夜風が吹いている。揺れる草木の音と、川の静かなせせらぎが涼しい雰囲気をかもし出していた。夜空には星も月も見えない。まるで花火が打ち上がる前に退場したかのようだった。


「ふふっ」

 たこ焼きを口に運んだ愛が表情をほころばせた。

「そんなにおいしい?」

「うん。おいしい」

「一個ちょうだい」

「はいあーん」

「箱ごとちょうだいよ」

 そう言うと、彼女は「つれないなぁ」と微笑んで、容器を手渡してきた。


「でも、嬉しいな」

「何が? うっ、あふっ!!」

「大丈夫!?」

 愛から受け取った水を飲み込み、何とか火傷やけどを回避する。この熱さの食べ物を、よく笑いながら食べれたなと思った。

「慌てて食べるからだよ」

「慌ててなんかないし。で、何が嬉しいって?」

 問うと、愛は愛嬌あいきょうに満ちた笑みを浮かべた。

「中学の頃は、こういうの、無理だったから。誰かと祭りに来るなんて」

「……」

「高校もすごく不安だったけど、咲穂のおかげで結構楽しくやれてるよ」

「愛」

「うん」

「今は、昔の話はやめてさ。楽しい時は、楽しいことだけ考えよう」

「咲穂……」

 そのとき、空に一筋、音を立てて光が上った。速度を徐々に下げて、直後夜空にオレンジの火の花が咲く。大迫力の三尺玉。遠くで歓声が上がる。時間差で爆発音が下りてくる。


「綺麗」

「こんなに綺麗だったっけ、花火って」

「ね」

 次々と夜空に花が咲き誇る。赤、緑、青にオレンジ。空は目まぐるしく変化する。

「来た甲斐かいあったんじゃない?」

 ニヒヒと愛が笑う。火花に照らされたかわいらしいその表情に、胸の奥、ざわざわとさざなみが立つのを感じた。


                             


 花火が打ち終わり、帰路につく人の流れに乗って、私と愛は駅前に戻ってきた。

「今日はありがとうね。咲穂」


 盛谷に住む愛とはここでお別れだ。


「こっちこそ。誘ってくれてありがとう」

「うん」

「じゃあ、また明日ね」

「また明日」

 一緒に祭りを回った割にはぎこちないなぁとは思うが、まぁ私たちらしいかもしれない。改札を通って駅のホームに入る。一度振り返ると愛はまだいて、こちらの視線に気づくと手を振ってくれた。手を振り返した私はやわらぎかけた頬を引き締めて車内に入った。


「はぁ……」


 座席に座ると、今まで気づかなかった疲労感がどっと押し寄せてきた。

 空いた左右の座席にも、誰かの一日分の疲労が座っている。揺れる電車のリズムに、寝入りかけたその時、ポケットの携帯電話が震えた。

「あ……?」

 パスワードロックを解いてメッセージを開くと、愛から画像が送信されていた。

「何……。……あいつ……!」


〈若狭咲穂のあで姿、しっかり写真に収めました〉


 そんなメッセージに添付されていたのは、ほうけた表情で夜空を見上げる浴衣姿の私の写真だった。

「ほんとにもう……」

〈ちゃんと消してよ〉と送信すると、愛は〈絶対消さない〉と返してきた。

 変なところで頑固がんこな人だ。まぁ、別にいいや。

 今更恥も何も別にない。携帯電話の画面を消して目を閉じる。まぶたの裏にうごめいている光が、さっきの花火と重なって見えた。


(今日は楽しかったなぁ)


(またどこかいけるといいなあ)


 本心からそう思う。

 たとえ睡魔すいまに襲われている最中の、起きた時には記憶にないような思考だとしても、そう思えていた時が一番幸せだったのかもしれない。


 踏切を通り過ぎる音がする。

 花火より小さいはずのその音が、やけに耳に残ったのはきっと偶然ではなかったのだろう。

 この時の私には、気付けるはずもなかったが。

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