フェルナース神話―冒険者フランメリックの物語―

第52話 あんた、そんなに悪い奴にゃ見えねえし

「危ねえ姫さん！　ああっ、くそ！」

　俺が走り出すのと、〈焼魔の杖（メラルテイン）〉から火の玉が飛び出すのは、ほとんど同時だったと思う。足はあっちの方が速いが、姫さんとの距離はこっちの方が短い。

　間に合う……間に合うか？　いや、間に合え！

「だあぁあぁーッ！」

　ぎりぎり間に合った（セーフ）！　火の玉が命中するより一瞬早く、姫さんを突き飛ばす。火球は俺の背中をかすめて通り過ぎ、壁に激突。太陽神（リュファト）の浮き彫り（レリーフ）を黒焦げにした。

「いっててて……姫さん、大丈夫か？」

　擦りむいた腕の痛みをこらえつつ、俺は姫さんを助け起こした。ついでとばかりに、乱暴に突き飛ばしちまった無礼をわびる。

「……お、お前……？」

　姫さんは「異国人（とつくにびと）」に助けられたことが信じられねえようだった。床にぺたんと座り込んだまま、翡翠（ジェイド）の瞳を真ん丸にして、まじまじとこっちを見つめてくる。

「なぜだ異国人（とつくにびと）？　なぜ私を助けたっ？」

「異国人（とつくにびと）じゃねえよ、俺はメリック。フランメラルドの息子フランメリックだ」

　姫さんの前に片膝ついて、今さらながら名乗る俺。

「お前の名前などどうでもいいっ！　それよりなぜ助けた？　私は、お前たちの敵だぞっ！」

「そんなこと言われてもな……」

　頭をぼりぼりかきながら理由を考えてみるが、なんで助けたのか、自分でもよくわからねえ。あいにく俺は、ただの剣術馬鹿だからな。あれこれ考えるより先に、体が勝手に動いてたんだ。

「まあ、あえて言うなら……あんたに死んでほしくなかったから、だろうな」

　あまりに単純すぎる理由だが、太陽神リュファトにかけて、この気持ちに偽りはねえ。

　俺の親父は三年前のあの日、カリコー・ルカリコンに裏切られて死んだ。自分の死は神々によって定められたことなのだ、とかなんとかうそぶいて、冥王（ヴァハル）の許へ逝っちまった。

　この姫さんは、親父とそっくりだ。国や民のために努力を惜しまねえところとか、信じてた奴に裏切られたところとか。けど、いくら似てるからって、最後まで親父と同じ道をたどってほしくはねえ。助けたのは余計なお世話、善意の押しつけだったかもしれねえが……それでもこの人にゃ、生きてもらいたかった。

「あんた、そんなに悪い奴にゃ見えねえし……ついでに言うと、きれいだしさ。こんなところで殺されそうになってたら、放っちゃおけねえよ」

「異国人（とつくにびと）……」

「おお、なんとなんと。ついさきほどまで敵であったフェイナ様を、身を呈してかばうとは。殿下、貴方も愚かな方ですな」

　そんなことを言いながら、魔法使いは俺と姫さんに、侮蔑の念もあらわな目を向けてくる。

「……カリコー」

　かつての腹心にそんな目で見られて、姫さんは傷ついたようだ。

「魔法使い、てめえ……！」

　この姫さんは、神授の武器を手に入れようと、自らシルヴァルトの森まで足を運んできて、危険をかえりみず〈樹海宮〉に踏み込んだ。神授の武器に秘められた力で国を救い、民を守るためにって――その気持ちは多分、本物なんだろう。

　目のやり場に困るきわどい格好してたり、異国人（とつくにびと）におかしな偏見持ってたりと、突っ込みを入れてえことは山ほどあるけどさ。少なくとも、目標に向かってがんばる人だってことはよくわかる。

　それに引き替え、あの下衆（ゲス）野郎ときたら。

「てめえはなんだ、カリコー・ルカリコン！　いい年の大人が、そんな玩具（おもちゃ）みたいな安っぽい杖振り回して、子供（ガキ）みてえにはしゃぎやがって。あんた、一体何やってるんだよ！」

　なにが神授の武器だ。神の手でつくられた魔法の武器だって？　そいつは、人の努力や信頼踏みにじってまで手に入れなきゃならねえような、そこまで価値のあるもんなのかよ。

　そんなはず、ないじゃねえか……！

「玩具（おもちゃ）のような、安っぽい杖、ですと？」

　カリコー・ルカリコンが、ぴくりと眉を動かした。その顔が、強い蜂蜜酒（ミード）でもあおったかのように、みるみる朱に染まる。

「我が主、メラルカ様がおつくりになったものを、玩具（おもちゃ）呼ばわりするとは許しがたい。万死に値しますよ、殿下！」

　まずい、怒らせちまった。あの野郎、また火の玉を撃とうとしてやがる。

「メリック！」

「危ない、逃げて！」

　サーラの介抱を終えた妖精（エルフ）と、奴のおかげでどうにか持ち直したらしい魔女っ子が、こっちへ駆けつけようとする。だが、群がる魔物に邪魔されて、前に進むこともままならねえようだ。

「メラルカ様にかけて、これで終わりにしましょう殿下、フェイナ様！」

　やべえ、火の玉が来た！

「――異国人（とつくにびと）っ！」

　多分、恐怖に衝き動かされたんだろう。姫さんが固く目を閉じて、がばっと俺に抱きついてきた。背中に両腕を回されて、しゃにむにしがみつかれちまう。

「お、おい姫さん……ッ！」

　豊かな胸のふくらみを、むぎゅうっとほっぺたに押しつけられる俺。ほとんど裸に近い格好の女の子にこんなことをされるなんて、男としちゃ嬉しすぎる状況（シチュエーション）だ。けど、今はそれを喜ぶ余裕なんざあるはずもなく。

　やむなく姫さんを床に押し倒し、その上に覆いかぶさるようにして、かばった。

　火球と床の間には、人間一人が腹ばい、またはあお向けになってくぐり抜けられそうな隙間がある。だから、これで少なくとも姫さんは助かるって寸法だ。俺は……運がよくても全身に大火傷、運が悪けりゃ消し炭にされちまうだろうが、こうせずにゃいられなかった。

　姫さん一人をこの場に置き去りにして、自分だけ逃げるなんざ、できねえから。

「……っ！」

　火球が飛んでくる。間近に迫った死神と向き合う勇気がなくて、思わず目を背けちまった。ちくしょう……情けねえ。

　火球はうなりを上げつつ飛んできて、俺に命中……！

　…………ありゃ？　命中しねえぞ？