エデン 2

「ほら、おなかがすいたんだろう? 食べたらどうだい」

 夢子は目の前のそれに釘付けになったままこくんと頷いた。

「では、いただきますね」

 零れ落ちる笑顔とともにいそいそと箸を手にすると、白ご飯と鯖の煮物をきれいに切り分けて口にほうばる。


 目覚めた直後医者たちによってバイタルチェクが行われ、侵蝕率ともに正常と数値が出た。

 発達した未来では、人間のストレス値とともに侵蝕率は機械による数値化を行い、管理することが当たり前のようだ。

 ストレスは侵蝕率の増加に作用するため、ストレスケアとともに侵蝕率の安定を図ることが目的だ。

 医者たちの検査からはあっさりと解放され、同じ敷地内にある現在は樺ケ崎支部の一階にフロアにある食堂に訪れていた。

 理由は簡単だ。

 夢子のおなかがぐぅぐぅと鳴り続けて先ほどからずっと主張しているからだ。


 支部の食堂はカウンターでお盆を持って好きなものを選び、会計になっていた。それはぜんぜん変わっていなかった。ただ現在は無料化されている――うそだぁーとサバの味噌煮とひじきのおひたし、白ご飯、味噌汁の具はナスにした夢子はショックを受けた。

「どうしてですか、儲けてるんですかぁ」

「現在のUGNは公務員と同じレベルだからな。働きは高く評価されているんだよ」

 昨日の記憶を頼りにすると、どうもかなり風変りしている。

 支部は確かに雑貨ビルのワンフロアだけで、ここまでの規模はなかった。

 昨日はセキリティ会社という表向きの顔をしていたが、現在はUGN直下の施設として堂々と存在もしている。

 なにもかもひた隠していた頃とはずいぶんと違い、数名のエージェントたちが楽しそうに笑って行き来している。肌をちりちりと焼け付くようなレネゲイドウィルスの気配で彼らがオーヴァードだということもわかる。

「本当に、みんな、オーヴァードになったんですね」

「……ああ」

 目の前に腰かけてコーヒーを飲む牧間が微笑んで頷いた。

「覚醒時のジャーム化を阻止するために、覚醒を促すようにしているんだ」

「へぇ」

 牧間から三十年と言われて納得は、一応はしたが、あまりにも風変りした世界に戸惑ってしまう。

 曰く、オーヴァードは珍しくない。

 UGNは国との結束を強め、オーヴァードの事件を一手に引き受けている――あの頃、自分たちが組織に属して、求めていた先が確かにここにある。

 つやつやの白ご飯を頬張り、鯖をぱくつく。

「ねぇ、ほまれさん」

「ん?」

「……私はどうして起きたんですか?」

 大切な質問はストレートに聞くのに限る。

「ジャームを治せるからですか?」

「いや、本来、ジャーム化したものを目覚めさせるのはかなり厳選されている。それに起こすのはここ五年程度のものばかりだ。それ以上は時間の差があきすぎて危険だと言われている」

「危険……ですか」

「ああ。当時の冷凍保存と今の冷凍保存の方法はかなり違う」

「確かに、そうですよね」

 夢子もエージェントとして生け捕りにしたジャームは数名いる。彼らを冷凍保存するというのは実際に見たことはないが、それでも当時の科学的なレベルではハイレベルだったはずだ。それでも絶対に安全ではない。

「ふぁ、みてください。あの細い板、なんか映ってますよ?」

「あれはテレビだよ」

 夢子のなかではテレビは大きな四角い箱だ。それもテレビだと言われたそれは小さな電子音をたてて、実体化している。うそだー。

「じゃあ、あの人が顔につけている首のあれは?」

「電脳化した者だ。ブラックドックでなくても、適正があればああして脳を電脳にして、ネットワークに接続しているんだ。ブラックドックはもっとすごいぞ」

「……はぁ~~。ひゃ、なになに、これ」

 足元でうぃんうぃんと音がしてみれば、丸い何かが近づいてきている。ねずみの機械版?

