3.事情
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「できるだけいつも通り歩いてくださいね」
街灯の頼りない路地を、俺とハルは並んで歩いた。向かう先は九十億年前の化石が保管されている研究室だ。
「本来の歴史では、あの化石は何の変哲もない普通の化石でした。先輩は教授に引き止められることなく帰宅。そして深夜一時、忘れ物に気づいて研究室に戻りました」
「ちょうど今頃だな」
「ええ。可能な限り正史をなぞっています。あんなメールを送ってまで先輩に一度帰宅してもらったのもその一環です」
ハルからのメールがなければ俺は喜んで教授の頼みを聞き入れ、研究室で夜通し化石を見張っていただろう。どうやらオリジナルの歴史と違う行動を取るのは好ましくないらしい。
交差点に辿り着く。車どころか人っ子一人いなかったが、俺はしっかりと赤信号で足を止めた。ハルに尋ねたいことが両手じゃ抱えきれないほど残っている。何が疑問なのか自分で把握しきれていないほどだ。
「えっと、何から聞けばいいのか……」
たどたどしく言葉を紡ぎながら、俺は必死に頭を巡らせた。
「地球を作った理由、あの化石が残った理由、あの化石を消さなければならない理由、先輩が手伝う理由の四つですかね」
「……整理してくれて助かるよ」
ハルは先回りして俺の疑問を箇条書きにした。
「長くなるので早送りで失礼しますね。まず地球を作った理由ですが、う〜ん、宇宙人向けのテーマパークを作りたかったってところですかね」
「テーマパーク?」
突如場違いな単語が現れた気がして思わず聞き返してしまった。
「ゴールデンレコード発見後、私たちは地球をシミュレーション上で再現して全歴史を把握しました。それが面白いこと面白いこと」
「面白い?」
「ええ、宇宙全土で大ウケでして。なので実物を作って、体感型のテーマパークとして経営し、一儲けしようというのが弊社のプロジェクトです」
「思ったより俗っぽい理由なんだな」
呆れたものだ。なんとこの星は宇宙人の企業がエンタメ施設として作ったものらしい。そしてハルはその企業に勤める従業員というわけだ。
「このテーマパークの売りは何といっても地球を完全に再現している点です。実は地球だけではなく、宇宙を丸ごと作ったんですよ」
「宇宙を?」
また突拍子もないことを言い出した。
「地球だけ作り直したところで宇宙からの影響を受けて歴史がズレてしまうので。かといって宇宙全体を地球のために作り変えるわけにもいきません。私たちの母星はどうなっちゃうんだって話です」
「地球は結構好き放題されてるみたいだけど」
「はは、それはまあいいじゃないですか」
冗談のつもりではなかったのに笑われてしまった。しかし、本来滅びていたものを作り直してもらえたという意味では充分恵まれているのだろうか。
「ほら、見てください」
ハルは空を指差した。
「あの星も、あの星も、全部私たちの作品です。何億年も前に放たれた光が、今こうして地球に届いた。全て計算通り……のはずです」
星の明かり、電灯、信号機。全てがぼうっと入り混じり、ハルのきめ細やかな肌を照らす。このゾッとするほどの美しさも俺を素直に従わせるための計算なのだろうか。まんまと嵌ってしまったではないか。
「信号変わりましたよ。行きましょう。話の方も進めても?」
「あ、ああ」
ハルに見惚れて停止していた身体に喝を入れ、足を前に出す。
「次はあの化石が存在する理由です。えっと、私たちはどうやって宇宙を作ったと思います?」
「想像もつかないよ」
「3Dプリンターみたいなものを使ったと言えばイメージしやすいですかね」
「宇宙を印刷したってことか?」
「そうです。地球が誕生した四十六億年前の、宇宙の全物質の位置と運動量を算出し、その通りに配置しました。しかも地球の部分にはオリジナルの地球の残骸を使ったんですよ」
「とんでもない技術があるもんだな」
「ええ、技術はあったんです。ですが、予算も時間も限られているたかが一企業には荷が勝ちすぎました」
ハルの表情が暗く沈む。
「印刷、失敗しちゃいました。ごく稀ですが、オリジナルの残骸の情報を書き換える過程でエラーが起こったようで……」
「それで前回の地球の化石がそのまま埋まっていたと」
「そうなんです。ただの古い物質がほんの少し混ざっているだけなら誤差は無視できる範囲だったんですけど、よりにもよって人間が年代測定する部分に当たってしまって」
「バレちゃったな」
「はい。あの化石は人類の歴史認識をひっくり返します。それは科学的な議論を飛び越えて思想や宗教に関する対立に発展するんです。それが巡り巡って戦争勃発の遠因になり……」
「戦争にまでなるのか」
「はい。その戦争のせいで四十三年後に人類は自滅します。これがあの化石を排除しなければならない理由です」
笑えない話だ。人類はプリンターの紙詰まりみたいなことが原因で滅んでしまうらしい。
俺たちは宇宙人の娯楽のために生み出され、宇宙人の失態で死ぬ。勝手なものだ。だが怒りはほとんど感じなかった。怒る資格すらないほどに、俺たちは無力過ぎる。それに、幸いにもその宇宙人は俺たちの滅亡を望んでいないらしい。それが商業的な理由だとしても構わない。安全なルートを指し示してくれるならそれに従うだけだ。
