第55話 神々は遺跡の地下で乱舞する

 神と魔物の戦いは、長らく続いた。神々を相手に、魔物たちが粘り強い抵抗を見せたからだ。

 空中を縦横無尽に飛び回る獅子鷲グリフォン獅子女スフィンクス獅子山羊キマイラ放火鬼アイレンは口から火を噴き、蠍人間ギルタブリル人面獣マンティコラは尻尾から毒針を撃ち出す。蛇髪女ゴルゴンは石化の眼光を放ち、水魔グレンデルは鱗に覆われた太い腕を力任せに振り回した。

 だが、いかんせん戦う相手が悪すぎる。不老不死にして全知全能、地上の住人たちからそう見なされてる種族が相手じゃ、いくらなんでも分が悪い。

 それくらい、天上の権力者たちは強かった。


「どうした魔物ども、わしの強さに恐れをなしおったか!」


 禿頭の巨人――正確にゃ巨人に身をやつした神が、群がる敵を薙ぎ倒す。神の両手に握られてるのは、勢い激しく火花を散らし、硫黄の臭いを漂わせる白熱の撥だ。

 巨神が筋肉隆々の腕を高々と掲げ、裂帛の気合を入れて打ち下ろせば、手にした撥が一閃。魔物の脳天に炸裂し、まるで鶏の卵でも割るように、易々と頭蓋を打ち砕く。そればかりか、真っ白な稲妻がたちまち魔物の五体を駆けめぐり、真っ黒に焼き焦がしちまう。

 あれが、嵐を呼ぶ天の暴君、雷神ゴドロムその人なのか。


「ふん、他愛ない! 大悪魔の屍から生まれた貴様らの先祖どもは、我ら神々が怖気を振るうほど強大であったというのにのう。貴様ら魔物も堕ちたものよ……」


 二本の撥を交互に打ち振るい、猛り狂ういかずちの王。暗雲めいた灰色の襤褸をなびかせ、魔物の群れを革の短靴サンダル履いた足で蹂躙していく様は、身の毛がよだつほど恐ろしい。けど……稲妻がぴかりと閃く度に、禿げ上がった頭もつられてぺかりと輝くのがご愛嬌で、おっかねえ反面、どことなく滑稽な感じがする神様だ。

 怒れる雷帝の傍らでは、真っ青な髪を海藻さながら振り乱した偉丈夫が、魔物たちを虹色に輝く投網でからめ取り、青黒い銛で次々と突き殺してる。


「雑魚どもめが。おぬしらごとき、我が輩一人で一網打尽にしてくれようぞ!」


 隆々と盛り上がった肩の筋肉を、寄せては返す波のようにうねらせて、益荒男ますらおが吠え猛る。怒涛の響きにも似たその大音声に応えるかのように、男の周囲じゃ何本もの水柱が床を割って噴き上がり、天井近くまで飛沫を跳ね上げてる。

 海のおとこらしい粗野な物言いと漁師風の身なり、あたりに漂う磯の香りから、大海原を統べる王、海神ザバダだとわかった。


「わーっはっは! 今日も今日とて大漁ぞ♪ だが、このような小魚ばかりではもの足りぬ。もっと釣り応えのある大魚はおらぬのか!」


 他の神々も、ゴドロムやザバダに劣らず強いのなんの。妖精エルフの姿をした神――おそらく風神ヒューリオスだろう――は、白い外套マントをはためかせて空中高く飛び上がり、短剣一本で獅子鷲グリフォンを圧倒してる。小人ドワーフの姿を借りた軍神ウォーロと思しき神は、諸刃の戦斧を振り回し、蠍人間ギルタブリルに猛打の雨を浴びせてる。大地母神トゥポラの化身らしい、浅黒い体に大蛇の皮を巻きつけた大柄な女にいたっては、素手で人面獣マンティコラの首を締め上げ、今にも骨をへし折ろうとして……あ、折れた。

 神々は皆、魔物なんざまったく脅威と思ってねえようだ。初めのうちこそ怪物たちと真っ向勝負をしてたものの、そのうち「もう飽きた」と言わんばかりに手を抜き出した。今じゃもう、いかにも余裕綽々って感じで、遊び半分に戦ってるようにさえ見える。なにしろ戦いの最中に、飲めや食べろやの大騒ぎを始めるくらいだからな……。


