僕とましろちゃん

翔花里奈

僕とましろちゃん


 ましろちゃんは、僕にとって初恋の女の子だ。

 女の子っていっても、年齢はわからない。

 見た目は今じゃ中学生の僕よりずっと幼くなってしまったけど、どれくらいこの世にいるのかって言われたら、ヨボヨボのひいおばあちゃんよりずっと年上だろう。


 ましろちゃんは、僕が生まれた頃からずっとそばにいてくれたらしい。

 よちよち歩きの赤ちゃんだった僕が、誰もいない場所に向かって手を振ったり笑いかけたりしていたっていう話を母さんがよくするから知ってる。


 たぶん僕にとって最初の記憶は、幼稚園生の頃、高熱にうなされていた夜のものだと思う。

 母さんが和室に僕を残して、水筒に水を補充にしに行ったんだ。台所はすぐそこなのに、まるでこの世でひとりぼっちになったみたいに心細くて。

 そんなとき、枕元に誰か座っていることに気づいた。


 桜の花の大きな髪飾りをつけたおかっぱ頭に、桃色の小袖こそで。丸くて大きな黒い瞳が可愛くて……だけど、なによりも真っ白な肌が印象的だった。


 彼女が手を伸ばして、汗ばんだぼくの額にそっと触れる仕草をした。そして、優しく微笑みかけてくれたんだ。


――大丈夫だよ。


 やわらかな声が聞こえた気がして、僕は安心して目を閉じた。



 その日をさかいに、僕はましろちゃんと友達になった。ましろちゃんは話せなかったし和室から動けなかったから、僕が一方的に話しかけたり絵本を読んであげたりしただけだけど。

 ましろちゃんはいつも嬉しそうに笑ってくれた。だから、僕は彼女のことが大好きになっていったんだ。



*  *



 座敷童ざしきわらしっていう言葉を知ったのは、小学生になってからだった。

 何気なくクラスメイトにましろちゃんの話をしたら、「うわ! それ、絶対座敷童ざしきわらしだって!!」って気味悪がられたんだ。


 そいつは妖怪が見たいって言って、僕の家に遊びに来ようとした。だけど、ましろちゃんがけなされている気がしてすごく嫌だったからその度に断っていたら、嘘つき呼ばわりされた。


「何かあったの?」


 家に帰った僕を見るなり、母さんが尋ねてきた。元気がないって。


「お母さん、ましろちゃんは座敷童子ざしきわらしなの…? トモが、妖怪だ、気持ち悪いって……」


 母さんは、玄関で立ったまま泣き出した僕をそっと抱きしめてくれた。

 座敷童ざしきわらしはその家に住む人を守ってくれる優しい存在なんだって。

 ずっと昔に死んでしまったけれど、元々は僕らと何も変わらないただの子どもだったんだって教えてくれた。幸せを運んできてくれる神様だっていう話もあるらしい。


「お母さんにはましろちゃんが見えないし、本当に座敷童ざしきわらしなのかどうかもわからない。だけど、大切なお友達なんでしょう? それでいいじゃない」



 母さんはごく普通の専業主婦だけど、細かいことを気にしないマイペースな人だ。  

 そして、息子の僕が言うのもなんだけど、お茶目で可愛い。


 ましろちゃんのことを顔が真っ白くて綺麗だからっていう理由で「しろちゃん」って呼んでた僕に、「それじゃあワンちゃんの名前みたいだから、ましろちゃんにしましょ!」って提案してきたのも母さんだった。

 あのとき、「ね!」って全然違う方向を見ながら楽しそうに同意を求められたましろちゃんは、すごく嬉しそうに笑ってた。



 そして、父さんは稼ぎのいい会社員で現実主義者ってタイプの人なのに、僕や母さんの言うことはいつだって無条件に信じてくれる。

 だから、自分には見えないものが見えている息子を病院送りになんてしなかったし、「ましろちゃんといっしょに食べたい!」ってねだったお菓子を、母さんに内緒でこっそり買ってくれたりした。



 そんな両親とましろちゃんとの暮らしはとても楽しかった。

 だけど、父さんの転勤が決まって、僕たち家族は遠くの街に引っ越すことになったんだ。



*  *



 それから数年が経って、僕は中学生になった。

 サッカー部でレギュラー落ちして悔し泣きしたとき、ようやくスタメンに選ばれた試合に勝ったとき、友達と喧嘩して落ち込んだ時……。

 色々な場面で、ましろちゃんのことを思い出す。


 あの狭い和室で、いつも僕の話に一生懸命耳をかたむけ微笑んでくれた、涙をこうとしてくれた優しいあの子を忘れることなんてできなかった。



 今はどんな人があそこに住んでるんだろう?

 ましろちゃんは幸せにしてるかな?




 新幹線に乗らないとたどり着けない田舎町の風景がテレビ画面に映し出されたのは、梅雨のとある金曜日だった。

 正午のニュースだ。降り続いた雨の影響で起きた土砂崩れに、一軒の家屋が巻き込まれたらしい。


 それは、僕が暮らしたあの家だった。

 住人は小さな赤ちゃん連れの家族で、奇跡的にみな無事だったという。


 インタビューに答える抱っこ紐をつけた女性の後ろには、茶色く濁った土砂の山。 

 ましろちゃんがいるはずの家は、押しつぶされてしまっていた。



 とっくの昔に死んでしまっているのに、身を案じるのはおかしなことだったのかもしれない。それでも僕はいてもたってもいられなくて、父さんに明日新幹線に乗りたいって頼んだ。


 だけど規制線が張られているだろうし何より地盤が緩んでいて危険だって。「お前に何かあったら、それこそましろちゃんが悲しむだろう? わかるな?」って、まっすぐに目を見てさとしてくれたから、僕は強く拳を握って頷いた。




 ようやくあの場所に行けたのは、夏休みに入ってからだった。

 辿り着いた先に待っていたのは更地さらちだ。

 あの家はどこにもない。


 父さんと母さんをその場に残し、僕は駆け出した。感覚で覚えていた和室があった場所に立って叫ぶ。


「ましろちゃんっ! 会いにきたよ!」


 返事はない。

 ましろちゃんは話せなかったから当然なのかもしれないけど、ふわりと姿を現してくれる気がしていたから……。


 僕はその場に座って泣いた。

 そのとき、やわらかな風が吹いて僕の頬をそっと撫でてくれた。


――ありがとう。


 そんな声が聞こえた気がして、僕は強く、強く頷いたんだ。




 夏休みの間中、僕は宿題そっちのけでスケッチブックに向かった。絵なんて授業か、それこそ夏休みの宿題でしかきちんと描いたことがなかったけど、どうしてもましろちゃんの姿を残しておきたいと思ったから。


 ようやく完成した絵を眺めていると、背中から声がかかった。


「何を一生懸命やってるのかな~と思ったら…」

「母さん!勝手に見ないでよ!!」

「これ、もしかして…」

「……うん、ましろちゃん」


「そう。……ましろちゃんってこういう子だったんだね。すごく可愛い」


 母さんは、あたたかな瞳でスケッチブックを見下ろしている。

 はっとしたのは、僕の絵で、母さんにましろちゃんの姿を伝えることができたんだって気づいたからだ。

 そして思った。

 もっともっと上手に絵が描けるようになりたいって。




 そして今。

 高校入試を目前にした僕は、塾ではなく絵画教室に朝から晩まで通っている。

 美術科のある高校を受験するためだ。


「できた」


 目の前のキャンバスには、桜の髪飾りをつけたおかっぱ頭の女の子。桃色の小袖から覗いた真っ白な手を口元に添えて、幸せそうに微笑んでいる。

 タイトルは、描き始める前から決まっていた。



『夢をくれた君へ』



 ありがとう。

 ずっとずっと、忘れないよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕とましろちゃん 翔花里奈 @ri_shoka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