第3話
それから一月あまりの時が流れた。
相変わらず『ぐげ』の正体を探る俺に、同僚はある人物を紹介してくれた。
H大学の院生で、民俗学を研究している高橋という男だった。
同僚の後輩で学部時代は同じゼミに所属していたそうだ。
彼は挨拶もそこそこに、開口一番こう言った。
「『ぐげ』の資料を研究室から借りてきました。どれから見ましょうか」
俺がさんざん調べて見つけられなかったものがいともたやすく目の前に現れるとは……
にわかには信じがたかった。
「そんなに資料があるってことは『ぐげ』という生き物はけっこうメジャーなんですか?」
「いやいや、かなりのマイナー妖怪ですよ、こいつは。長野県の山岳部に少しだけ伝承が残っていたかな?ってレベルです」
『妖怪』というワードが高橋の口からさらりと発せられた。やはり同僚の見立ては間違っていなかったのだ。彼は苦笑しながら続ける。
「もしも『ろくろ首』とか『ひとつ目小僧』、『トイレの花子さん』なんてメジャーどころの資料を集めようと思ったらこんなちっぽけな紙袋にはとても入りません」
高橋は古びた『風土記文録』と書かれた本を取り出すと中を開いて見せた。
そこには毛が絡まりあった犬とも狐とも似つかない不思議な動物が描かれている。
「有力な説としてですが、『ぐげ』という妖怪は漢字で書くと『九毛』となるみたいです」
あくまでもひとつの説ですが、と念押ししながら高橋は空中で手を動かす。
俺は小学生のときの書写の時間を思い出した。
筆をもって書き方の説明をする教師のようだ。
「9本の毛にしてはずいぶんもじゃもじゃしてますが……『九毛』ね、なるほど」
「中村さんは古代中国から伝わる『九尾の狐』ってご存知ですか?最近ではゲームやマンガの中にもちらほら登場するみたいです」
「尻尾がたくさんある狐?」
「そう、それです。あれの亜流がこの『九毛』ということみたいです」
亜流、という言葉がピンとこなかったが高橋の説明からするとこういうことらしい。
伝承というのは形を変えて人から人へと伝わっていく。
そうすると最初は狐だったのが次第に狸になったり、犬になったり、猫になったりと地域や時代によって姿を変えていく。
尾の数も9本のはずが8本だったり、10本だったり、いや、そもそも尻尾ではなく足が多いんだ、いやいや角が生えているんだ……と話のディティールが曖昧になっていく。
そういうわけで『九尾の狐』を本流と考えた際、亜流にあたるのがこの『ぐげ』というわけだ。
「『ぐげ』、あるいは『くけ』……あくまでも一説ですがね。ほかにもこんなものもあります」
と言って高橋はレシートの裏にさらさらと漢字を書き込む。
そこには『狗毛』と書かれていた。
「僕個人としてはこちらの説を推したいんですよ。あんまり気分のいい話ではないんですがね」
なかなかもったいぶる男だ。
「そう言わずに聞かせてくださいよ」
「もちろんです、ところで中村さん。現代社会のタブーというと何を思い浮かべます?」
「タブー?」
殺人、放火、強盗……パッと思い付く限りでもろくでもないものばかりだ。
「いろいろとあるわけですが、中でも忌避されるのが近親相姦です」
「それは……まあ、そうでしょうね」
「さきほど、長野県の山岳部に少しだけ伝承が残っているって言ったじゃないですか」
「ええ……」
嫌な予感がする。俺の祖父が住んでいるのは長野の山奥、ここで高橋の言葉を借りるとするならば山岳部となる。
「『ぐげ』という妖怪は若い女に惚れた狗神が契りを交わして産まれた、とされているんですよ。女の美しい黒髪と狗神の体を受け継いだ存在ですね。人間と人間以外のモノが契りを結ぶ話は『異類婚姻譚』として世界各地にあります。分かりやすい例をあげると、ディズニーで有名になった『美女と野獣』や『人魚姫』……『リトルマーメイド』といったほうが通じますかね」
「ディズニーと妖怪になんの関係が?」
「すいません、話がそれてしまって。僕の悪い癖です。この話で重要なのは『異類婚姻譚』の部分なんですよ。美しい話というのは多くの場合、汚い現実をカモフラージュするためのものでして……」
胃が重くなってきた。
このまま高橋にしゃべらせていていいのか?
