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クズ婆から得た情報から、ドルフィンが死んだ事を知った。嘘を付いている素振りはなかった。念の為、尋問用に作った香を使って情報を引き出そうとしたが、どうやら本当にドルフィンが死んだのは間違いなかった。
其の瞬間、俺の生きる意味がなくなった。百合への想いも、贖罪も、誓いも何もかも、果たせない儘だった。
悔いても悔やみ切れない想いだけが、胸を締め付けている。
酒場の片隅で、飲んだ暮れていた。暗い照明に照らされる様にして、流れて来る音楽に耳を傾ける。聞こえて来る軽快なリズムとは裏腹に、俺の心は暗く重い。
グラスを傾ける。飲み干すとマスターにグラスを差し出した。無言でウィスキーを注ぐマスター。何もかもが、どうでも良かった。頭の片隅に百合の顔が浮かぶが、掻き消す様に酒を煽る。が、消えはしない。在の日の後悔は、いつまで経っても俺を離してはくれやしない。
在の時、態と負けさえすれば、百合を死なせずに済んだのに。俺が殺した様な物だった。——糞が。幾ら飲んでも、何も消えてはくれやしない。もう、全てがどうでも良い。
「飲み過ぎよ。一体、どうしたのよ……?」
美香が見兼ねたのか制止の声を掛けて来た。俺は構わずにグラスを傾ける。
「もぅ、しらない!!」
彼女は此の店で働いていた。男受けしそうな整った小さな顔に、いつも濃い化粧をしている。小柄ながらも豊満な体には、赤いドレスを纏わせて、男の客達の目を引いていた。香水がキツく、余り合っていないが彼女に其の事を話した事はない。
きっと、言えば別の香水を付けて来るだろう。其の事で彼女を勘違いさせて、無暗に傷付けたくはなかった。彼女の放つ匂いから、自分に対する想いに気付いていた。だけど、其の気持ちに応えるつもりはなかった。
俺には果たすべき事が在った。
今と成っては、其れも叶わない。此の手でドルフィンを殺すつもりでいた。俺がどんな気持ちで此の三年間を生きて来たか。奴への復讐だけが、百合への贖罪だと思っていた。ドルフィンを殺す事だけが、俺の生きる糧だった。
——今夜、死のう。
そう、決意した時だった。
「ドルフィンは、生きている」
突然、掛けられた言葉に驚きながらも、後ろを振り返る。
「久し振りだな、香元よ」
其処には、ドルフィンの部下だった男が居た。三年前、俺の元に訪れた黒服の男。
——黒部正春だ。
いつも、此の男は唐突に現れる。
「其の話は、本当なのか?」
「あぁ。確かな話だ。だが、今のお前じゃ話しても無駄の様だな。じゃあな」
「待ってくれ!!」
立ち上がり、去ろうとする黒部の腕を掴む。
「奴は今、何処に居る?」
「其れは応えられんなぁ。但し、一つだけ条件を呑むのなら、考えてやっても良い」
サングラスの奥から、鋭い眼光を放つ黒部に気圧されまいと必死に睨み返す。
「ドルフィンの情報を提供してくれるなら、どんな条件だって呑んでやるさ」
「まずは、お前の覚悟を知りたい。奴と勝負をして勝てば、ドルフィンの情報を提供してやる」
黒部の合図と共に、奥のテーブルに腰掛けていた男が立ち上がる。未だ若い。二十代後半ぐらいか。俺と同い年ぐらいの男だった。高い背に筋肉質の体格。刈り込まれた頭を、金髪に染めている。鋭い眼光を此方に向けて、うっすらと笑みを浮かべていた。
「奴の名はエコー。エコーとの勝負でお前には、命を賭けて貰う事に成るが、其れでもやるかい?」
美香の表情が強張るのと同時に、色んな感情を含んだアドレナリンの匂いを感じた。
「あぁ。構わない。勝負の方法は?」
「『LIAR CARD』(ライアー・カード)と言うゲームで勝負して貰おうか」
黒部は懐からカードを取り出すと表向きにカードを置いた。
「御互い使用するカードは、此の六枚。【LIAR CARD】が一枚と、正直者のカードが五枚だ」
真面目な顔付きの男の絵が描かれたカードが五枚と、笑顔の男が描かれたカードが一枚、渡された。
「正直者のカードには、1〜5の数字が書かれている筈だ」
確かに、五枚のカードには数字が書かれていた。目の前に居るエコーも同じ様に、カードを確認している。と言う事は、向こうも此のゲームをするのは初めてと言う可能性が高い。
其れだけギャンブルに自信が在るのだろうか。其れとも、俺を油断させる為の罠だろうか?
「罠とちゃうで。俺も此のゲームは初めてや」
にこやかな笑顔を浮かべるエコー。何故、俺の考えてる事が解った?
