片町、末の子

「喜多が覚醒の準備段階に入りましたよ」


「本当ですか!」


 向かいに座る息子の新田からそう告げられ、駅神は反射的に叫んでしまった。新田が驚いて湯呑に伸ばした右手を震わせたのが見えたが、この興奮はそう簡単には冷めてはくれない。

 駅神という存在故、新しく息子を迎えられる! という事実が嬉しくて堪らないのだ。毎度毎度、準備段階に入ったことを知らされると自身の心に溢れ返る喜びの感情をどのように発散すればよいのかわからなくなる。衝動的に立ち上がり茶室の中を訳もなくウロウロする姿は、我ながら奇妙だと思わざるを得ない。

 新田はすっかり呆れ顔で茶を飲んでいるが、席に戻る気にはなれなかった。頭の中に浮かんだ疑問や心配事が、聞くべきかを一考する間もなく口から飛び出して行く。


「喜多くんの体調は如何ですか? 熱はどの程度でしょうか? ご飯は食べられていますか? 何か体の痛みを訴えてなどは――」


「駅神様! 興奮されていることは百も承知ですが、どうか落ち着いてください。順々にお話しますから」


 新田が呆れた声色で声を被せてきた。ため息混じりに元の場所に戻るように促され、駅神はソワソワとする心を抱えたまま仕方なく座卓の前に腰を下ろす。


「お茶でも飲んで落ち着かれたら如何ですか?」


 そう言われ、美濃焼の湯呑に入っている少し冷めてしまった緑茶を喉に少量ずつ流し込む。ほどよい苦味が興奮冷めやらぬ心と頭へのストッパーのように働き、緑茶が喉を通り抜ける度に冷静さが戻ってきた。湯呑を置き、新田の顔へ向き直る。新田は「よろしいですか?」と訪ねた後に話し始めた。


「喜多の体調には問題ありませんよ。熱も第一世代ですから微熱程度です。まあ、頭は痛いと言っていますが大したことはないでしょう」


 新田は「飯もモリモリ食べていますよ」と笑いながら話し、安心しましたか? とでも言いたげな視線を向けてきた。駅神はその視線に対して無言で頷き、短く息を吐いた。全身に入っていた力が一気に抜ける。


「元気そうで良かったです。……ああ、早く会いたくて堪りません」


 新しい息子と過ごす日々を想像し、再び心が落ち着かなくなってきた。陽気で活発な性格と聞いているが甘いものは好きだろうか? この空間を気に入ってくれるだろうか? 不安は多くあるが、会いたいという強い気持ちがそれを片っ端から塗りつぶしていく。駅神は湯呑を両手で包み込むように持つと、縁側の先に広がる結界内の景色を眺めた。依代の椿が美しく咲き誇っている。


「幾つになっても、子を迎えるというのは嬉しいものですね」






 駅神は、座卓の上に鎮座している四本の三色団子に手を伸ばしそうになる衝動を抑え込んだ。これで三回目になる。大好物を前に我慢を強いられるとは、まるで犬だ。しかし、ここで手を付けてしまっては犬以下である。この三色団子は新田が、新しい息子との時間をより楽しいものにしてほしい。との思いで持ってきてくれた物だ。彼の思いを無駄にするわけにはいかない。そして、新しい息子にも美味しい団子を食べてほしい。ここは意思を強く持って耐えるしか――


 誰かが結界内に侵入してくる気配を体で感じ、駅神の思考が一瞬でクリアになった。座卓の前で正座をしたまま茶室の外の結界内へ顔を向ける。息子が結界内へ侵入してくる時は感覚だけで誰なのかが分かるのだが、今回は初めての感覚だった。これは、いずれ慣れることになる新しい息子の感覚だ。息を吸いながら背筋を伸ばし、姿勢を正す。この茶室へと続く石畳を踏みしめる足音がゆっくりと近付いて来た。

 椿の生垣の影から姿を見せたのは若い青年だった。体つきは細身だが、顔つきは新田の言う通り活発そうな印象を受ける。制服も、とても良く似合っていた。駅神と視線がぶつかり不安げに眉を顰めている彼に、駅神は優しく手招きをする。


