14
いつの間にか、他の職員達も事の成り行きを見に来ていた。何処にでも野次馬という物は存在する様だ。
「次の君の目は6だ」
場が騒然となる。
つまり次のエコーの出目で、勝負が動く事になるとクリスは宣言しているのだ。
エコーはゆっくりとサイコロをふった。
賽の目は6だった。
「チェックだ」
静かにクリスは言った。冷静に、冷ややかな声で言う。一瞬、彼の纏うオーラが見えた気がした。黒のスーツが、彼の不思議な雰囲気を依り一層、際立たせている。
「糞が!! けど、まだ勝負は着いてない。次のアンタの手を俺が予言したるわ!!」
苦し紛れに言ったのだろうか。しかし、ハッタリも実力の内だ。時として、強い運を引き寄せる事が在る。
「6や。アンタは次に6を出す!!」
クリスは何も言わなかった。只、静かに頬を吊り上げて、無言の笑みを浮かべていた。
「何が、おかしいんや?」
「済まない。偶然とは言え、君の予想が当たっていた物で」
静かに言いながら、クリスは賽を投げた。
「チェックや!!」
すかさず、エコーはチェックを宣言する。全く迷いがなかった。此れで、6以外の数字ならば、エコーは負けてしまう。場の空気が、一気に張り詰めていく。
黒部は場からは目を離さずに、煙草に火を付けた。
ゆっくりと、クリスはカップを開けた。
出目は6だった。
「此れで、勝負は五分やな」
「さて、そいつはどうかな?」
ゆっくりと煙草の煙りを吐きながら、黒部が言う。
「以前に心理的誘導を巧みに使って、相手に宣言した手を打たせていたギャンブラーを見た事が在るが、そんな素振りはなかった。奴の千里眼は本物の様だぜ。どうやって、千里眼を打ち破るんだ?」
「奴の見た未来を変えてやれば、良いだけの事やろ?」
「ほぅ、君に私の見る未来を変える事が出来ると言うのかね?」
「あぁ、簡単な事や。所で、次の俺の出目は見えてるか?」
エコーは手をテーブルに付けていた。ゆっくりと手をどけると、サイコロが見えた。既に、エコーは賽を振っていたのだ。クリスはまだ、其の事に気付いていない。
「どないや?」
クリスは答えない。いや、答えられないでいるのだ。
「どうやら、既に起こっている事は見えへんみたいやなぁ」
満面の笑みを浮かべて、エコーが言った。
「確かに、私の千里眼で見える物は少し先の未来だけだ。だが、君の心の内ならば、千里眼がなくとも読めるさ」
「ほぉう。俺の考えが読めるゆうんか? ほんなら、当ててみぃや?」
「君の様な攻撃的な人間は、直ぐに勝負を決めたがる物だ。従って、君の出目は6だ」
自信に満ちた表情で、クリスが言った。
確かに、テーブルに置かれたサイコロの目は6だった。
「其れは、チェックと言う事で良いんやな?」
「あぁ、チェックだ」
此れで、エコーに後がなくなった。
「糞っ垂れがぁ!!」
テーブルを叩き付けるエコー。随分と苛ついている様子だった。どうやら先、言っていた最高の策とは今の一手の事の様だった。胸ポケットから煙草を取り出すと、乱暴に火を付けてライターをテーブルに投げ放った。頭を掻き毟りながら、煙りを吐き出す。
エコーは唯一のチャンスを逃したのだ。今の奇策は、クリスの意識の外に在ったから通用したのだ。二度目は通用しないだろう。
「次は私の番だな。次の賽の目は……」
「――6やろ?」
静かに言い放つエコー。驚いた様な表情をするクリス。
エコーは静かに後を続けた。
「確かに、アンタの千里眼は認めたるわ。けどな、アンタが次の賽の目を見る時に、アンタは知らず知らずの内に癖を出してるんや。アンタが6を宣言する時と、其れ以外を宣言する時にも、其々に別の癖を出す。今の俺にはアンタのほんの少し先の未来ってのが全部、透けて見えてるねん。だからもう、アンタの千里眼は俺には通用せぇへんで」
「見事だ」
クリスは賽を振った。
「チェック」
賽の目は6だった。
「其れと、もう一つ」
エコーは満面の笑みを浮かべていた。
「アンタの千里眼の攻略法を見付けた。驚く程にシンプルな方法や。アンタの未来に何が見える?」
「賽を振らずに、テーブルの上に賽を置く君の姿が見えるよ」
「で、賽の目は?」
「君は間違いなく、6を出す」
「そいつは、どうやろうなぁ?」
不適に笑うエコー。
確かに、賽を振りさえしなければ、好きな目を出す事が出来るだろう。
だが、ルール的にはどうなのだろう。幾らクリスが盲目だからと言って、公然とイカサマをして其れを相手に見破られているのに、勝負として成立するのだろうか?