「兄ちゃん、解り易いなぁ。カードを確認する俺を見て一瞬、表情が和らいだと思ったら、目付きだけ強張ったやろ? 俺の事を警戒した証拠やな。兄ちゃんの武器が鼻なら、俺の武器は此の目や」
こいつ、在の一瞬だけで此れだけの事を読み取ったと言うのか。優れた観察力と洞察力。つまり、ギャンブルに最も適した能力を持っていると言う事だ。
だが此の三年間、俺は何もしなかった訳ではない。絶対嗅覚を、あらゆる方面に活かせる様に鍛えてきた。ギャンブルに於いても、役に立つ。色んなギャンブラー達とも勝負をして来た。中にはエコーの様な、特殊な力を駆使して挑んで来る者もいた。そんな中で、俺はどんな奴にも負けはしなかった。全てはドルフィンを殺す為だ。そう、奴を殺すと在の夜に誓った。こんな処で負ける訳にはいかなかった。
「随分、自信が在る様だな?」
匂いで解る。エコーは俺の事を格下に見ている様だ。
俺は静かに言った。
「此処に来る途中、右手を怪我しただろう?」
奴はさっきから、ずっと右手を隠している。右手から、血の匂いが微かにしている。其れに、消毒液やガーゼの匂いもする。匂いからして、傷は新しいと解った。
「心配せんでも、左手さえ動かせれば充分や。其れに、俺は左利きなんや」
嘘ではなさそうだ。エコーからは動揺の匂いがしない。
「せいぜい、負けた時の言い訳にするんだな」
エコーに微笑を送るが、匂いは乱れない。恐らく、何が在っても動じないタイプだ。典型的な自信過剰な男だ。そう言う人間のギャンブルは決まって、攻撃的なのだ。
「説明を続けても、良いか?」
其れまで黙って様子を窺っていた黒部が口を挟む。
「あぁ、続けてくれ」
「プレーヤーは互いに、カードを伏せた状態で一枚、置く。此の状態をセットと呼ぶ」
黒部はカードを一枚、裏返した状態で置いた。
「此の時に置いたカードが正直者ならば、正直に置いたカードの数字を言わなければならない。もしも【LIAR CARD】を置く場合は、嘘の数字を言わなければならない。そして、相手のカードが【LIAR CARD】だと思った場合は『liar』と宣言する」
黒部はゆっくりとカードを捲った。其処には【LIAR CARD】が在った。
「もしも、見事に相手の【LIAR CARD】を言い当てたら勝ち。逆に外したら負けとなる。又、相手に悟られる事もなく【LIAR CARD】を通す事が出来た場合も勝ちとなる」
カードをセットして、自分のカードを宣言する。相手が【LIAR CARD】を伏せた時にカードを言い当てる。単純なゲームだった。
「此の一連の流れを、1ターンとする。もしも、1ターンの間に二人共、【LIAR CARD】を言い当てられたり、【LIAR CARD】を通した場合は、ドローとなる。そして、勝負は5ターン目まで行われる」
「それじゃあ、カードは五枚しか使わないじゃないか?」
「あぁ。一枚だけ使われないカードが出て来る。勿論、【LIAR CARD】を出さない儘、勝負を行う事も可能だ。但し【LIAR CARD】が最後に残った場合は負けになる」
【LIAR CARD】を使わない場合は5ターン以内に、相手のカードを言い当てなければ負けてしまう。逆に言えば、5ターン以内に相手の【LIAR CARD】を言い当てさえすれば勝ちになるのだから、こちらが【LIAR CARD】を出さない方が安全なのかもしれない、と言う事か。
「えらい消極的な考え方をするんやな。そんな考え方やったら兄ちゃん、負けてまうで?」
——又だ。
又、エコーは俺の心を読んだ。
揺るぎない自信がエコーからした。エコーも又、俺や百合の様に常人から桁外れに優れた能力を持っている。彼の目は、俺達とは全く違う世界が見えているのだろう。だが、だからと言って強敵とは限らない。エコーは確実に油断している。エコーの匂いは、優位に立っていると思い込んでいる者の匂いだ。己の力を過信している者の目だ。故に、付け入る隙が在る。
1ターン目に奴が出すカードが透けて見える様だった。
「教えたるわ。俺が最初に出すカードは【LIAR CARD】や」
——こいつ、馬鹿なのか?
