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蒲生氏郷はたしか娘時代の淀の方の片恋の君だったのでは?(井上靖説かも)
会津藩の基礎は、高遠から移封された保科正之が創ったと思っていました。
側室ごろごろの無節操より、妻ひと筋で文武両道……いいですね~!(*''ω''*)
作者からの返信
伊達政宗を抑えるため(脅威に感じた秀吉に遠ざけられた説もあり)にはるばるやってきた氏郷。
武力だけでなく、領主としても優れていて、城や城下町づくりに尽力しました。
日本酒や漆器などが、名産として今も残るのは、その成果ですし、会津若松という地名も氏郷によるものです。
そのため、個人的には、正之よりも氏郷の方が、領地領民に良いもの残してくれたなぁと思うのです。(正之は、家訓が後々…… ね💧)
淀君の初恋の人ですって⁉︎
氏郷は、文武に優れ、しかもイケメンだったって言われているから…… あるかも✨
日本の恋愛結婚て意外と新しいんですよね。重婚が禁止されたのも昭和に入ってからだったかな?今でもある程度の年配の方は、親の決めた相手と結婚させられた方(特に女性)がいますね。
戦国時代の愛妻家大名には確かにキュンとしますね。蒲生氏郷しかり、明智光秀しかり。
戦国時代だとお互いの間に沢山子をもうけた=夫婦仲むずましかった、て解釈されますけど、私はなんとなくモヤッとします。子供を作ることが夫婦の絶対的使命な価値観の時代だから仕方ないんですけどね。
作者からの返信
確かに、私の身近も70代以上の方は大抵お見合い結婚です!
家の格や年齢を考慮してのマッチングがなされたようです(この令和になってもその年代の方は家格を方はにする発言をするのに驚く事があります、こんな田舎なのに💧)。
恋愛でも破綻するし、お見合いでも結果仲睦まじいこともままあるので、どっちが良いかは永遠のテーマなように思いますが、じゃあ自分はといったら自分で選びたい派だなぁ( ¯꒳¯ )ウーン
武将の結婚、子供を作ることは戦術戦略の一環なので、ひとりの女性だけを側に置くのはリスクでしかないと思うのですが、それでも妻ひとりと定めて大事にしていた様子が伺い知れるとついときめいてしまいます✨
恋文や恋歌などが残っていると、更にヾ( 〃∇〃)ツ キャーーーッ♡となります💦