「今日、店に来たでしょう?」


 料理を作りながら、冷やかに彼女が言う。俺は内心、動揺しながらも返事をした。


「何故、あんな店に……?」


 聞いた事を後悔していた。


「借金が在るの。父が、ギャンブルで一億円もの借金を……」


 百合が表情を暗くする。三十年前に此の国が賭博法を解禁して以来、国中で多くの債務者が生まれた。人々は金を求め、金を失っていく。父がそうだった様に。俺が父の尻拭いをさせられた様に。彼女も又、体を売る事で金を作らなければならない。只、ギャンブルの敗者の身内だというだけで、俺達は人生を狂わされている。


 黙り込んでいる百合に歩み寄り、優しく抱き締める。百合を護る為ならば、何だってする。例え悪魔に魂を売ってでも、地獄の底に墜ちようとも、百合を護れるならば喜んで身を捧げよう。


 ドルフィンが調香師として俺を雇うつもりがない事を知ったのは、彼女の働く店を出て直ぐの事だった。


 俺は直ぐに黒部に電話を入れていた。ドルフィンは俺の絶対嗅覚の能力を、父とは違う理由で求めていた。


 ——此処に、十三枚のカードが在る。


 電話を入れた後、待ち合わせた喫茶店で黒部が言った事を思い出していた。カードを机の上に並べて、黒部は語った。其々のカードには別々の香料が付けられていた。常人では気付かない程の匂いも、俺には嗅ぎ分ける事が出来る。どうやらドルフィンは、イカサマカードと絶対嗅覚を使って、ギャンブルの代打ちをさせたいらしい。其のギャンブルの対価には、人の命が賭けられていると黒部は言っていた。


「一億円、俺が何とかするよ」


 腕の中で、彼女の匂いが乱れる。


「俺がギャンブルで勝てば、金が手に入る。ドルフィンは俺を、ギャンブラーとして雇いたいみたいなんだ」


「…………」


 何も言わない彼女。只、震えている。悲しみと涙の匂い。


「俺は勝つよ。どんな手を使ってでも、必ず君を護るから。待ってて」


 涙の匂いが、部屋を満たす。彼女の涙。そして、俺の涙の匂いが混じり、悲しみや不安や恐怖が、俺達を覆う。必死に歯を喰い縛って、堪える。そして、誓う。絶対に護ってみせる。

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