「さて、アンタの知っている事を全て話して貰おうか?」


黒部が去った後、俺はエコーを連れて家に帰っていた。


「俺は何も知らんよ。あの男に只、兄ちゃんと勝負すれば、自分のルーツを知る事になるって言われただけや」


そう言って、エコーは写真立てに目を止める。百合と二人で写った写真だった。


「つい最近、此の女と会った事がある」


「何だって!?」


そんな事はない。百合はもう、死んでいるのだ。だが、黒部の言葉が引っ掛かる。エコーには手掛かりが在る。其の言葉と何か関係しているのかもしれない。


「其れは間違いないのか?」


「あぁ、間違いなく此の女や。アイツらは、イルカって呼んどったな?」


「アイツら?」


「黒部ともう一人、女みたいな優男や。其れ以外は何も解らん。記憶を失って、最初に目を醒ました時には、俺はもうアイツらの処に居ったんやから。ほんでから、黒部に連れられて兄ちゃんと勝負させられたんや」


「そうか」


エコーが会ったのは恐らく、百合ではないのだろう。百合は確かに在の夜、死んだのだ。百合が生きていれば、どんなに良かった事だろう。どうして在の時、助けてやれなかったのだろう。幾ら後悔しても仕切れない。


「大切な人なんか?」


「あぁ。ドルフィンは彼女の命を奪った。俺は奴を殺さなければならない」


何も言わないエコー。


お互い此れ以上、ドルフィンに行き着く情報を持っていなかった。


正に手詰まりだった。


今は黒部から何らかのアクションが起こるのを待つしかない。


「彼女の事が、本当に好きやったんやな。此処には愛が満ちてる。何でか知らんけど、心が満たされる」


エコーの表情が、とても和らいでいる。とても優しげに笑う彼は、無邪気な子供の様で、此方の警戒心を奪う。


「俺も、彼女に会ってみたかったな。きっと、ホンマに良い女やったんやろな」


「あぁ。俺には勿体ないぐらいのとびきりの良い女だったよ」


出来る事ならば、今すぐにでも百合に会いたかった。百合を抱き締めてやりたい。だけど、叶いはしない。そんな、どうしようもない自分に腹が立つ。


俺は気持ちを落ち着ける様にして、煙草に火を付けた。


「俺にも一本、くれへんか?」


「薬香煙草だが、良いか?」


エコーは無言で頷きながら煙草を受け取った。俺は冷蔵庫からビールを二本、取り出した。


冷蔵庫には未だに百合が書いたメモ書きが貼られていて、読み返すと何でもない内容なのに切なくなる。


「彼女は音楽が好きだった」


ビールを一口、含んで何となしに言った。


「自分で作った歌を色んな人に聞いて貰って、其れを聞いた者達に幸せになって貰いたい。彼女はいつも、そう言っていたよ」


エコーは黙って俺の話を聞いていた。


「彼女の弾くピアノのリズムに心が躍り、彼女の歌声が生み出すハーモニーに心が和まされた。在の時は、とても幸せだった」


ビールを半分程、飲んでピアノに目を向ける。在の頃、百合はいつも彼処にいた。ピアノを弾く百合は、とても生き生きとしていて、とても幸せそうだった。そんな百合を見ていると、こっちまで幸せにさせられた。


百合のいないピアノを眺めながら、紫煙を吐き出した。


――百合に会いたい。


俺は何度、此の気持ちを準った事だろう。其の度に訪れる後悔だとか、怒りに苛まれてやるせなくなる。愛しさが込み上げては、俺を蝕んでいく。


「一曲、聞いてくれないか?」


「弾けるのか?」


「あぁ、彼女に習ったからな」


憶えが悪いって、百合が良く怒っていたな。在の時は其れが少し疎ましかったが、今では妙に恋しいな。


ビールを飲み干し煙草を一口、吸うと空き缶に放り込んだ。ジュッと短く音を放ち、煙草の火が消える。俺は立ち上がり、ピアノに座った。ゆっくりと息を吸い込んで、ピアノを弾いた。百合への想いが、ピアノを通して弾けていく様な錯覚を覚えて、目頭が熱くなる。其れを堪えながら、俺は懸命にピアノを引き続けた。愛しさが、其処には在った。悲しみも在った。怒りや後悔も在る。幸せだった時すらも存在している。だけど、今はもう百合だけがいない。


俺はピアノを引き終わると、煙草に火を付けた。ゆっくりと煙りを吐き出して、立ち上がる。


「彼女が初めて俺に聞かせてくれた曲だ。曲名は『幸せの刻』と言うらしい」


「『幸せの刻』か。なんとなく解る気がする。兄ちゃんに対する彼女の気持ちが、曲調から素人の俺にでも伝わってくる。彼女は本当に兄ちゃんの事が好きやったんやな」


そう言うエコーの目から、涙が伝っていた。


百合との幸せだった一時が、此の曲に全て詰まっている気がして、無性にやるせなくなる。


「兄ちゃんなら、信頼できる。俺と組まへんか?」


突然の提案だった。


「兄ちゃんは、ドルフィンを殺す為に。俺は自分の記憶を取り戻す為に、お互い協力するんや」


此の先、どんな強敵と遭遇するか解らない。ギャンブル以外でも、苦難な状況に出くわす事だって予想される。


そんな時に、エコーの目は必ず役に立つだろう。俺としても、願ってもない事だった。何よりも、百合の残した曲を聞いて、涙を流したエコーは絶対に裏切らない。


「こっちこそ、君の力が必要だ。俺と組んでくれないか?」


エコーに手を差し出した。


「あぁ。此れから、宜しく頼むで!!」


エコーは俺の手を掴むと、固く握手を交わした。其々の決意を胸に、俺とエコーは手を組んだ。

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