「それは掃除ロボット」

「ほぇ~~すごいですね。なにもかも便利になってる! あ、じゃあ、じゃあ」

「ん?」

 子供みたいにわくわくする夢子に牧間が小首を傾げて促してくる。

「どらえもん、いますか?」

「……残念だが、それはいない」

「なあんだぁ」

 がっくりと肩を落とす夢子に牧間がとびっきりの秘密を教えるように意地悪く笑ってつけくわえた。

「けど、アンドロイドならいるぞ」

「え」

「ほら」

 指さすテレビのそれに銀色のてかてかと輝く、なんと派手なコートを身に着けた二足歩行のアンドロイド。

『はぁい! みんなのエルピスちゃんよー! さぁ、今日もホットなニュースをみんなにお届けするわぁん』

 男みたい図太い声なのに、おねぇがはいっている、その上、くねくね動いている二足歩行のアンドロイド――かなりの情報量の多さに夢子はついうっかり鯖の味噌煮を落とすところだった。

「驚いたかな?」

「びっくりです」

 見開きすぎて目玉を落としてしまっても、たぶん牧間なら受け止めてくれるだろう。それくらい夢子は驚いて、感動した。

「こんなものもある」

 いたずらっ子みたいにもったいぶって差し出された黒い、真四角のもの。

「? これは」

「スマートフォン。つまりは携帯電話だ」

「え」

 うそだ。だって私が知ってるのはなんか折り畳み式だもん。

「タップするといい」

「タップ?」

「指で叩く」

 牧間の説明に恐る恐る、それを指で叩く。

 ぽんっと明るい音とともにテレビに出ているエルピスが小さな立体になって表れてくねくねと踊っている。

「ひゃあ、テレビが、小さく、え、あ、エルピスが分裂しましたよ」

「分裂じゃなくてスマートフォンの映像なんだが、なんだか真剣な反応すぎてからかいたくなるな」

「あわわわ、すごい。やだ、からかわないでください。もう心臓、出るくらい驚いてるんですよ?」

「飛び出したら両手で受け止めて戻そう」

「もう~~。けど、本当にすごい」

 ため息を零すように夢子は感嘆する。

「気に入ってくれたかな」

「すごいですね。だって、だって、私たちが欲しかったものですもの」

 笑って夢子は言い返して、ふと気が付いた。

 目の前にいる牧間の穏やかで優しい微笑みは、どこかで誰かの笑顔と重なる。

「……」

「夢子?」

「あ、いえ。話の続きですが、私が目覚めたのってちょっと例外的なかんじですよね? なのにどうして」

 牧間の説明を信じるならば、ジャームを治せる。が、基本は五年ほど冷凍保存されているものに限定されている。古いジャームはそれだけ目覚めさせるのに当時の技術レベルが現在のものと比較して低レベルのため、リスクがある。

 だのに、自分は目覚めた。

「……君がジャームになったときのことは覚えていないといったね」

「え、ええ」

「君をジャーム化させた原因はスピットアウト」

 慎重に言葉を選んで語られたその名に夢子は目をぱちぱちさせる。

「それって、有栖川くんのこと?」

「覚えているのか?」

 夢子は曖昧に首を傾げた。

 同じ支部に属して、調査をメインでやる優しい彼は、よく夢子のことを気遣ってくれた。

 とても思いやりのある青年だったと記憶している――有栖川の顔が一瞬だけ黒くノイズが走り、笑っている。とても嬉しそうに――ノイズ――何かを彼が囁いて、だから。

「私、有栖川くんのことは覚えてる、けど、彼がジャームになったの? どうして」

 矢継ぎ早に問いかけるのに牧間の顔が少しだけ困ったように揺れた。

「……私・・・・・・ごめんなさい。いろんなこと、一気に聞いて」

 せっかく、おいしいと思っていたごはんの味がずいぶんと冷たく感じられて夢子は箸を置いた。

「いや、記憶があいまいなんだから仕方がない。それもきっと冷凍保存のせいだろうが、彼は本来目覚めさせる予定のないジャームだった。けれど誰かが手をまわして彼を目覚めさせ、あまつさえ彼は自分のカウンターを殺してしまった」