「ここ曲がるよ」
代わりに大学までのルートくらいは案内しよう。もっとも俺なんかより詳しそうではあるが。
「あら、先輩。こんな薄暗い路地に連れ込んでどうする気ですか?」
ハルは悪戯に微笑んで見せる。
「近道なんだよ」
冗談に決まっているし、相手は宇宙人なのに、一瞬で俺の心臓は爆発寸前にまで沸騰した。
彼女の姿形は人間と変わりない。恐らく何らかの技術で変装しているのだろう。しかも俺の好みや性格に合わせるなんてレベルではなく、遺伝子という単位で最適な相方に化けているに違いない。
「月明かりしかありませんね。ふふ、ロマンチックじゃないですか」
「からかうのはやめてくれ」
「からかってなんかいませんよ。これも必要な過程です」
ハルは歩みを止めた。
「先輩、キスしてください」
俺の呼吸が止まった。
「さあ、早く。見ている人間はいません」
なぜ? と問う前に俺の体が反射的に動いた。ハルの薄い両肩にたどたどしく手を置き、精緻にデザインされたご尊顔に俺のみっともない顔を寄せる。
しかし、唇と唇が触れ合うことはなかった。俺の体はハルの体をすり抜けてしまったのだ。
「ふふふ、良い絵が撮れました」
愕然とする俺をよそに、ハルはしてやったりの表情で肩を揺らした。
「これが先輩に協力していただく理由です。こちらの宇宙の物質と私たちの宇宙の物質は一切の相互作用を持ちません。私たちはここで何にも触れられないんですよ」
膝から崩れ落ちそうな俺を置いて、ハルは軽快な足取りで大学に向かう。俺はよろつきながらもワンテンポ遅れてその背中を追った。
「私たちが何かに触れてしまえばそれだけで物質の動きが変化し、歴史の誤差に繋がってしまいます。実はお互い肉眼では見ることすらできないので、専用の3Dメガネみたいなデバイスで仲介しているんですよ」
俺の家の玄関にはやはり鍵がかかっていたのだろう。彼女はきっとドアをすり抜けて入ってきたのだ。
「作っておいて申し訳ないのですが、私たちはこの宇宙に介入できないのです。こういったトラブルを解消するためには、現地人に協力を要請しなければなりません」
「それで俺に……。あの化石の近くにいるからちょうど良かったってこと?」
ハルは頷いた。作ったら作りっぱなしで何も手を加えられないなんて、とんだ構造的欠陥ではあるまいか。
……あれ? いや、おかしい。ハルは俺に手を加えている。記憶を改竄したり、写真やメールを偽造したりしていた。そもそも俺と交流しているというだけでかなりの介入ではないか。声が聞こえるのだって脳に直接語りかけるとかそんなんだろう。
「ルール上できないというだけで技術的には可能です。でも緊急用です」
俺がまだ口に出していない疑問に、ハルはすらすらと答えた。もしかしたら心を読まれているのかもしれない。俺のことは随分好き勝手にいじくりまわすじゃないか。
「例えば、あの化石を本来の年齢に書き換えて、あの化石に関わった人々の記憶を改竄してしまうことも可能です。ですがあまり良い選択肢ではないんです」
「どうして?」
「誤差を修整する行為そのものがさらなる誤差を生んでしまうため、結局影響は大いに残ってしまうんですよ。しかも教授はすでに色んな方に化石の件をお話してしまっているので介入対象が膨大でして……」
教授は化石の発見で相当浮かれていたので、その光景は目に浮かぶようだった。
「もはや『あの化石は確かに存在していたが無くしてしまった』というシナリオにした方がマシなんです。無視できる程度の誤差で済むというシミュレーションの結果が出ています」
かわいそうに、教授。宇宙人の手違いのせいで有頂天から絶望の淵まで急転降下だ。
「ということで、先輩にあの化石を盗んでゴミと一緒に捨ててもらいます」
「あ、俺これから泥棒になるんだ」
犯罪に手を染めるとは聞いていないぞ。教授を突き落とすのは俺の役目なのかよ。と、心の中で呟いてみる。
「ふふ、ごめんなさい。証拠は残しませんから大丈夫ですよ。それに盗んだ記憶も消させていただきます」
また脳をいじくるのか?
「ええ。こちらとしては介入対象を一人に絞った方が事後処理しやすいので助かります」
つまりは全て俺にしわ寄せするという計画らしい。
「さあ、説明は以上です。何か質問はありますか?」
「……」
疑問は解決した気がするのだが、胸の奥でまだ違和感が渦巻いていた。この地球が作られた理由、化石が混入した理由、化石を消す理由、俺が協力する理由。彼女が整理してくれた四項目は全て聞き終えて理解したはずだ。俺にはまだ聞き忘れていることがあるのだろうか?
──いや、というより、もっと根本的な矛盾に気づいていないような、そんな予感がしている。
「ないようであれば何よりです。さて、全部聞いた上で協力してくれる意思に変わりありませんか?」
俺は一考してみる。
「何か報酬があればうれしいけど」
創造主とはいえ宇宙人の都合で俺は泥棒になるのだ。ちょっとくらいご褒美があってもよさそうなものだ。
「報酬……ですか」
ハルは顎に手を当てて思案する。そして、最高の答えを思いついたとばかりに頬を緩ませた。
「ハルが喜びます。やってくれますか?」
それは確かに、最高だった。
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