第3話 コスタリカ 〜軽い酸味と控えめな苦味 透明感のある味わい〜
目を覚ました私は、軽く伸びをしてからベッドを離れた。
まだ7時だというのに窓に日差しが照りつけている。今日も暑くなりそうだ。
リビングのドアを開けると、朝食の匂いが鼻腔をくすぐった。
休みの日にも関わらず、妻の朝は早い。
「おはよう。」
私はキッチンに立つ、妻の後ろ姿に声をかけた。
「昨日は突然、すまなかったね。」
私は昨日、夕飯を食べなかったことに対して妻に謝罪した。
「気にしなくて良いですよ。仕事の付き合いもあるでしょうし。朝はパンにします?それともご飯?」
「昨日の夕飯の残りを食べるよ。残しちゃもったいないだろう。」
妻の問に、私は昨晩LINEで伝えた通りの事を言った。
「大丈夫ですよ。昨日はカレーだったので、今日の晩ごはんにアレンジして出しますよ。」
笑顔で答える。全く良くできた妻だ。
テーブルの上にあった新聞に目を通していると、目の前にトーストとハムエッグ、サラダ、コーンスープが置かれた。
私は新聞を置き、朝食を口に運んだ。昨日の居酒屋のメニューで少しもたれた胃に、優しい味付けが有難かった。
「コーヒー飲むかい?」
朝食を食べ終わった私は、そう妻に尋ねた。これは我が家の休みの日の日課。
妻の答えを待たずに、私はコーヒー豆を準備する。カップはふたつ。食器棚に入っているお揃いのコーヒーカップだ。
いくつかある豆の中で、私はコスタリカを選んだ。癖がなくすっきりとした味わいが楽しめるため、今日のように胃腸を休めたいときに好んで飲んでいる。
ミルに豆を入れて、ゆっくりとハンドルを回す。電動ミルの購入を考えたときもあるが、香りを楽しみながら、ミルを回すこの時間が好きなため、何年も手回しでコーヒーを挽いている。
ペーパーフィルターをセットして、ゆっくりとお湯を注いでいく。
真ん中から円を描くように注ぎ、少し蒸らす。30秒ほど待って再度お湯を注いでいく。
蒸らした直後が、芳醇な香りを一番楽しむことができる瞬間だ。
コーヒーメーカーでは味わえないこの瞬間が好きだった。
家事の途中であったが、妻が私の正面に座った。
コーヒーを淹れると、妻は家事を中断してでもテーブルにつく。コーヒーは淹れたてが一番美味しいことを知っているからだろう。
もしかしたら、コーヒー好きの私に付き合ってくれているだけかもしれないが。
リビングの扉が開き、次男の弘樹が目を擦りながら入ってきた。
無言でテーブルにつく。
「弘樹、お父さんにおはようは?あと、ご飯の前に顔を洗ってきなさい。」
「お父さん、おはよう。」
私も弘樹に挨拶をする。椅子から立った弘樹は、やはり目を擦りながら洗面所へと歩いて行った。
程なくしてドタドタと階段を駆け下りる音がした。最後の音が一番大きかったことから、最後は数段飛び降りたのだろうと推測できる。
「お父さん、おとうさん!今日どこか行く?」
リビングのドアを乱暴に開けて入ってきたのは長男の大樹だった。
「大樹、まずは顔を洗ってきなさい。」
我が家は今日も平和だ。
私はコーヒーと新聞を持ち、ソファーに座ってテレビをつけた。朝の情報番組をチェックする時間だ。
土曜日ということもあり、どこの局もバラエティ色の強い放送をしている。適当なチャンネルに合わせてからソファーにもたれかかりながら、既にぬるくなってしまったコーヒーを口に含んだ。
スマホが鳴った。
珍しいこともあるものだ。
新宿でタピオカなう。
折原さんからだ。
短い文章と一緒にタピオカミルクティーの写真が送られてきた。
昨日も帰りが遅かっただろうに、全く元気な人だ。
タピオカ美味しそうだね。
ところで、ゆっくり休むんじゃなかったのかな?
私は短い文章を打つと、LINEを送信した。
間髪入れずにLINEが送られてくる。昨日と同じウサギのスタンプだ。
今度は「問題ありません」と書いた看板を持っている。
若者というのは、こんなにも頻繁に連絡を取るものなのだろうか?
それに比べて、私が妻にLINEを送る事は、とても少ないように思える。送っても「遅くなる」「飯はいらない」ぐらいだ。
「お父さん!」
大樹が話しかけてきた。
「今日、どこか行こうよ。」
行こうよじゃなくて、連れてっての間違いじゃないだろうか?
「そうは言っても、もう10時だぞ。特に計画も立てていないし。」
別に遊びに行くのは良いが、今からでは遠くに行くことはできない。
「こないだ行った川は?」
大樹が言っているのは、丹沢山にある渓谷の事だろう。我が家は厚木にあるので、今からでも行けない距離ではない。
「分かった分かった。じゃあ、出かける準備をして。」
私はそう言うと、物置から子供用のライフジャケットと、渓流竿を一本取り出した。子供が遊んでいる間は雑魚釣りでもして楽しもうと思う。
渓谷に付いたのは、お昼を少し過ぎた頃だった。
安全の為、子供たちにはしっかりとライフジャケットを付けさせる。
「お父さん、こっち来て!」
弘樹が興奮しながら私を呼んでいる。何かを見つけたようだ。
「カニがいるよ。」
弘樹が指さした先には、小さなカニが身を隠していた。
「サワガニか、よく見つけられたね。」
弘樹はじっとしているサワガニを、やはりじっとしながら眺めている。きっと彼の中では大発見だったのだろう。
「お父さん!お父さん!ここ超流れが速いよ。」
今度は大樹が私を呼んだ。
速い流れの場所で仰向けになり、スライダーの様にして遊んでいる。
その後も、ふたりは順番に私を呼んでは、何らかの発見の報告をしてくれた。どうやら釣りをする時間は無さそうだ。
そうだ、写真を撮ろう。
私は子供たちに声をかけると、ふたりの写真を撮った。木々の間から差し込む陽光と相まって、なかなか良い写真が撮れた。
こういう時は、LINEで共有するものなのだろうか?
よく分からないが、家で待つ妻に送ってみよう。喜ぶかもしれない。
私はLINEを開くと、妻に写真を送ってみた。こんな内容を送るのはいつ以来だろうか。
そうだ、折原さんにも送ってみよう。何か返ってくるかもしれない。
文章は・・・。
渓谷なう。
まあ、こんなものだろう。
すぐに既読がついて、返事が返ってきた。
気持ち良さそうですね。羨ましい。
でも、渓谷なうって・・・意外すぎて吹き出しちゃいました。
やはり、ウサギのスタンプが送られてきた。今度は親指を立てて「Good Job!」と書かれていた。
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