「み~んな~♪ 実はチャパシャ、こっそりお酒持ってきてるんだよ~♪ お水で割るから~、飲みた~いって人、手ぇ挙げて~♪」

「おうおう酒ぞ、生命いのちの水ぞ!」

「私に一杯」「わしにも寄こせ!」「我ももらおう」「わらわも所望じゃ!」

「おやつもあるよ~♪ みんなが大好きな蜂蜜のお菓子と~、林檎に甘橙オレンジ、杏に葡萄♪ 柘榴に無花果、桜桃さくらんぼ♪」

「おお! よぅし皆の者、魔物なんぞ適当にあしらって、いざ酒盛りといこうではないか!」

「「「「「異議なし、賛成!」」」」」


 指で突けばぷにっと音がしそうなほっぺたをした、きわどい薄着の女の子――どうやら水の女神チャパシャみてえだ――が、どこからともなく取り出した黄金の杯に、両手で抱えた水瓶の中身をたっぷりと注ぐ。満たされた大杯と、蜂蜜菓子や果物が山と盛られた白銀の大皿が、神から神へと手渡される。

 そのうちに、誰が歌い出したか、こんな歌が聞こえてきた。



「いざ注げ、麦酒に葡萄酒、蜂蜜酒!

 こぼれんばかりに満々と、あふれんばかりになみなみと♪

 だからと言ってこぼすなよ? おっとあふれる、もう結構!

 酒は満ちたか杯に? 用意はいいか皆の者! それでは宴を始めよう♪

 杯掲げていざ乾杯、我らが永久とわの栄光に!

 のどを潤す美味し酒、息もつかずに飲み干せば、後は自由な無礼講♪

 飲みかつ食らえ、腹一杯! 甘い蜜菓子、酸っぱい果実、たらふく詰め込め、空き腹に♪

 甘いもいも噛み分けて、味わい尽くせ、人生を!

 渇きと飢えが癒えたなら、浮かれて騒いで楽しもう♪

 己の生きる意味なんぞ、悩んだところでなんになる?

 親しき者と肩を組み、愛しき者と手を繋げ!

 歌って踊って笑い合い、至福の一時謳歌せよ♪」



 どうも神々は、飲むことと食べること、それに歌と踊りが大好きみてえだ。連中、歌が盛り上がるにつれ、一人、また一人と踊り出しやがった。なんでそこで踊り出す――そう突っ込みたくなるくらい、唐突に。

 歌に合わせて手拍子打って、床を盛んに踏み鳴らす。疾走感あふれる情熱の律動リズムにのって、手を振り、首を振り、腰を振り、ボンボコ、ボンボコ跳ね踊る。襲ってくる魔物たちを片手で軽くあしらいながら。

 俺は吟遊詩人トルバドゥールじゃねえから、巧拙についちゃとやかく言えねえが、生き生きした歌と雄渾な踊りだ。豪快に飲み食べ笑い、宴に興じる神々の歓喜と、満ち足りた幸福感が伝わってくる。


「ねえねえ、そこの人間さん♪ そっちの妖精さんと魔女さんも~、チャパシャと一緒にお酒飲もうよ♪」


 俺たちに興味を持ったんだろうか。河と泉、雨を司る女神様が声をかけてきた。水色の髪を揺らし、抱えた水晶の瓶をちゃぷんと鳴らして、こっちに愛くるしい笑顔を向けてくる。


「お水で割ってあるから飲みやすいよ~、はい一杯♪」


 水瓶から漂ってくるのは、醗酵した葡萄の甘い香り。どうやら、水で薄めた葡萄酒ワインらしい。


「えぇっ? 俺たちゃ今、それどころじゃねえんだが……」

「堅いこと言わないで~、ほら一杯、一杯♪」

「おっぱい、おっぱい!」


 突然チャパシャの背後に現れた青年が、女神のおっ……もとい胸に手を回し、未成熟なふくらみをもみもみと揉みしだいた。


「やぁん♪ ガルちゃん、チャパシャのおっぱい揉まないでよ~!」


 水の女神がくすぐったそうに身をよじり、恥じらいと悦びの入りまじった嬌声を上げる。


「はっはっはぁ! いいじゃねぇかぁ、別に減るもんじゃねぇんだからよぉ!」


 獣のような顔つき、狩人みてえな格好をした、森の神ガレッセオらしき青年は、そう言ってチャパシャから水瓶を取り上げた。持ってた杯に、勢いよく葡萄酒を注ぎ込む。注ぎ終わったところで、にっと相好を崩し、口の端に白い牙をちらつかせて、俺に杯を差し出した。


