ゲヘナ 2

「おはよう、夢子ちゃん、今日は一日こっちなの?」

 嘩ヶ崎市の支部にやってきた夢子を出迎えたのはちょうど、ロビーの自動販売機で飲み物を買っていた有栖川公人だった。

 人のよい顔をして言動もいつも穏やかなのに、どうしてか夢子はいつも一瞬だけ公人に対して身構えてしまう。

 今は同じ支部に属し、同じ事件を追う仲間なのに。

 今日の有栖川はラフなシャツとジャケット、それにジーパンという出で立ちだ。仕事はフリーライターをしてと口にしているが、主に収入はイベントの司会役やらをしてあっちこっちによく呼ばれているらしく、あまり支部でも彼を見ることは少ない。

「今日もかわいいね」

「なにそのナンパみたいな台詞」

「ナンパしてるよー。簪、似合ってるし」

「……」

 さらりそんなこを口にする有栖川に夢子はむぅと唇を一文字に結んで睨む。

「同期なんだから、仲良くしようよ。ね?」

「ただオーヴァ―ドになったのが一緒だっただけでしょ。あと支部が」


 嘩ヶ崎支部は雑貨ビルにあり、現在その二階と三階を使用している。一階は雑貨ビルのオーナーが所有し、そこが食堂になっていてワンコインでおなかいっぱい食べられるようになっているのだ。

 支部員も決して多くはない。

 訓練する場合は、わざわざUGНが作った共有訓練場に行かなくはいけない規模だ。

 街そのものがそこまで大規模ではないし、事件も頻繁に起こることはない地区はどうしても資金に恵まれない。


「はい、おしるこ」

「ありがとう。けど、有栖川くんが飲むんじゃないの」

「あたったからいいよ」

 自分の片手に持つ水のペットボトルを見せてくれるので夢子はありがたくいただくことにした。

 彼は喉を大切にしていて、基本的に刺激物は飲まないようにしていると以前、口にしていた。

 ぬくぬくの缶は手に持つだけで心がほっこりとする。

「そろそろ今追ってる任務もカタがつきそうだね」

「そうね」

 二人で並んで廊下を歩きながら今の任務――ジッャク・モンスターについて話すことになったのは自然な流れだ。


 数日前、街にある小学校で飼育されているうさぎが何者かによって殺されるという事件が発生した。

 それだけいえばタチの悪い悪質ないたずらに処理されるが、その飼育小屋のアミにねっとりとした液体がついていた――レネゲイド反応ありと調査した者から報告があり、警察は対オーヴァードの危険度Sとしてして処理をした。

 Sとはジャームの可能性あり、ということだ。

 犯人は不明のため、ジャック・モンスターと名前を仮につけられていた。監視カメラを設置してもそれに犯人の姿および犯行の様子は映っておらず、翌日にはうさぎが殺されていることが立て続けに起きた。

 そして、一番恐れていたことがーー三日前だ。

 ウサギ小屋のなかで手足をねじまげられて死んでいる子供がいたのだ。

 子供はうさぎの飼育員で殺されるうざきにたいしてひどく悲しんでおり、死亡した日は親の目を盗んで家から消えていたそうだ。たぶん、子供は事件に自分で犯人を見つけようと動いてしまった――これはUGNと警察の落ち度だ。

 緊急性を要するということで、警察と支部総出で対策にあたるが、一般人の秘匿を考えて、今回は牧間がメンバーを選抜した。

 調査を得意とする有栖川、危険な戦闘を予想して牧間と夢子。この三人であたる。

 もともと夢子は戦闘能力についてはほぼ皆無に等しいが、オルクスのシンドロームを持って、領域を支配する力があるから今回のように姿の見えない相手を捕らえるには適している。

