ミリアム

尾八原ジュージ

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 喪服を着た人々の黒い波の中に、あずさはミリアムの一際背の高い姿をすぐ見つけた。彼女は祭壇に飾られた、犀川弓絵さいかわゆみえの大きく引き伸ばされた写真を、人工の青い瞳でじっと見つめていた。

「ミリアム」

 通り過ぎようとするミリアムに、梓はそっと声をかけた。ミリアムはこちらを向くと、高校の制服を着た彼女の姿をすぐに認識したらしい。人々の間を器用に縫ってすいすいと近づき、梓の前に来ると、その長身に可能な限りの深いお辞儀をした。

「梓ちゃん、この度はご愁傷様です」

「ありがとう。ミリアムこそ……」

 気を落とさないでね、と言いかけて、梓はふと口をつぐむ。ミリアムに「気を落とす」という感覚はあるのだろうか、と疑問に思ったのだ。何となく、彼女には複雑な表現に過ぎるような気がした。

 祖母の弓絵が脳卒中で突然の死を迎えたとき、傍にいたのはアンドロイドのミリアムだった。離れて暮らす梓たちよりも長く一緒にいたはずなのに、今、祖母の遺族として喪主側にいるのは両親と梓で、ミリアムはただの弔問客という立場だ。「一人暮らし」だった祖母の遺体は、梓たちが暮らす家に引き取られてきた。法的に何の権利もないミリアムの立場は弱い。

 身長213センチの長身にすらりとした手足、銀色の長い髪に、もっとも特徴の乏しい――つまりこの上なく整った顔立ちのミリアムは今、黒いジャケットとワンピースを身に着け、「哀しみ」の表情を浮かべていた。葬儀、遺族の前というシチュエーション、加えて犀川弓絵と長く親しい付き合いを続けてきたことなどを鑑みて、彼女はその表情を浮かべているのだ。祖母が昔教えてくれた「ミリアムの中の感情の目盛り」は今、喜怒哀楽の「哀」に大きく振れているのだろう。

「ミリアムはこれからどうするの?」

「しばらくは弓絵の家で後片付けなどをしますが、25日に国連軍の方が私を回収にきます。その後はそちらに」

 ミリアムは静かな落ち着いた口調で「回収」と言った。

 25日。あと一週間しかない。軍の施設に引き取られたら、もう彼女と簡単に会うことはできないだろう。

「梓ちゃん、よかったら遊びに来てくださいね」

 梓の心を読んだかのように、ミリアムはそう言って唇に微かな笑みを浮かべた。彼女の「感情の目盛り」がほんの少しだけ「楽」に振れたことが、梓にははっきりと見えるような気がした。

 ミリアムは梓の前で、もう一度祭壇を振り返った。

 除隊後、祖母は大学の講師として多くの生徒を受け持っていたから、弔問客は多い。軍に所属していた頃の知り合いと思われる目つきの鋭い老人も、何人か見かけている。彼らのしめやかな態度と、祭壇の写真を見比べるミリアムの唇に、ふたたび微かな笑みが灯る。

「梓ちゃん、弓絵は美しいですね」

 黒い額縁に納められた祖母の遺影は、確か傘寿の祝いのときに撮られたものだ。銀鼠色の着物を着て、総白髪をきちんとアップにまとめた彼女の顔には、左側に大きな火傷の痕があり、視力を失った左目を眼帯で隠している。戦争の爪痕をその体に残しながら、犀川弓絵は目尻に皺を寄せて微笑んでいた。

 その遺影を見つめるミリアムの瞳を、梓は星空を見上げるあどけない子供のようだと思った。


 人間ほど複雑で精密なものではないにしろ、アンドロイドに感情を持たせたこと。それは国際連合軍所属の技術者であった祖母の、特筆すべき功績だった。

 昔、祖母にごくやさしい説明を受けたことを、梓はまだきちんと覚えている。いわく、祖母はまず、アンドロイドに喜怒哀楽に恐怖を加えた「感情の目盛り」を持たせた。これに膨大なシチュエーションに関するデータを照らし合わせることで、アンドロイドはその時々に適した数値をはじき出し、その割合によってもっとも最適と思われる表情、行動、言葉を発することができる。

 たとえばプレゼントをもらったとき、アンドロイドの「感情の目盛り」は「喜=50 怒=0 哀=0 楽=50 恐怖=0」と割り振られる。やっぱりあげない、と取りあげられたら、それは「喜=0 怒=60 哀=40 楽=0 恐怖=0」に変化するだろうし、包装紙の中でカサコソと異様な音がしたら、「喜=40 怒=0 哀=0 楽=40 恐怖=20」と振り直されるかもしれない。

 はじめ不要とも思われたこの研究は、結果として戦場におけるアンドロイドと人間、双方の生存率を引き上げるという、目覚ましい成果をもたらした。

「怖いとか、緊張するとか、悔しいとか、勇気を振り絞るとか……そういう人間らしいことが、実はとても重要だったの」

 そう言いながら梓の頭を撫でる祖母の傍に、ミリアムはいつも佇んでいた。梓が物心ついた頃には祖母はすでに除隊となって久しく、ミリアムが対人戦闘型アンドロイドとして戦場を駆けまわっていた時代は、すでに歴史の一部になりつつあった。

 ミリアムはごく初期に作られた、いっそプロトタイプと言っていいような機体である。彼女の後に作られた機体にはもっと性能がよく、より人間に近い感情の発露を持つものも多い。

 それでも祖母が手元に置き続けたのは、ミリアム一体だけだった。特注の椅子に座らせて銀色の髪を梳り、食卓に並んで話しながら食事をとった。むろん用意される料理は祖母のものだけだった。ミリアムは電力によって動くのだ。

 幼い頃から、梓は祖母の暮らす一軒家を訪れるのが好きだった。祖母のことが好きなのはもちろんだが、そこにミリアムがいるということも、頻繁な訪問の理由になっていた。

「おばあちゃん、ミリアムはきれいね。お姫様みたい」

 梓が目を輝かせて言うと、祖母は嬉しそうに「そうでしょう」と微笑んだ。

 梓は何度も拙い手紙を書いて、ミリアムに手渡した。背の高い彼女にあわせて梓は精一杯背伸びをし、ミリアムは反対に身を屈めて手を伸ばす。手紙を受け取ったミリアムの「感情の目盛り」が動いて「喜」にふれ、ニュートラルだった表情が嬉しそうなものに変わる。その作られた動きさえ、梓は何よりも美しいものだと思った。

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