「そら人間、てめぇも一杯、景気づけにぐいっとやりなぁ。今時、神と地上の種族が酒飲んで語らうなんざぁ、滅多にあることじゃねぇだろぉ?」

「いや、だから、その……」


 俺が両手を振り振り、森の神に勧められた酒を遠慮すると、


「ぬぁに? 貴様今、我らの酒が飲めんとほざいたか? けしからん! まことにもってけしからん! ここが海であれば、即刻大海魔クラーケンのえさにしてやるところぞ!」


 海神ザバダが気分を損ねたらしく、声を荒げてからんできた。潮の臭いがする息を吐き吐き、しきりに「けしからん!」を連発する。そんな海の神を、水の女神がたしなめた。


「まあまあザバちゃん、カッカしないで楽しくやろうよ~♪ ガルちゃん、音楽お願~い♪」

「おうパシャ、俺様に任せなぁ!」


 ガレッセオが、懐から葦笛を取り出し、吹き鳴らす。軽快な調べがあたりに響き、他の神々が手拍子打って調子を取った。曲の律動リズムに合わせた力強い足踏みが床を揺るがし、空気を震わせる。さっきのとは別の歌が、葦笛と手拍子と、勇壮な足踏みの響きにのって始まった。



「我らは神々、世界の主! 天空の都ソランスカイアに住まう者♪

 天災操り、運命定め、地上の種族を支配する!

 驚け、おののけ、ひざまずけ♪ 大地にひれ伏し、あおぎ見よ!

 おぬしらか弱き地上の種族♪ 妖精エルフ小人ドワーフ巨人ジャイアント! 死すべき定めの人間ども♪

 汝ら知るや、我らが力? 日照りに稲妻、大噴火♪ 竜巻、吹雪に大洪水!

 すべてが我らの意のままに、起こりて敵を打ち倒す♪

 我らは神々、世界の主! この世のすべてを統べる者♪

 恐れるものは何もなく、逆らう者には容赦なし!」



 神々はもう魔物なんざそっちのけで、歌え踊れのどんちゃん騒ぎ。歌いながら何度も乾杯し、

 踊りながら甘美な蜂蜜菓子やみずみずしい果物を味わう。その間、神々の周囲じゃまさに奇跡としか思えねえことが次々と起こり、近づく魔物たちを退けた。

 おっさんと同様、神々はいちいち呪文なんざ唱えなくても魔法を使えるらしい。稲妻がのどをごろごろ鳴らして跳ね回り、激流が飛沫を振りまいて渦巻く。目も開けられねえ暴風が吹き荒れたかと思えば、激震が床を打ち割り、壁に亀裂を走らせる。天井をぶち破って無数の木の根が飛び出し、意思を持ってるかのように激しく、激しくのたうつ。

 強力な――あまりにも強力な魔法に阻まれて、魔物たちは神々に近寄ることさえできねえ。

 危険を冒して近づこうとした奴は、例外なく返り討ちに遭った。

 獅子山羊キマイラは稲妻に打たれて黒焦げに、放火鬼アイレンは激流に呑まれてずぶ濡れに。空飛ぶ獅子鷲グリフォン獅子女スフィンクスは暴風にあおられ、真っ逆さまに墜落。人面獣マンティコラは激震でできた床の割れ目に転げ落ち、蛇髪女ゴルゴンは木の根に捕まってぐるぐる巻きにされちまう。

 今や魔物たちは、神々をどうすることもできず右往左往、ただおろおろとうろたえるばかり。奴らの中で今の状況に動じてねえのはただ一匹、大広間の奥に居座るドラゴンだけだ。あいつにかけられた眠りの魔法ってのは、よっぽど強力なもんらしい。これだけ周囲が騒々しくても、やっぱり我関せずとばかりに熟睡してやがる。

 ……あのドラゴン、この場にいる意味あるのかよ?

 まあ、それはさておき。大広間の片隅に難を避け、神々の遊び……もとい戦いを呆然と眺めてた俺は、不意に肩を叩かれ、我に返った。

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