「糞っ垂れがぁっ!!」


 俺は浜辺で一人、叫んでいた。己の声に苛立ちが拍車を掛けている。百合の心の深い部分に在る悲しみを知りたかった。出来る事ならば、取り除いてやりたかった。なのに、俺は何も出来ないでいる。そんな自分に、無性に腹が立った。


 百合に悲しみの訳を話して欲しかった。少しぐらい、俺の事を頼って欲しかった。頼りないかもしれないが、百合の力になりたくて仕方がなかった。


 嘆息して、煙草に火をつけた。自分で調合した薬香煙草だ。


「香元誠慈だな?」


 背後で声がした。振り向くと五十代ぐらいの黒いスーツを着た男が居た。スーツ越しでも解る程の筋肉質の身体(からだ)。どう見ても堅気の人間ではない。だが、ヤクザとも違った。男は不思議なオーラを漂わせていた。匂いはするが、全く感情が読めないのだ。普通、相手がどんな状態で在ろうと俺には感情が匂いで解る。けど、男は違った。


 悠然と佇む其の様は、冷気を纏っているかの様だった。此の暑さの中、男はスーツ姿で汗一つ掻いていない。凍てつく様な鋭い眼光には、何か力強い意志が宿っている様だった。


「アンタは……?」


 男に圧倒されながらも訪ねる。


「俺の名前は黒部正春。ドルフィン様に仕える者の一人だ。ドルフィン様の元に来て欲しい」


 其の声には、妙な威圧感を感じさせられた。まるで、獰猛な獣と相対したかの様な焦燥感が在った。


「俺に一体、何の用だ? 御宅等の所為で、俺は文無しだぜ?」


 平然を装いながらも、内心は警戒の色を隠せないでいる。


 男は薄く笑みを浮かべている。


「確かに、お前は文無しだ。だが、俺達がお前から毟り取った訳じゃない。お前の親父が勝手にやった事だろう?」


 確かに、そうだった。父は何故、ギャンブルに身を染めたのかが解らなかった。嫌いではなかったにしろ破滅を招く程、ギャンブルにのめり込む様なタイプではない。ならば一体、何故だ。


 考えても答えは浮かばなかった。


 其れよりも、ドルフィンが何故、俺に用が在るのかが解らなかった。


「単刀直入に言おう。ドルフィン様の部下になれ。報酬は弾むそうだ」


「ふざけるなっ!! どうして、親父の敵の元で働かなければならない!? そんな下らない用なら、帰ってくれ!!」


「だったら、俺と賭けをしないか?」


「賭けだと?」


 男の申し出に俺は、あからさまに怪訝な顔をしていた。男は懐から拳銃を取り出し、弾倉から弾を取り出した。拳銃はリボルバー式で、八つの弾倉が在った。


 弾倉に一つだけ弾を残して、リボルバーを何度も回した。カラララランッ、カラララランッ。と言う音と共に、男が言った。


「ロシアンルーレットを、しようじゃないか」


 満面の笑みを顔に浮かべて言う。矢張り、感情の匂いがしない。


 男は言葉を続けた。


「俺が勝てば、俺に付いて来い。良いな」


 笑顔を絶やさずに言った。


「アンタが勝てば、俺は死んでいるんじゃないのか?」


「其の心配はない。引き金は全て、俺のこめかみに向けて引く。そしたら、お前が死ぬ事はないだろう?」


 名案だろ、とでも言う様に、こちらを窺っていた。だが、男は勘違いをしている。俺に勝負を受ける義理も義務もない。


 こんなイカれた勝負は御免だった。


「ちなみに、勝負を引き受けなければ、此処でお前を撃ち殺しても良いとドルフィン様に言われている」


 銃口を向ける男の眼に、冷や汗が吹き出た。


 ゾッとする様な鋭い眼光。


 男の視線が恐ろしく細長い針の様に突き刺さる。此の場から、一刻も早く逃げ出したかった。


「お前が勝てば、面白い情報を教えてやる」


 視線を刺した儘、男は声を弾ませて言った。一見、此の状況を楽しんでいる様だったが、相変わらず男から感情を嗅ぎ取る事が出来なかった。其れは詰まる所、何の脳内物質も分泌していない——演技で在る事を示していた。