嫌な予感が拭えない。
「つまり、どうやらこの『狗毛』というのは近親相姦によって産まれたらしいんですね。それも一代や二代なんてもんじゃなく、山奥の中でひっそりと、しかし脈々と行われていた……」
近親相姦、と高橋は噛み締めるように呟く。
「ドイツにハプスブルク家という王家があります。彼らは自分達の財産や王位の散逸を防ぐために身内での結婚を何代にも渡って繰り返してきました。こうして誕生した子供の多くが成人になる前に死亡。生き残った者も大半が身体的障害を抱えている。彼らの暮らしていた屋敷の地下牢からは、人間の骨格とはかけ離れた白骨化した遺体も見つかったそうです」
高橋はそう言いながら、スマホの画面を俺に見せた。
「これがハプスブルク家の家系図です」
「すごいな、これは。繋がって……まるで1つの輪っかみたいだ」
家系図といえば木の根っこのように下へ下へと伸びていくものだと思っていたが……
その感覚からすると閉じきった家系図というのはかなり異質な見た目だった。
「まあ、こういうのはある程度成熟した社会では見られる現象らしいです。日本でも平安時代の貴族社会では似たようなことが行われていました。紫式部が執筆した『源氏物語』も系図を見ると面白いですよ。光源氏が手を出した女性のほとんどが彼の親戚ですからね」
「日本でも行われていたのか……」
「ええ、もちろん。天皇の存在にも関わることなのでアンタッチャブルな扱いですが」
「なるほど」
確かに、光源氏の父親は天皇だった気がする。
平安時代のスキャンダルというわけか。
タブー視されそうな話題だ。
そんなことを嬉々として語る高橋は危ないヤツなのかもしれない。
「つまり、外部との交流がほとんどない閉鎖的な土地、金と地位を持った有力な一族……『ぐげ』にまつわる、もっと言えば『ぐげ』を誕生させた一族……ダメもとで探してみたところ、そんな条件が当てはまる存在が見つかったんですよ」
高橋は新しい資料を開いて見せる。どこかの名家の家系図のようだ。
「先程の条件に当てはまり、そこら一帯を支配していたのが清水という豪商らしくて。とはいってもこれも正確なことはわかりません。なにせ何百年も前の家系図ですし、その土地のほとんどの住民が清水姓を名乗っていたので」
清水。
俺の祖父は清水保吉。
一体どこまで遡れるだろうか。
高橋の見せた家系図にそれらしき名前は見受けられないが、胃の粘膜がせりあがってくるのを感じた。
「中村さんがお持ちの図鑑、僕も山口先輩からコピーさせてもらったんですが、なかなか面白かったです」
最後の資料は俺が飽きるほど見てきた図鑑のコピーだった。
彼が面白がっているのはキリンが葉っぱを食べる絵や、地面を這って進むつちのこなどではない。
高橋は俺に最後のページを開いて見せる。
「この清水春美という人物。ひょっとしたら山岳部の出身かもしれません」
「まさか」
偶然だろう、と言いたかった。
考えすぎだ、とも。
日本に清水という名字が何世帯あると思っているんだ。
「考えてみてください。弱小出版社が図鑑を出版する……当然、満足な取材や資料があるわけもなく」
苦肉の策として『つちのこ』や『ナウマンゾウ』を掲載する。その過程で清水春美の出身地に伝わる『ぐげ』も取り込まれたのではないか。
ページ数を埋めるためのユニークな生き物の中の1匹として。
俺が持ってきたこの図鑑はじいさんの家にあったものだ。
清水春美は完成した図鑑をどうしたのだろう。
普段から付き合いのある親戚たちに献本として配ってまわったのかもしれない。
あるいは、俺の爺さんをはじめ、村に住む人々がこぞって買い求めたのかもしれない。
「清水春美のおかげで『ぐげ』という妖怪に日の目があたった、と考えるとわくわくしませんか?もちろん、真実はわかりませんが……」
高橋は目をきらきらと輝かせている。
今回の話は彼にとって大きな収穫になったようだ。
「ともかく、田中さんのおかげで新しい発見ができました。ありがとうございます」
「いや、そんな……」
もごもごと言葉を濁す俺の様子に構うことなく、高橋の話はしばらく途切れることはなかった。
どうにか平静を装っていたが、俺の背中は汗でぐずぐずに濡れていた。
俺が到達した真相はもっとおぞましく、ほの暗い闇に包まれていたからだ。
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