さくらのまいご

絵空こそら

第1話

 登校初日から道に迷った。


 始業式が終わり、教室に戻る列の中でクラスメイトの吉田君(初対面)が、気分が悪いというので保健室まで付き添ったのだった。保健室を出るとさてどうしたことか、教室までの道がまったくわからなくなっていた。


 保健室があるのと同じ一階の教室だったはずだけど、それらしい廊下を曲がって覗いてみても、第一生物室とか、倉庫とか、校長室とかしか見当たらず。おそらく教室棟とは違う棟に来てしまったのだろう。冷静にそう考えてみるも、肝心の戻り方がわからない。流石に校長室のドアをノックして、「サーセン、1年B組の教室どこっすか」と聞く勇気もなく、そこらへんをぶらぶらして地道に探す。どの学年も第一回目のホームルームをしているのか、廊下はしんと静まり返っていた。


 そこへ、びゅおっと唸る風が吹き込んできた。春先の冷たい空気をもろに浴びて、思わず身震いする。ぎゅっと目を閉じて、開けると、くるくる回転する花びらが横切っていった。ひとつだけ窓が開いている。


 外の空は白んでいた。晴れているけど、色が薄く、透明な光ばかりが目についた。窓から見える裏門の近くには大きな桜の木があり、その下にはこれまた大きな池。輪郭を縁どる淡い光と幹や枝の黒さが、強烈なコントラストを作っていた。風が吹く度、遅咲きのその桜はぱらぱらと花びらを散らした。光をのせたままの花びらが、流星のように尾をひいては水面に降っていく。


「散る花はあー」


 幻想的なその景色に思わず見惚れていたら、近くで人の声がしたのでぎょっとした。声の出所を探すと、すぐ下にいた。茶色い旋毛と、制服のスラックスからはみ出る裸足が見えた。


「数限りなしことごとくうー、光をひきて谷にゆくかもおー」


 ひどく間延びした声は、短歌を諳んじているようだった。こういう景色を見て歌を詠むとか平安貴族かよ、と思っていたら、その頭がぐわっと仰け反った。


「そんな感じしなあーい?」


「うおっ!」


 飛び退る俺を見て、そいつは仰け反ったままケタケタと笑った。貴族じゃなくて妖怪かよ、と思った。


 若干引きながらそいつを観察する。色の薄い髪の中でピアスが光っている。えらい具合に気崩されていはいるが、制服はのりがきいているように見えた。


「い、一年?」


「そう、ぴかぴかの」


「なにしてんの」


「桜見てた」


「ホームルームは?」


「なんそれ」


 奴はやっと顔をまともな方向に戻すと、大きく欠伸をした。


 問題児なのは間違いない。ふつう登校初日というのは、友達できるかな?とそわそわしながら、中学とは違う机の感触に少し戸惑いながら、自己紹介の文面とかを考えているものではないのか。少なくとも、俺には外でひとりお花見をするという選択肢はない。


「そっちこそなにしてんのー」


 奴は振り向いて言った。その言葉で我に返る。


「えっと、教室までの道がわかんなくなって」


「ぷっ。迷子かよ」


 愉快そうに笑われ、少しむっとした。


「おまえだって同じようなもんだろ」


「俺はちげー」


 奴は前を見ながら言った。


「行き方はわかるし。行きたくねーだけよん」


 そして足をぶらぶらさせる。指をばらばらに動かすと、足の甲に影が波打った。奴はおもむろに立ち上がると、片腕を大きく上げて伸びをし、片手で尻についた草をぱっぱと払う。器用だ。


「いーお天気ー。おれ他んとこ行くわ。一緒来る?」


 そう聞かれてどきりとする。突如現れた選択肢。確かに空が綺麗な昼に、天井と壁に囲われて30人くらいの人間が並んで前を向いて、緊張しながら深緑色の板を眺めているなんておかしな話だ。そう思わせるくらいには、その誘いは魅力的だった。