「認めても良いのか、黒部?」
「香元よ。細かい事は気にするな。勝負はシンプルな方が良い。既に此れはサイコロや運の勝負じゃないんだ」
黒部が煙草の煙りを吐き出しながら言った。
「其れに、面白いじゃないか。本当に、エコーがクリスの千里眼を打ち破れるのか、見物じゃないか」
エコーはクリスを睨んだまま、動かない。視線をクリスに固定したまま、瞬きすらしない。
監察しているのだ。
僅かな情報すら見逃さない為に、エコーはクリスを見ていた。
「アンタ、嘘ついたやろう?」
エコーは静かにサイコロをテーブルに置いた。賽の目は6だった。
「俺は3が好きなんや。だから、3を出す」
「いいや、君は6を置いた筈だ」
エコーはサイコロの上にカップを置いて、サイコロを覆い隠した。
此の時、初めてエコーの意図を理解した。クリスはエコーがサイコロを置く行為を、賽を振ったと勘違いしている。エコーの意図も、正に其処なのだ。
此の後、クリスはチェックかパスかの何(いず)れかを宣言する。
其の後にエコーはカップに賽を引っ掛けて、堂々と賽を振る気だ。
「じゃあ、チェックで良いんか?」
「其れは、君が賽を振り終わってから決めるとしよう」
どうやら、エコーの策は通用しなかった様だ。しかし、当のエコーは動じていない。まだ、何かを企んでいるのだろうか。
「早く賽を振りたまえ」
状況は何一つ変わっていない。エコーはクリスの千里眼を破る事が出来ない儘、賽を振る事になった。
「五分や」
静かにエコーが呟く。
其の瞬間、僅かにクリスの匂いが揺れた。此れは、動揺の匂いだった。
「アンタの見える未来は、恐らく五分程度が限界や。其処から先の未来は見る事が出来へん。違うか?」
静かに、エコーの言葉がクリスの心を捉える。クリスの動揺の匂いは強くなる。
「何故、そう思う?」
「一番、最初の時や。業と俺が焦らした時、アンタは焦っていた。在の時に俺は、アンタの癖を観察してたんやない。アンタの千里眼を視てたんや。能力の限界がどの程度なのかをな。だから、待たして貰うで。アンタの見えん未来が訪れるのをな」
エコーは煙草に火を付けた。
クリスは何も言わないで、黙っている。
「どうやら次の賽の目で、勝負が決まりそうね」
美香が静かに言った。そう言えば在の時、美香にはエコーの意図が気付いていた伏しが在る。
「こうなる事が、解っていたのか?」
「私が彼の立場なら、先ずは相手の能力を把握してから勝負を掛ける。其れに彼は気付いてないけど、彼の目は千里眼の上を行く力を秘めているわ」
美香が意味有り気な事を言う。
「其れは、どう言う意味だ?」
間違いなく、美香は何かを隠している。エコーが一体、何者なのかを知っている。
「彼が何者かを知れば、貴方は彼を殺しかねない。だから、私の口からは言えない」
美香の匂いが悲しく震える。一体、何を知っていると言うのだろうか。
エコーに視線を戻すと、エコーは又、マスターにコーラを頼んでいた。
「最後に聞かせてくれ。本当にアンタは、俺の妻と娘を殺したのか? 妻と娘がアンタに殺されるのを直接、見た訳じゃない。もしも、違うなら……」
「私が殺した」
エコーの言葉を遮り、クリスが語り出した。
「在る朝、娘の様子が突然、おかしくなった。意識を失い、目が醒めなくなった。余り症例のない病気らしく、大きな病院で診て貰った。医者は、一人だけ娘を救える人間がいると言った。但し、其の為には途方もない費用が必要だった。私にはそんな大金、持ち合わせていなかった。そんな時にドルフィンの遣いの者が現れて、金になる仕事が在ると持ち掛けられた。私は迷わず、飛び付いた。娘の命を救えるならば、喜んで悪魔に魂を売ったよ」
淡々と語るクリスからは、深い悲しみの匂いがした。恐らく、娘さんの命は助からなかったのだと思った。
クリスは殺していない。確信はないが、そう思った。
「アンタは嘘つきや。殺してない。アンタの心の内側が一瞬、見えた気がした」
エコーは静かに、真っ直ぐに力強い視線をクリスに向けた。
「たった今、賽を振った。俺が勝てば、本当の事を教えて欲しい。アンタの命なんて要らない。そんなもんは、くれてやる」
賽の目は3だった。
エコーは静かにクリスの言葉を待った。
全く、迷いのない真っ直ぐな匂いが感じられた。
「チェック」
此の瞬間、エコーの勝ちが決まった。
直後、上の階から爆音が鳴った。次いで、警報音とアナウンス。
『エマージェンシー。各所員に継ぎます。当館は何者かの襲撃を受けました。速やかに撤退して下さい。繰り返します。当館は……』
一体、何が起きているのだろうか。例え何が起きていようと、百合だけは護らなければならない。
「取り敢えず、逃げた方が良さそうだな」
黒部が言う。
「糞、絶対に死ぬなよ。アンタには聞きたい事が残ってるんやからな!!」
そう言って、エコーは立ち上がった。
次いで、黒部が言う。
「こっちに非常口がある。お前等、付いてこい!!」
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