 全身が凍りついた。俺に勝負させる為だけに全てを演じているのだ。だが、断れば確実に殺す。男の眼は、そう物語っていた。


「どうしたんだ? ——やるの? ——やらないの?」


 再び笑顔を携えて尋ねる。


「面白い情報って言うのは、何だ?」


 男に対する警戒は、恐怖へと変わっていた。だが、決して其れを悟られてはいけない。男は必ず其処に付け込む。


「篠崎百合の事だ」


「何故、其の名前を知っている!?」


 男は楽しそうに嗤っている。演技だと解ってはいても、怒りが沸いてくる。


「悪いが、お前の身辺を調べさせて貰った。彼女に、どうこうする気はない。だが、お前が勝負に乗らなければ——」


「やってやる。其れで文句はないな?」


 男が言い終わる前に、口を突いて応えていた。


「其の言葉を待っていた」


 男の眼差しが、急に真摯な物に変わっていた。同時に、僅かだが同情の匂いも感じられた。


 男は一体、何を知っていると言うのだろう。


「じゃあ、先行は俺から行こう」


 男は躊躇いなく、己に向けて引き金を引いた。


 カチッと言う音だけが鳴った。


「次はお前の分だ」


 続けて引き金を引いた。が、弾は出なかった。


 自分に銃口を向けられていないのに、冷や汗が滝の様に出ていた。俺は、此の男に恐怖している。


「次は俺の分」


 無表情で引き金を引く。どうして男は、当たり前の様に引き金を引けるのだろう。まるで、玩具の拳銃で自殺の真似をする子供の様に、平然と引き金を引いていく。もしも、弾が出れば死ぬというのにだ。


「お前の分」


 全く感情を込めず事務作業をこなす要領で、引き金を引いた。


 ——五発目。


 次は男の番だが、発砲される確率は既に半分を超えていた。流石に男は躊躇したのか、拳銃を持っていた右腕を降ろした。——が、次の瞬間。男が躊躇った訳じゃない事を、思い知らされた。


 銃口を、天に向けた刹那。


 渇いた発砲音がした。


 男は笑みを浮かべて、言った。


「お前の勝ちだ」


 全身に鳥肌が立った。汗を掻いているのに、寒気がした。


「どうして、業(わざ)と負けたんだ?」


「何故、そう思う?」


「アンタは何処に弾が在るのか、解っていたんだろ? だったら、アンタが後攻を選べば勝っていた筈だ」


 うわずる声を必死に抑えていた。恐怖が混乱を招き入れ様とするが、必死で其れを拒んだ。


「たまたまだよ。お前の孝え過ぎだ。たまたま、弾が出ると思っただけだ」


 明らかに嘘だ。男は弾の位置を正確に把握していた。でなければ、あんな風に平然と引き金を引くなんて事は出来ない。でなければ、頭がイカれているかのどちらかだ。どちらにしろ恐ろしかった。


 男はポケットからメモ用紙を出して、差し出してきた。


「其処の住所に行け。篠崎百合が働く花屋が在る。其れから、俺の携帯番号が書いてある。何か在れば連絡してこい」


「連絡すると思っているのか?」


「するさ。賭けても良い」


 そう言って、男は去っていった。


 誰が連絡なんかするか、と思った。同時に男と又、会う事になる気もした。だが、出来る事なら百合と二人で、静かに暮らしていたかった。遠ざかる男の背が完全に消えるのを確認した瞬間、抑えていた恐怖が押し寄せてきた。全身に物凄い重圧を感じて、立っていられなかった。


 ——黒部正春。


 二度と関わりたくない男だった。

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