5
「さて、アンタの知っている事を全て話して貰おうか?」
黒部が去った後、俺はエコーを連れて家に帰っていた。
「俺は何も知らんよ。あの男に只、兄ちゃんと勝負すれば、自分のルーツを知る事になるって言われただけや」
そう言って、エコーは写真立てに目を止める。百合と二人で写った写真だった。
「つい最近、此の女と会った事がある」
「何だって!?」
そんな事はない。百合はもう、死んでいるのだ。だが、黒部の言葉が引っ掛かる。エコーには手掛かりが在る。其の言葉と何か関係しているのかもしれない。
「其れは間違いないのか?」
「あぁ、間違いなく此の女や。アイツらは、イルカって呼んどったな?」
「アイツら?」
「黒部ともう一人、女みたいな優男や。其れ以外は何も解らん。記憶を失って、最初に目を醒ました時には、俺はもうアイツらの処に居ったんやから。ほんでから、黒部に連れられて兄ちゃんと勝負させられたんや」
「そうか」
エコーが会ったのは恐らく、百合ではないのだろう。百合は確かに在の夜、死んだのだ。百合が生きていれば、どんなに良かった事だろう。どうして在の時、助けてやれなかったのだろう。幾ら後悔しても仕切れない。
「大切な人なんか?」
「あぁ。ドルフィンは彼女の命を奪った。俺は奴を殺さなければならない」
何も言わないエコー。
お互い此れ以上、ドルフィンに行き着く情報を持っていなかった。
正に手詰まりだった。
今は黒部から何らかのアクションが起こるのを待つしかない。
「彼女の事が、本当に好きやったんやな。此処には愛が満ちてる。何でか知らんけど、心が満たされる」
エコーの表情が、とても和らいでいる。とても優しげに笑う彼は、無邪気な子供の様で、此方の警戒心を奪う。
「俺も、彼女に会ってみたかったな。きっと、ホンマに良い女やったんやろな」
「あぁ。俺には勿体ないぐらいのとびきりの良い女だったよ」
出来る事ならば、今すぐにでも百合に会いたかった。百合を抱き締めてやりたい。だけど、叶いはしない。そんな、どうしようもない自分に腹が立つ。
俺は気持ちを落ち着ける様にして、煙草に火を付けた。
「俺にも一本、くれへんか?」
「薬香煙草だが、良いか?」
エコーは無言で頷きながら煙草を受け取った。俺は冷蔵庫からビールを二本、取り出した。
冷蔵庫には未だに百合が書いたメモ書きが貼られていて、読み返すと何でもない内容なのに切なくなる。
「彼女は音楽が好きだった」
ビールを一口、含んで何となしに言った。
「自分で作った歌を色んな人に聞いて貰って、其れを聞いた者達に幸せになって貰いたい。彼女はいつも、そう言っていたよ」
エコーは黙って俺の話を聞いていた。
「彼女の弾くピアノのリズムに心が躍り、彼女の歌声が生み出すハーモニーに心が和まされた。在の時は、とても幸せだった」
ビールを半分程、飲んでピアノに目を向ける。在の頃、百合はいつも彼処にいた。ピアノを弾く百合は、とても生き生きとしていて、とても幸せそうだった。そんな百合を見ていると、こっちまで幸せにさせられた。
百合のいないピアノを眺めながら、紫煙を吐き出した。
――百合に会いたい。
俺は何度、此の気持ちを準った事だろう。其の度に訪れる後悔だとか、怒りに苛まれてやるせなくなる。愛しさが込み上げては、俺を蝕んでいく。
「一曲、聞いてくれないか?」
「弾けるのか?」
「あぁ、彼女に習ったからな」
憶えが悪いって、百合が良く怒っていたな。在の時は其れが少し疎ましかったが、今では妙に恋しいな。
ビールを飲み干し煙草を一口、吸うと空き缶に放り込んだ。ジュッと短く音を放ち、煙草の火が消える。俺は立ち上がり、ピアノに座った。ゆっくりと息を吸い込んで、ピアノを弾いた。百合への想いが、ピアノを通して弾けていく様な錯覚を覚えて、目頭が熱くなる。其れを堪えながら、俺は懸命にピアノを引き続けた。愛しさが、其処には在った。悲しみも在った。怒りや後悔も在る。幸せだった時すらも存在している。だけど、今はもう百合だけがいない。
俺はピアノを引き終わると、煙草に火を付けた。ゆっくりと煙りを吐き出して、立ち上がる。
「彼女が初めて俺に聞かせてくれた曲だ。曲名は『幸せの刻』と言うらしい」
「『幸せの刻』か。なんとなく解る気がする。兄ちゃんに対する彼女の気持ちが、曲調から素人の俺にでも伝わってくる。彼女は本当に兄ちゃんの事が好きやったんやな」
そう言うエコーの目から、涙が伝っていた。
百合との幸せだった一時が、此の曲に全て詰まっている気がして、無性にやるせなくなる。
「兄ちゃんなら、信頼できる。俺と組まへんか?」
突然の提案だった。
「兄ちゃんは、ドルフィンを殺す為に。俺は自分の記憶を取り戻す為に、お互い協力するんや」
此の先、どんな強敵と遭遇するか解らない。ギャンブル以外でも、苦難な状況に出くわす事だって予想される。
そんな時に、エコーの目は必ず役に立つだろう。俺としても、願ってもない事だった。何よりも、百合の残した曲を聞いて、涙を流したエコーは絶対に裏切らない。
「こっちこそ、君の力が必要だ。俺と組んでくれないか?」
エコーに手を差し出した。
「あぁ。此れから、宜しく頼むで!!」
エコーは俺の手を掴むと、固く握手を交わした。其々の決意を胸に、俺とエコーは手を組んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます