第54話 おっさん一家の正体

「た、多分もうすぐですよ。だから、そんなに急かさないでください。それにぼくのことは、地上じゃアステルって呼ぶ約束でしょう?」

「そんな約束、とうの昔に忘れましたわ。それより、急がないとまた主人に逃げられてしまうじゃないですの。もっと早く歩きなさい」

「い、いたたた! 息子を小突いて無理やり道案内をさせるなんて、ひどすぎます」

「あら、獅子女スフィンクスは我が子を千尋の谷に突き落として育てますのよ? それに比べればこの程度、生ぬるいくらいですわ」

獅子女スフィンクスって……比べるものが間違ってます!」

「それなら因果応報、わたくしに逆らった当然の報いと思いなさい」

「そ、そんなぁ……」

「なにが『そんなぁ』ですの。先程はあなたの邪魔が入ったせいで、主人に逃げられてしまいましたのよ。このくらいの報いは受けてしかるべき、そうは思いませんの?」

「なに言ってるんですか! 母さん、父上を後ろからばっさり斬ろうとしてたじゃないですか。ぼくが止めなきゃ、いくら父上でもどうなってたか……」

「まったく、口数の減らない子ですこと。親に口答えする悪い子には、おしおきですわ」

「わあぁっ、痛い痛い! 母さんやめてください、ほっぺたつねらないでくださいよ……!」

「……まったく、このような地の底まで追ってくるとは。そこまでして私を連れ戻したいのか、あの性悪女は」


 おっさんが、呆れ顔でうなった。その間にも、足音と話し声はこっちへ近づいてくる。


「もう、時間がかかりすぎですわ。さてはロフェミス、わたくしが方向音痴なのをいいことに、間違った道を選んでいますわね? わたくしを、主人やフランメリック様たちに会わせまいと……」

「ひ、人聞きの悪い。ぼくだってこの宮殿に入るのは初めてなんですから、迷って当然です」

「相変わらず嘘をつくのが下手ですこと。ここへ来るまで、罠と仕掛けが盛りだくさんだったじゃないですの。あれはあなたが、わざとそういう道を選んでいるからではありませんの?」

「違いますってば! どうして母さんはいつもそうなんですか? ぼくの話なんて全然聞いてくれないし、信じてもくれない。ぼくは母さんのそういうところが……」

「あら、明かりが見えてきましたわね。急ぎますわよ、ロフェミス」

「あ、ちょっと! 待ってくださいよ母さん、まったくもう……!」


 緊張感皆無ゼロのかけ合いをしながら現れたのは、あの凸凹でこぼこ親子。おっさんの奥さんと三男坊だ。例によって従者たちを引き連れ、大広間に踏み込んでくる。


「おうおうおう! これはまたすごいところに出たのう、ヒューリオス!」

「ええ、ゴドロム。壁や床、果ては天井までもが浮き彫りレリーフで埋め尽くされた大広間。なんとも浪漫ロマンを感じますねえ」


 禿頭の巨人と、青みがかった銀髪の妖精エルフ


「…………ザバダ、ウォーロ。あれを見なさい」

「おお、あれは……ドラゴンぞ! しかも、今の世では滅多に見かけぬ巨竜ではないか!」

「うーむ、確かに。わしの戦斧にかなうものか、試してみたいものじゃ。大方お前さんも似たようなことを考えておるのじゃろう、トゥポラよ」


 土色の肌をした大女と、青い髪の偉丈夫。それに、両刃の戦斧を背負った黒髭の小人ドワーフ


「ガルちゃん、ガルちゃん、早く来て♪ 宝物だよ宝物! 指輪に留め針ブローチ首飾りネックレス♪ 腕輪ブレスレット耳飾りイヤリング! み~んなきらきら光ってきれいだよ♪ チャパシャもあんなの、一つ欲し~い!」

「あぁこらパシャ、そんなに急かすなってぇ……!」


 ぷにぷにのほっぺたが愛らしい、水瓶を抱えた女の子と、獣じみた顔立ちの野性味あふれる青年。その他、個性豊かな面々が、続々と広間に入ってきた。

 数々の障害をくぐり抜けてきたとは思えねえ、あのお気楽な雰囲気! まるで、物見遊山にでも来たかのようだ。

 一行の先頭に立つリアルナさんとアステルは、ほとんど同時に俺を見た。そして、親子だけあってよく似た顔に、片や冷ややかな微笑を、片や温かな微笑みを浮かべてみせる。


「あらあなた、それにフランメリック様。ご無事で残念ですわ。途中で落とし穴でも落ちて、お亡くなりになっていればと期待していましたのに」

「またお会いできましたね。ご無事で何よりです、フランメリックさん。父上や他の皆さんも、お怪我はありませんか?」


 本当に正反対だな、この親子。けど、この二人もやっぱり――?