「おいで。怖がらなくても平気ですよ」


 喜多はその場で数秒間駅神を凝視した後、恐る恐るといった様子で一歩を踏み出した。靴を脱いで縁側に上がる様子が不慣れで初々しく、駅神の頬がついつい緩む。視線を至るところに忙しなく動かしながら茶室へと足を踏み入れた喜多へ、駅神は手を差し伸べて座るように促した。


「私の前へどうぞ。そう緊張なさらなくても大丈夫ですよ」


 喜多は小さく会釈をしながら、駅神の前に腰を下ろした。座卓の上の三色団子と駅神の顔の間を、視線が何度も行き来している。緊張と戸惑いで倒れてしまいそうな彼の心の内が伝わってきたような気がして、駅神は再び頬を大きく緩ませた。


「ようこそ、片町駅へ」


 出来るだけ優しく歓迎の挨拶をする。喜多は自身が歓迎されていると分かったようで固かった表情を少しだけ柔らかくしたが、まだ完全に心を開いてはいない様子に見えた。両肩を丸め、上目遣いに駅神を見つめている。


「あなたは……誰ですか?」


 喜多からのお約束とも言える質問に、笑顔を見せながら答える。この質問をされた時が、息子を迎えたのだな。という実感に最も浸れる瞬間だった。


「私は、ここ片町駅の駅神です」


「駅神……様?」


「簡単に言えば、この駅そのものですよ」


 駅神は、そう答えながら湯呑を手に取る。ほろ苦い緑茶を流し込みながら喜多の様子を伺うが、喜多は僅かに首を傾げていた。果たして、彼は駅神という存在を理解できたのだろうか……?

 一抹の不安を抱えながら、駅神はずっと自分を誘惑し続けている座卓の上の三色団子へと手を向けた。


「お団子はお好きですか? 新田くんが用意してくださったのです。いただきましょう」


「新田助役が?」


 喜多の問いかけに、「ええ」と笑顔で肯定する。喜多は興味深そうな様子で綺麗に並べられた三色団子を見つめると、そっと右手を伸ばした。最も近い団子の串を手に取り、一番上に刺さっている桜色の団子に噛みつく。数回の咀嚼の後、喜多は嬉しそうに口元を綻ばせた。


「美味しいです! 僕、甘いものが大好きなんです!」


 喜多の表情からは不安や緊張などの一切が消えたように見えた。間髪入れず二番目に刺さっている白色の団子に噛みつき、幸せそうに咀嚼する。その笑顔があまりにも可愛らしく、駅神はとうとう笑い声を漏らしてしまった。三番目の緑色の団子に今にも歯を立てようとしていた喜多が動きを止め、駅神を見やる。


「あの……何かおかしかったでしょうか?」


「いいえ。すみません、嬉しそうに食べているのが可愛らしくて……お気になさらないでください」


 喜多は不思議そうに眉を下げていたが「そうですか」と小さく零すと、すぐに食事を再開した。三つ目の団子を噛み砕いて飲み込み、再度「美味しい!」と声を上げる。


「駅神様も、どうぞお食べになってください! 絶品ですよ、甘さも絶妙で!」


「そうなのですね。では私も」


 駅神は待ちに待った団子に手を伸ばす。大ぶりな団子なだけあって串を持った時にそれなりの重さが手にかかり、思わず喉が鳴った。これは美味しいに決まっている! 駅神は桜色の団子を咥え、そっと引き抜いた。咀嚼する度に優しい甘さが口内に広がり、ゆっくりと解けていく。想像通り――そして、喜多が言う通りの絶品だった。


「これは美味しいですね」


 新しい息子と食べる初めての食事に、実にふさわしい味だ。我慢できず「もう一本よろしいでしょうか?」と尋ねてくる喜多を見ていると、これから彼と過ごす未来が明るいものに思えてならない。私や他の息子達を楽しませ、この駅を明る照らしてくれそうな子だ。


「構いませんよ。遠慮せずに何本でも」


 いつかは彼が、新しい息子と食べるお菓子を準備する立場に回るのだろうか……? この団子を用意した新田が、かつてそうだったように。

 駅神は片町駅の駅神として――息子達のとして送る果てしない未来を想像しながら、縁側の先の結界内に顔を向けた。二番目の団子に歯を立てる。結界内の依代は、相変わらず堂々と咲き誇っていた。

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