 有栖川も言葉によって相手のレネゲイドウィルスを傷つけることが出来る。今回の相手には適任だろうということになったのだ。

 ここ数日、有栖川と夢子はペアを組んで現場の調査に走っている。

 その一方で牧間は警察の連携と一般人の対応にあたっていて多忙だ。

 これが夢子の、歓迎できない日常の一つだ。

「どうかしたの」

「なにが」

「ぼーとしてる」

「……ほまれさん、先に出ちゃったんですよ。一緒に出れると思ったのにぃ」

 一緒に暮らしているのに、彼は一時間も先に出てしまった。

 午前中いっぱい彼は警察とUGN本部のやりとりに駆り出されていない。夢子は本部で有栖川と今日の方針を決めることになっている。

「あっははは、ごめんね、僕で」

「そういう意味じゃないですぅ」

 むぅと夢子は有栖川を睨む。

「新婚だもんねぇ」

「そうそう。同じ職場にいるのに」

「確か、それでコンビ解散するんだっけ?」

「……たぶん」

 夢子は弱弱しく言い返す。

 牧間は今回の事件前に歳のため引退する支部長から次の支部長に指定されている。そうなると現場に出ることはぐっと減ることになる。それもあって牧間はこのタイミングで籍を先に入れようといってくれたのだ。一緒の支部にいられるうちに、少しでも時間に融通がきくうちに。

「僕と組まない?」

「え? 有栖川くんと?」

「うん」

「……」

「調査とか得意なもの同士、いいと思うけど? それなら支部を移転することはないでしょ?」

「私、別に調査がメインじゃないわ」

 つんと夢子は言い返す。

「そうね、君は知らないものね。私の力の使い方を」

「あんまり前線には出ないからね」

 彼の能力が戦闘向きでないこともそうだが、彼の父親はさる大物政治家だ。自分の息子がオーヴァードという現実を寛容に受け止め、UGNに属することも許している。ただ危険な任務には出来るだけあたらせない―ということは牧間から聞いた。

 同僚とはいえそういう背景があるので有栖川とペアで動くときは言動に注意するように、とも言われている。ああ、だめ今、憎まれっ子になってる。

「私、基本は前線だもの」

「あんまりそういう向きじゃないと思ったけど」

「それは君が戦わないからぁ~~。あ、また」

「まぁねって、もしかしていろいろと気を遣ってる? 僕の父親のこととかでさ」

 困ったように有栖川が苦笑いするのに、ちょっと言い過ぎと夢子は反省した。

「ごめんなさい。いやな態度とったわ」

「ううん。仕方ないよ。僕が父親のこともあってあんまり前線に出ないのは確かだし、いろいろと言われたんでしょう?」

「……どうして許すのよ」

 むぅと夢子が唇を尖らせる。

「言い返しなさいよぉ」

「だって言い返しても真実だし、夢子ちゃん、ぶさいくな顔してるよ。はい。これどうぞ」

 有栖川がポケットから檸檬味の飴を取り出して差し出してきたのを夢子は受け取った。

「これ食べてにこにこと笑っていてくれる?」

「……ほまれさんも、有栖川くんもどうして私に食べ物を寄越すの? 確かに私は食べるの大好きだけど、あまくておいしいし、つい頬が綻んじゃうけどぉ~~」

「それは夢子ちゃんがそうやってゆるゆるになるから」

 ふふっと有栖川が目じりを緩めて朗らかに笑う。

 実際飴玉を口にいれた夢子の頬は緩んでいた。甘いものを食べると怒ったり、不機嫌になっていられない。

「今日は小学校の調査に行こうか」

「……うん」

「浮かない顔してるけど、やっぱり僕とはいや?」

「別にあなたと一緒がいやなわけじゃないし、ほまれさんがいないのがいやなんじゃないの。なんとなくいやな予感がするの」

「というと?」

「有栖川くんが調べてくれた情報だと、この犯人は学校関係者なんでしょ」

「たぶんね。いろいろとツテも使った調べた結果だから、わりと信用なると思うよ?」

「……いやだわ、それって」

 学校関係者とはつまりは保護者や教師、そしてそこで働いてるものたちが該当されるということだ。

 うさぎと人への殺し方からみて最近覚醒し、その際にジャームしたと予想される。ここ最近、この支部地区では覚醒するような大きな事件は起こっていない。またオーヴァードがジャーム化するような事件についても。

 この場合、オーヴァードの力を悪用しているFH組織の可能性もある。その場合、有栖川と夢子だけでは対応は難しくなる。

「被害者を出さないように、頑張らないと」

「そうだね」

 ふと有栖川の視線がものいいたげなのに夢子はきょとんとした顔で見上げた。

「どうしたの?」

「ううん。なんでもない。本当に、夢子ちゃんって、かっこいいなって思って」

「なに、それ」

「簪、似合ってるよ」

 目を細めて、嬉しそうにそんなことを口にするのに夢子は黙りこむ。

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