「いや、俺はいいや」


 しかし、俺は断っていた。


 奴は気にした風もなく、「そ、じゃねー」と残しひょいひょい芝生を歩いていく。うわー本当に帰るんだ、初日からエスケープ……と思いながらその身軽な背中を見つめる。心配なような羨ましいような。なんとなく、このまま奴は二度と学校に来ないんじゃないかと、そんな気がした。


「あのさ」


「ん?」


 知らず知らずのうちに声をかけていた。すでに離れたところにある茶色い頭がゆっくり振り向く。


「教室までの道教えて」


 奴は遠くで瞬きをした。顔に差す陰影が、その笑いに合わせて姿を変える。


 そしてひょいひょい歩いて戻ってくると、窓枠に裸足のまま飛び乗った。髪からぱらぱら桜の花びらが、光を引いて落ちてくる。


「ええよん」



 なんてことはない。保健室を出て左にいくところを、右に出てしまったためにややこしく感じただけだったようだ。ちゃんと窓を閉めて少し姿勢の悪い背中についていくと、わりとすぐに1-Bに到着した。


 しかし始業式が終わってから、結構時間が経っていた。このタイミングで教室に入るのは、勇気がいる。後ろのドアからそっと入ろうと画策していると、奴はあろうことか前方のドアを勢いよく開け放した。


「どもー、ピザのお届けでーす」


 突然の侵入者に、教卓の前の担任も行儀よく席についている新入生27人も、唖然としている。俺は慌てて弁解した。


「えっと、体育館から教室に帰る途中で吉田君が具合悪くなって、今保健室で休んでます。それで……」


「この子は迷子になってました」


「お前は黙ってろ」


「なにを、優秀なガイドに向かって」


「はいはいそこまで」


 状況を早くも飲み込んだらしい担任が手を打った。


「三人も行方不明になったから、今探してもらってたんだ。吉田が保健室で休んでるのはわかってたけど、お前たちも見つかってよかった。山田はともかく、高砂は朝から来てなかっただろう。よかったよかった」


「へえーお前山田っていうの?っぽい顔してんねー」


 奴は担任の言葉には答えず、俺の顔をまじまじと見て言った。教室がどっと沸く。


「はいはい、じゃ、ふたりとも席について。山田はそっちで高砂そっちね。今から委員会決めるぞー。まずクラス委員決めといて」


 そして担任は報告のためか、一旦教室を出て行く。丸投げされた生徒たちは顔を見合わせてざわざわ騒いでいる。


 俺は指示された真ん中の列の席について、奴は窓際の席についた。奴のほうをちらりと見ると、意外とちゃんとした姿勢で座っているものの、机と椅子が妙な具合に馴染んでいなかった。


「え、じゃあ、立候補したい人~……」


 仕方なし、という感じに、活発そうな女子が音頭をとるが、みんな曖昧な笑みを浮かべるばかりで気まずい沈黙が流れる。なんとなく「言い出しっぺがやれよ」という空気が漂っており、彼女は困ったように項垂れた。


「俺やるよ」


 手を挙げたら、全員が一斉にこっちを見た。さっき注目を浴びたばかりなので、居たたまれない。


「他にやりたい人、いる?」


 また沈黙。俺で決まりなのだろう。


「じゃ、他の委員会も決めますか」


 前に出て、黒板にチョークで図書委員、保健委員、あと何委員あったっけ?と思い出しながら書く間も、出しゃばりだと思われないだろうかと本当は気が気ではない。クラス委員なんてやりたくはないが、俺はあの沈黙の時間が苦手で、それだけだ。どうせそんなに難しい仕事ではなし、必ず何かは課せられるんだし、ならば早くあの空白の時間を終わらせたかった。


 そのとき、教室がどよめいた。


 振り向いてみると、窓が開いていた。教室の中に寒々しい風がびゅうびゅう吹き込む。


 下手人は非難の声と光と風を浴びて、揺れる髪の間から俺を、愉快そうに見つめていた。



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さくらのまいご 絵空こそら @hiidurutokorono

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