第4話
教授に
“地震”という普段とは異なる状況下なので教授側もNOと突き返すことはできない。
快くなのか、嫌々なのかは分からないが許可は得た。
鳥越は家までの路で段々心配が募ってきた。
電話が終わって急いで帰ってきているが、今彼女は家にいてひたすら自分のことを待ち続けている。
その沈黙の時間は彼女に今後についてを考えさせる絶好の時間にもなる。
ゆっくり考えることでどういう風に変わっていくのか想像が付かない。
もしかしたら鳥越にとって良い方向に進むかもしれないし、寧ろ悪い方向に進むかもしれない。
色々な憶測が浮かんでは消えていく。
鳥越は自分の家に帰るだけなのに家に近づけば近づくほど緊張感が増していく。
見慣れた建物が段々近づいてくる。
目の前になるほど近づいてくるペースが速くなってくる。
玄関を握る手が震える。
これを開けたらどうなるのか、想像も付かない。
他人の家に入るような心地がする。
今までの人生でこんな経験をしたことは勿論ないので心配が大きくなっていく。
ガチャ
鳥越がドアを開ける前に中から開けられた
「早く入って。」
玄関口から主導権が握られてしまった。
鳥越はこの“闘い”は主導権をすべて持っていかれたら敗けだということは分かっている。
玄関くらいは自分から開けて入る予定だったのに既に構想が崩れてしまった。
ここで彼女の指示に逆らう理由もない。
どちらかと言えば逆らうべきではない。
そういうところは鳥越も
靴を脱いでリビングダイニングに案内された。
彼女にされたことは案内されたと言うのが最も近い言葉だ。
端からこの光景を見たら鳥越と佐々木の間にはビジネスでの関係しかないのだろうなと思うだろう。
それくらい二人には見えない距離があった。
というよりは彼女がそれを作っていた。
鳥越にとっては完全アウェーの家に入ってきた感じでここで既に主導権は彼女の方に渡されているかもしれない。
鳥越は一度落ち着いて部屋を見渡す。
地震が起こってから家に帰ってきたのはこれが初めてで被害状況の確認くらいはしておかなければならない。
軽く見た限りでは被害はなかったようで一安心だ。
テーブル越しでの朝以来の顔合わせは物々しい雰囲気で始まった。
佐々木の目力に鳥越は圧倒されている。
本当はface to faceで話をしたくはないのだが目を反らそうもんなら彼女からの強い視線をもれなく貰える。
「で、ここに来て何を話そうってつもり。」
鳥越にとってはこの重たい中で沈黙を破られて何か言いたくても言葉が詰まってしまう。
佐々木からしたら
「なっ、何から話せば良い?」
身体を黙らせてどうにか出した言葉だった。
雰囲気にやられて声は掠れている。
「あなたが何で家にわざわざ返ってきたのか考えれば良いんじゃないの?」
どこまででも彼女の口調は自分の方が地位が高いという前提だ。
後にかかあ天下となりうる構図である。
「帰ってきたのは誤解を解くためだよ。」
自分の気持ちをちゃんと伝えるとなると言葉がすらすらと出てくる。
寧ろこの感じで進めていけば主導権こそ握られてもどうにかなるのではないかと鳥越は思えてきた。
「これまでちゃんと話してなかったのかもしれないけど僕は研究を主な仕事としているけどあくまでも大学の一職員なの。
だから何かあったら研究ではなくて大学のために働かなくてはならないんだよ。
今日も大学のために働いてきていた。」
ちょっと喋るのが早すぎたかもしれない、と鳥越は思った。
言いたいことを伝えようとすると遂々言葉が先走ってしまう。
出来る限り彼女に理解しやすい専門用語のない言葉選びが出来たのは多分鳥越に有意義にはたらくだろう。
佐々木が“研究”に対して一定の固定観念を持って話を進めていくのには一つ訳がある。
彼女自身が鳥越以外にそういうパイプを持っていないからである。
彼女は大学に進学こそしていたが、研究という研究とは疎遠だった。
高校生のときにも文理選択では迷うことなく文系を選び、理系科目との縁を最小限に抑える努力を怠らなかった。
鳥越との会話の中でも理系的な話がなされないように一生懸命話の話題を変えていた。
それでも進学がバリバリの理系の鳥越の彼女なので少なからず話が入ってくるが遮断してしまったので残ったものは物事を今までの彼女の経験で判断するということだけだった。
遮断していく中で佐々木の鳥越に対する冷淡さは生まれていった。
「ふーん、そんな話初めて聞いたよ。」
彼女の口調からどこか優しさを感じた。
人を傷つけるような棘が潜んでいるなかに優しい棘も混じっているようだ。
「でも、それは帰ってこなかった理由にはならないよね。」
鳥越も理解している。
それでどうにかなるような話ではないということを。
本心を言うことは許されることなのか、ここだけは曖昧だが当たって砕けてはどうしようもない。
正直、互いの歩み寄りが必要な局面ではある。
「あの時、家に帰っても桃子はいなかったし学生のために、大学のために、誰かのために人助けしてあげるのが役目なんだなと思ったから…」
最後は言葉を濁した。
本当にこんな言葉で良いのかなという不安の表れだった。
暫くの沈黙が続く。
この時間が鳥越にとっては一番のドキドキの時間だ。
より姿勢を正して誠心誠意で立ち向かっているのだということをアピールした。
「私よりも学生の方が優先度が高かったんでしょ?」
鳥越の真意が伝わっていないようだ。
佐々木は高校生のときから自分に自信を持てていなかったので話を自分にとって不利な方向に持っていきがちなのだ。
「桃子の方が大事だよ。」
優しく声をかける。
諭している、という言葉が適切なくらいに優しい言葉だ。
ここで退かずに思っていることを伝えるのが一番良いと鳥越は思った。
だから諦めずに声をかけ続けるのだ。
鳥越はかつて“一番”という言葉は他に“二番”や“三番”がいるように感じてしまうから使うべきではないということを聞いたことがあったので順位付けをすることなく言葉をかけ続けていった。
佐々木と学生の優先度を尋ねる佐々木とそれに対して佐々木の方が大事だと伝える鳥越のニュアンスが同じ会話を何度も何度も重ねた。
一回のやり取りに対して佐々木は少しだけ鳥越の信用度を上げた。
結局、どこまで佐々木にそうだと思わせられるかが勝負だったのだ。
このあと鳥越は誤解だったというように謝られた。
婚約破棄だの何だの言われたことに鳥越は気に止めてないと言えば嘘になるが、そこまで重大なこととは捉えていなかった。
それは高校生のときからここまでの佐々木といる時間が教えてくれたのだ。
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