其れとも、全て俺を動揺させる為の作戦なのだろうか。
確かに、エコーが最初のターンで【LIAR CARD】を出す事は容易に想像、出来た。だが、自ら己の手を明かすだろうか。
——否。
エコーの様なタイプは、態と己の手を明かす。
余裕や慢心からではない。そうする事で、相手が動揺する事を知っているのだ。
——そう。俺は確かに、エコーにプレッシャーを感じていた。
認めたくないが、俺の本能が奴を強敵と認識している。
「では、勝負を始めて貰おうか」
黒部の合図と共に、勝負は始まった。
「俺は此のカードを出そう。正直者の3や」
エコーは何も考えずに、いきなりカードを出してきた。本当に【LIAR CARD】を出して来ると言う可能性も充分に考えられた。此れまでの奴の言動からして、充分に考えられる。最も単純だが、複雑な二者択一で在る。エコーが単純な奴で在れば在る程に、判断が難しいのだ。しかし、此の勝負には俺の命が賭けられている。そして、何よりもドルフィンの情報が賭かっている。
だが、エコーのペースに飲まれれば、負ける。其れに、エコーからは、揺るぎない自信が感じられた。迷いは微塵も感じられない。何故だろう。自分は絶対に負けないと言う自信が在るからだろうか。否、違った。
今まで俺が相手にして来たギャンブラー達は皆、己に対する絶対的な自信は在ったが、必ずアドレナリンの匂いを放っていた。頭の中は冷静だったが、彼等は熱を放っていた。其れは己の全てを賭けていたからだ。
負ければ何かを失う。
だが、エコーは此の勝負で失う物が何も無いのだ。何のリスクも背負わないからこそ、強気に成れるのだ。
「賭けてる物なら在る」
静かにそう呟く。エコーの匂いが僅かに、揺らいだ。
「俺には記憶がない。俺は自分のルーツを知りたい。だから、此処に居(お)るんや」
言っている意味が良く解らなかった。本当にエコーは記憶を失っているのだろうか。
「兄ちゃん、俺が何者なんか知らんか?」
冗談めいた笑い。しかし、笑えないジョーク。エコーの眼は虚空を捉えていた。
「何も、思い出せんねん」
先程まで感じられた自信は、何処にも無かった。まるで、親と逸(はぐ)れた子供の様に、不安な顔付き。今にも泣き出しそうな、そんな顔だった。が、其れも一瞬の事で有る。
「アホか。そんな訳ないやろ。全部、嘘や。俺の本業は役者なんや」
エコーの顔には、自信が戻っていた。もしも、今のが全て演技ならば、とんでもない嘘つきだった。だが、エコーの武器が目だと言うのならば、俺の事を観察して来る筈だった。と言う事は、初手から【LIAR CARD】を出して来る可能性は低いだろう。そして、勝負が長引けば不利になる。
俺はカードを場に伏せた。
「ライアーや!!」
エコーの目には、迷いが無い。そして、俺の出したカードは紛れもなく【LIAR CARD】だった。此の儘では、負けてしまう。
「ライアー」
俺は駄目元で言った。最早、俺が生き残る可能性は此れしかないのだ。もしも、エコーのカードが正直者ならば負けてしまう。
全身から、嫌な汗が噴き出して来る。気が付くと、周囲がどよめいていた。知らぬ間に辺りの客達が、俺達を囲んで勝負の成り行きを見ていた。
「其れでは、カードの開示をして貰おう」
黒部に言われる儘に、俺はカードを捲る。【LIAR CARD】に描かれた男が、まるで俺を嘲笑っている様で癪に障る。
エコーのカードは、どうだろうか。まだ、カードは捲られていない。俺の方を見て、不敵に笑いながら、ゆっくりとカードを捲る。
場が騒然となる。
エコーのカードが【LIAR CARD】だったからだ。
——良かった。俺は安堵の溜め息をついていた。冷や汗を拭う。
「兄ちゃん、やっぱり解り易いな。何で俺がライアー宣言したか、解るか?」
余裕を携えて語る。煙草に火をつけて、ゆっくりと煙りを吐き出して続ける。
「はっきり言うて、俺には兄ちゃんのカードが何やったんか解らんかった」
場が騒然とする。
「馬鹿な!? だったら、当てずっぽうでライアーを宣言をしたのか?」
「そうや。俺に取って、兄ちゃんのカードは何でも良かったんや。俺のカードが【LIAR CARD】やと言う事は、兄ちゃんがライアーと宣言せぇへん限りは、負けへん言う事やからな。もしも、兄ちゃんのカードが正直者なら、俺にライアー宣言してたんか?」
そう言う事か。もしも、俺が正直者のカードを出してライアー宣言をされたとしても、エコーの【LIAR CARD】さえ通れば勝負は引き分けになるのだ。まさか勝ちが決まっている状況で、勝負に出る奴はいない。
「だが、何の為にわざわざそんな真似を?」
負けないが、勝つ事もない筈だ。
「兄ちゃん、さっきどんな表情をして、どんな仕草をしてたか憶えてるか?」
やられた。エコーは俺の表情を常に観察しているのだ。俺の動揺を誘い、俺の行動から次の手を読む作戦なのだ。
「俺には、兄ちゃんの考えてる事が透けて見えるで。良ぇんか? 此の儘いけば、兄ちゃん、負けるで!!」
此の儘では不味い。俺は立ち上がっていた。
「少し風に当たって、酔いを冷ましてくる。其れぐらいは構わないだろう?」
「構わんよ。酔っていたから負けたと言い訳されたら、敵わんからな」
其れまで沈黙を守っていた黒部が言う。
俺は回りの野次馬を掻き分けて外に出た。
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