第35話 仇敵は魔法使い

「こうしてお会いするのは三年ぶりですな。イグニッサ王国第二王子、フランメリック殿下」

「てめえは、まさか――?」


 奴を指す俺の指先が、わなわなと震える。


「カリコー・ルカリコン……!」


 デュラムやサーラ、向こうでふんぞり返る姫さんと、配下の戦士たち。口喧嘩を続けるリアルナさんとアステル。それに、おっさん。周囲の人影が、魔法にかけられたかのように一瞬でかすむ。目の前にいる赤長衣ローブの男以外、何も見えなくなった。



 ――いいか、息子よ。落ち着いて、よく聞け。魔法使いカリコー・ルカリコンが私を裏切り、反乱を起こした。



 あの夜聞いた、親父の言葉が脳裏に浮かび、過去の記憶が一気によみがえる。この三年間、冒険に熱中することで頭の片隅に追いやってた、暗い記憶が。

 そう。こいつは俺の親父に仕えてた宮廷魔法使い。三年前に反乱を起こし、親父を冥王ヴァハルの許へ送った奴だ。一言で言うなら、親父の仇。

 あの慇懃な猫なで声を聞いた時点で、なんで思い出さなかったんだよ? 自分の忘れっぽさが、今さらながら恨めしい。


「てめえ……」


 最初、頭の中を占めてた驚きは、やがて怒りに取って代わられる。秘密の工房で錬金術師がかき回す大釜の中身みてえに、はらわたがぐらぐら煮え繰り返った。

 そして――。


「てンめえええええッ!」


 俺は剣を振り上げるなり、軍神ウォーロに激情を吹き込まれた狂戦士さながら、魔法使いに斬りかかる。

 たとえ神々への憎しみは捨てられても、親父を殺したこいつだけは、絶対に許せねえ!


「おやおや、乱暴ですな」


 この間合いだ。目をつぶってたって外れっこねえはずだったんだが……俺が斬りつけるより一瞬早く、親父の仇は呪文を唱えた。長衣ローブの裾がひるがえり、奴の姿が煙みてえにかき消える。剣はむなしく空を切り、風に悲鳴を上げさせた。

 ちくしょう……あの野郎、魔法を使いやがった!


「便利なものでしょう? 身にまとい、呪文を唱えるだけで姿を消すことができる魔法の長衣ローブでしてな……」


 からかうような口調でそう言って、〈樹海宮〉の入り口前に姿を現す魔法使い。


「実を申しますと、このカリコー・ルカリコン、昨日の朝もこれを着て、殿下がお食事の席に着かれるところを密かに見ておりましてな。あのとき、殿下は私の視線にお気づきになられたようでしたが、仲間のお二人はまったく気づかれませんでしたな……」


 俺をあざ笑うかのように、魔法使いは掌を返し、くいくいと手招きしてみせる。

 来るなら来い、そう言わんばかりの挑発だ。


「てめえ……待ってろ! すぐそっちへ行って、今度こそ――」


 その脳天、柘榴みてえに叩き割ってやる。

 だが、剣を構えて駆け出そうとしたところで、俺は誰かに肩をつかまれた。


「ちょっと待ちなさいよ、メリック!」


 サーラだ。事情が呑み込めてなさそうな顔して、こっちを見てる。


「どういうこと? あの魔法使い、あなたの知り合いなの? 一人で突っ走らないで、あたしやデュラム君に説明を――」

「そんな暇はねえ!」


 こんなときに、なにのんきなこと言ってんだ、こいつは! 

 サーラの姉貴面が、いつもよりずっと鬱陶しく見えた。怒りに任せて怒鳴りつけ、肩に置かれた手を振り払う。


「他人のお前にゃ関係ねえことだ、引っ込んでな!」


 俺は普段、言葉遣いこそぞんざいだが、他人ひとを傷つけることは絶対言わねえようにしてる。太陽神リュファトにかけて、本当だ。それが礼儀ってもんだと思ってるからな。

 けど、今は理性がどこかへ吹っ飛んじまってるせいで、淑女レディにそういうことを言うのは無礼だとか、そんなことは全然考えなかった。


「メ……メリック?」


 サーラの顔にはっきりと、驚きとおびえの表情が浮かんだ。ぱっちりした藍玉アクアマリンの瞳が、さらに大きく見開かれる。まるで、見ず知らずの相手を見てるような目だ。

 そんな目で見られて、ようやく理性が戻ってきた。怒りと入れ替わるように、罪悪感と自責の念が込み上げてくる。


「あ……す、すまねえ」


 馬鹿野郎、サーラになんてこと言っちまったんだ。仲間に八つ当たりするなんて、最低じゃねえか……。


「何をしているお前たち、仲間割れか? それなら囚われの身となった後で、好きなだけするがいいっ!」


 気まずい静寂を破ったのは、いら立たしげな女の声。さっきからずっと、戦車の上で高見の見物を決め込んでた姫さんだ。


「者ども、私とカリコーは先に行くっ! その者たちを捕らえて、後に続けっ!」


 フォレストラ王国の王女様が、二匹の狼につけられた手綱をさばく。狼二匹は口々に吠えて走り出し、目の前で戦ってたおっさんをひき殺そうとした。


「なんと、乱暴な」


 壁にぴたっと張りつき、間一髪。辛くも難を逃れるおっさん。

 一方、姫さんは仕留め損ねた獲物のことなんざ気にする様子もなく、〈樹海宮〉の入り口へ戦車を走らせる。


「乗れ、カリコーっ!」

「おおせのままに。いよいよ来ましたな、フェイナ様が〈樹海宮〉の宝を手にされるときが」

「ああ。神授の武器が手に入れば、その力で国を守れる、民を救えるっ! フォレストラ王国に、昔日の栄光を取り戻すことも夢ではないっ!」

「そうなれば、フェイナ様は一躍英雄。神々の覚えも、今にもましてめでたくなりましょう」

「そうだな。そしてカリコー、お前は英雄の腹心だ。今日という日があるのも、今までお前の支えがあったからこそ。〈焼魔の杖メラルテイン〉が手に入れば、ほうびは思いのままだぞっ!」

「これはもったいないお言葉。このカリコー・ルカリコン、感激の極みにございます……」


 二匹の狼に引かれた戦車が、ガタゴト揺れつつ〈樹海宮〉に入っていく。フォレストラ王国の王女様と、親父の仇を乗せて。


「ま、待てよ、てめえ!」


 俺が追いかけると、魔法使いは振り返ってこっちを見た。素早く杖を構えて、神の名を叫ぶ。


「万物の創造者にして世界の支配者たる千の神々の一柱――〈大地を焦がす王〉、真紅なる火の神メラルカ様。不肖私めにお力ぞえを!」


 カリコー・ルカリコンの杖が、突然赤々と輝き出し――キュボッ! 先端に生まれた握り拳くらいの火の玉が、俺に向かって一直線に飛んできた。

 速くて避けきれねえ! 両腕を交差させて防いだが……うあちちちッ、あちい! 腕が、俺の腕が焦げちまう!

 手で払って消そうとしたが、全然消えねえ。それどころか、勢いを増してるような気がする。

 この炎、魔法で生み出されただけあって、ただの火じゃねえな!


「またお会いしましょう殿下、アハハハハハ!」


 俺が魔法の炎を消そうと躍起になってる間に、親父の仇は〈樹海宮〉の中へと去っていった。いやらしい笑い声の木霊を、後に残して。

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