「察しの通り、神だ。リアルナ、アステルとは世を忍ぶかりそめの名。真の名はセフィーヌとロフェミスだ」


 奥さんは月の女神で、三男坊は星の神だって……? 本当かよ。


「嘘ではありませんわ」


 俺の心を見透かしたかのように、リアルナさんがさらりと言ってのけた。


「わたくしは神々の女王、月の女神セフィーヌ。黒き貴婦人服ドレスで夜の世界を覆う者であり、月を第三の目とする者。そして、あなた方地上の住人が世界の支配者と見なしている者ですわ」


 淀みなく話すリアルナさんの体が、皓々と光り輝いた。大理石の彫像めいた細面に、人ならざる者の、威厳と気品に満ちた表情が浮かぶ。

 この雰囲気。こいつは本物だ。おっさんと同じ、本物の神様だ。


「……さて、赤長衣ローブの魔法使い君」


 神々の王が、改めてカリコー・ルカリコンに視線を向けた。


「私が地上の住人たちに魔法の武器を授けたのは、魔物から身を守るのに役立ててもらうためだ。君のような小悪党の玩具おもちゃにするためではないよ」


 魔法使いに向けて、すっと右手を差し出す。掌を、上にして。


「返してくれたまえ、今すぐに」

「う、うぅぬぬぬッ! おのれおのれ、おぉのぉれえぇ!」


 カリコー・ルカリコンは、わななき、うめき、怒鳴り散らした。


「神々を味方につけて、勝ったと思ったら大間違いですよ殿下! 私には、まだ神授の武器が――〈焼魔の杖メラルテイン〉があるのですから。それに……」


 奴の背後で、魔物たちが一斉に咆哮する。


「そうです! 〈操魔の指輪ソロンティロス〉の力で呼び寄せた、これだけの魔物がいるのです。神々が相手であろうと、そう容易くは負けませんよ!」

「あら、あなたはウルフェイナ様の……なんでしたかしら?」


 リアルナさんが、さっきまで姫さんの腹心だった男を見て、つぶやきを漏らした。艶やかな銀髪を指ですきながら、首をわずかに傾げてみせる。


「どういう事情か存じませんけど、わたくしたちに挑むつもりですの? おやめになった方が身のためですわよ?」

「きえぇえぇえぇッ!」


 もはや問答無用とばかりに、金切り声を上げる魔法使い。その取り乱した様子を見て、黒い貴婦人レディは冷たく笑う。


「――身の程知らず。フランメリック様たちもろとも、冥界送りにして差し上げますわ」

「母さん! フランメリックさんたちは――!」

「あなたは引っ込んでなさい、ロフェミス」


 リアルナさんが、何か言おうとする三男坊を片手で制し、大鎌の石突きで床を打つ。すると、二人の後ろに控えてた従者たちが、ぞろぞろと前に進み出た。


「私たちに挑むとは、よほど死に急いでいるようですねえ」

「まあ、退屈しのぎにはちょうどよかろうて」

「そうそう、暇潰しにはもってこいじゃねぇかぁ。軽くひねってやるぜぇ!」


 見た目は人間や妖精エルフ小人ドワーフや巨人の男女十数人。連中の体が、神々しく輝き出す。旅装束が溶け去るように消え失せ、その下に着込んでたらしい、一人一人異なる衣装があらわになった。


「なんてこった……あんたたちも、神様かよ」


 冒険者の奥さんに仕える従者たちなんて、おかしな奴らがいるもんだと思ってたが、本当は天界の王妃に従う臣下たちだったわけだ。

 軽いめまいを覚えて、俺はよろめいた。天空の都ソランスカイアに住み、大地に恵みと災いをもたらす絶対者たち。親父に死の運命を与え、俺をデュラムやサーラとめぐり合わせた奴らが今、目の前にいる。これは……驚かずにゃいられねえ。


「さっさと失せるがよい、地上の虫けらども」


 従者たち――いや、神々の中でも一際目立つ禿頭の巨人が、俺たちを見下ろして傲然と言い放った。


「わしらは貴様らなど歯牙にもかけぬが、我らが女王はうぬらの首を所望しておる」

「しかり。命が惜しくば疾く逃げ去ることじゃ。狩人に追い立てられる兎のようにのう」


 と、鎧兜に身を固めた小人ドワーフも、黒髭しごいて、にやりと意地の悪い笑みを見せる。


「ここから先は、私たち神々の舞台。あなた方地上の種族が出る幕などありませんよ」


 青みを帯びた銀髪の妖精エルフも、小馬鹿にするような口調でそう言った。


「――さあ、遠慮はいらぬ。かかってくるがよい、魔物ども!」


 話は終わりだとばかりに、禿頭の巨人が雷鳴さながらの咆哮を轟かせる。


「世界を統べる我らが力、思い知らせてくれるわ!」


 次の瞬間、魔物が雪崩をうって攻め寄せ、神がそれを迎え撃つ。

 戦いが始まった。神話や伝説の中で語られる、神々と魔物たちの戦いが。

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