「カウンターって?」

「この世界の理の一つだ。ジャーム化した者は治せる、けれど再度ジャーム化すればさらなる凶悪な存在になる。だから二度目のジャーム化をさせないためにストッパーであり、監視役がいるんだ」

 それはとても理にかなっている話だ。

 オーヴァードの危険性を誰よりも知っているのは誰でもない自分たちだ。

「君を本当は目覚めさせるつもりはなかったんだ。ただ何者かによって申請され、目覚めさせるように上から働きがあった。今回のスピットアウト捕獲のためにも」

「……そう、なんですか」

「夢子、私は本当に君が目覚めて嬉しいと」

 慌てて言葉をなげかけてくるのに夢子は俯いて、いつもの癖で右の前髪を人差し指でいじっていた。困ったときはいつもこうしてしまう。

「ほまれさん、昔は俺っていってたのに今は私、なんですね」

「それは支部長だからね。いろんな人と関わるから」

 苦い飴玉を噛み潰したみたいに、返事をする。

「そんなスーツ、もっていたんですねぇ」

「最近買い換えたんだ。いい大人になったからね」

 三十年前はそんなことを口にしなかったと思う。もっと口調はぶっきらぼうで、そんなにも優しく、なにもかも包み込む言葉を選んで並べてきただろうか? 今目の前にある世界はとても素敵なのに、不安が、お盆の横に乗っている水滴をたらす水のはいったコップみたいにじわじわと押し寄せてくる。

「夢子、コーヒーについていたクッキーを」

 困ったように自分のコーヒーについている小さなビスケット差し出してくるのに夢子はきょとんとしたあとぷっと噴き出した。

「ほまれさん、変わらないですねぇ。私が落ち込むと甘いものを食べさせようとするの」

「そう、かな?」

 苦く、とても苦い虫を潰したように牧間が微笑む。

「ねぇ、ほまれさん」

「なんだい」

「私がジャーム化したときって、どんなんでした? やっぱり、大間抜けでしたか? そんなにも捕獲に時間かからずにさくっと?」

 無邪気に問いかける夢子に牧間が目じりをとても優しく緩めた。

「君がジャーム化したときにいたのは私……いや、俺なんだが、君は唐突におなかへったと叫んで」

「ふぁ」

「走り出して慌てて追いかけた」

「ん、んん」

「そしたら滑って転んで、気絶した」

「あう~~私、思った以上に大間抜けなジャームだったんですねぇ~」

「本当。君はいつも抜けていて、俺は目の前でジャーム化したときも本当に驚いたんだからな。いつもと変わらない戦いのはずだったが、結婚して浮かれすぎていたんだろう」

「面目ないです。そうですね、旅行に行く予定もたてて、あっ! 旅行!」

「キャンセルした。霧谷さんにも謝って大変だった」

「うっ、すいません」

 平に、平にと頭をさげる夢子の頭をぽんと、大きな手が撫でてくれる。

 見上げると牧間が笑っている。

「話しを戻そう。君にカウンターはつかない」

「つかない?」

「正確には俺が君のカウンターになる。とはいえ仮だ」

「仮、ですか?」

「今回の件がいかにも危険すぎて一般のオーヴァードたちには任せられない、かといってカウンターをつけないわけにもいかないから」

 じっと夢子は牧間を見つめる。つまり、それは

「また、私たち一緒にコンビとして戦えるですねっ?」

 嬉しそうに夢子は笑って口にする。

 結婚し、牧間が支部長になるから自動的にコンビは解散になることとなっていた。UGNに拾われて、はじめて一緒にいた十代から駆け抜けた二十代のはじめまでずっと続いた日常の変化が少しだけ形を変えて戻ってきた。

「ああ、そうだな。よろしく、夢子」

「えへへ。こちらこそ、ほまれさん」

 三十年前とはいろんなものがちぐはぐで違い過ぎる。けれどこのとき、牧間の頼もしい微笑みはコンビを初めて組んだときと同じく信頼してもいいと思わせる力強さがあった。

 はじめて、ああ、この人だと思ったあの確信のように落ちた恋に似て夢子を安堵とさせた。

 

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