帝国中枢部
銀河帝国軍の新たな元帥レーヴェンタールの誕生は政軍界に小さくない驚きをもたらした。二二歳で大貴族と距離が遠い元帥。彼のことを大貴族たちが脅威に感じたのは当然であった。その彼が前方総軍司令官に配置され、帝都を離れたことは権力闘争から物理的に隔離されたと言うことであり、大貴族らにとっては多少なりとも歓迎すべき事態であっただろう。
「ですが首輪をかける必要はあるでしょう」
そう発言したのは宇宙軍参謀総長ファビアン・フォン・ハウサー上級大将である。
「帝都から離れるとなれば独自の兵力を握り、その力を笠に着て軍部に対する影響力を発揮しかねない。彼が完全な影響力を発揮し得ないためには、足枷は必要かと」
「分かっておる」
軍事卿アーヒム・フォン・マンスブルク元帥は頷いた。
「第六軍団長はレーヴェンタール嫌いのフリッチュ大将を任じた。他にも副官部にも我が手の内の者を忍ばせておる。仮に奴が不逞な野心を抱こうものなら即座に処断できよう」
帝国宇宙軍においては軍政を軍事省が、軍令を総司令部が担う。諸外国の軍隊においては参謀本部に当たる機関がこうした役割を担うが、帝国においては参謀本部は総司令部の補翼機関に過ぎず、帝国全軍の指揮権は総司令官リヒテンシュタイン元帥にあった。また総司令部と軍事省は同格ではなく、軍事省が上位機関として上に立つために軍事卿マンスブルクの意思には少なくとも帝国軍の中で逆らいうる存在はいなかった。
「まだ彼の司令部が開設されたのみで麾下全部隊の移動と再編成はこれからです。そもそも兵力が大幅に減少し、再編の途上にある今、全兵力を国境付近に展開することは不可能です。十分に対応は可能かと。また地上軍を用いて彼らの基地に対して圧力をかけることは有効かと思われます」
ハウサーの饒舌にマンスブルクは必ずしも同調はせず、ため息をついて腕を組んだ。
「だが密偵によればどうやら今総軍司令部と現地の地上軍は良好な関係にあるらしい。そのきっかけとなったのはネーリング公が司令部に忍ばせた護衛役だそうだ」
「ここでネーリング公ですか」
「公爵とレーヴェンタール元帥はここ最近極めて近しい関係性にある。どうやら改革派を称する将校団の上に立つことは固辞したらしいが、奴と改革派、ネーリング公が手を握り、軍部の実権を握ろうと画策すれば大きなうねりとなりかねん」
骨の髄まで保守的な彼ら大貴族出身の高級将官にとっては軍部内での改革派など外注でしかない。
「それと父親が結びつけば危険ですな」
「リヒテンシュタイン元帥はどの派閥とも距離を置いている。それが彼の家の伝統であるからな。だがその息子はその意味では必ずしも伝統を徹底していないらしい」
マンスブルクは五選帝公の一人ロエスエル公の甥に当たり、ハウサー家はランズベルク公との結びつきが強く、共に帝国内において大貴族と言われるべき地位にある貴族の利益を代表する立場だった。無論大貴族のみならず帝国には中小貴族や爵位を持たぬ騎士階級もいるのだが、五選帝公や侯爵以上の大貴族らだけで貴族の持つ総荘園の領土や総経済力、私兵の総兵力の八割以上を占めているとあっては大貴族の利益が即ち貴族の利益であり、下級貴族らが捨て置かれているのも無理のないことであった。
皇帝ヴィルヘルム四世には二人の皇子がいる。兄カールはこの年三一歳、必ずしも頭脳明晰とは言えなかったが、元々皇帝の座を受け継ぐべく教育され、彼を招来の皇帝と見込んだ大貴族たちと接触を重ねてきたため、その価値観は貴族社会(正確には大貴族中心の社会)に立脚したものだった。大貴族との協調、彼らの特権の保護と拡大こそが皇帝権を安定して維持するための最良の方法だと信じて疑わぬ、大貴族らにとっては扱いやすい駒であると言えよう。彼が皇太子の座にある以上、次期皇帝は彼に自動的に譲渡されることとなるだろう。
一方の弟ヨーゼフは二九歳。皇位継承順では二番目にあるため必ずしも皇位継承者とは見なされておらず、そのため兄のように利権に囲まれるような人生を送ってはこなかった。幼少期から読書が趣味だったことが長じて学問に長じ、エリウス王国と銀河連邦、ルーシア人民国にも留学、或は訪問の経験がある。特にエリウスでの二年の留学経験が彼に開明的な思想の地盤を与えたと言われている。貴族と皇帝権の対立を排して皇帝の元に権力を集中し、中央集権を望む彼は貴族と、過激な現状改革を危険視する政官界からも警戒されていた。
この日、五選帝公の中でも最大の実力を持つ帝国最大の大貴族マンフレート・フォン・ヨッフェンベルク公爵は王宮ガルト宮を訪れていた。目的があるのはこの宮殿の主ではなく、皇太子カールである。一方的に皇太子を相手として会談を設定できるほどにヨッフェンベルク公の権威は巨大なものであった。
「殿下、レーヴェンタール元帥をご存じでいらっしゃいますか?」
「知っている。卿らにとっては扱いづらい相手であろう」
「彼は改革派と称する反貴族的勢力と近しい関係にあります。無論、その背後にいるネーリング公とも」
カールは必ずしも自ら新たな方向性を打ち出していくことができるだけの積極性を持たない。貴族との協調を望むのも彼の事なかれ主義的な発想故の事であった。だからこそヨッフェンベルク公からすれば理想的な傀儡と映ったのである。
「彼らが望むのは皇帝陛下のご威光とそれを支える我ら大貴族の分断。しかし帝国を支える柱が失われれば、自然と帝国は崩壊しかねません」
常識的に見ればヨッフェンベルクの発言には露ほどの正当性もない。中央政府が存在すれば帝国は存在できるが、そこに貴族と言う重荷が存在するべき正当な理由はない。もっとも帝国、特に軍部に入り込んだ大貴族らの勢力を考えれば皇帝や政府中枢が大貴族の意に反する統治を行えば実力で排されかねない状況にあり、改革派が帝権と大貴族を分断しようとすれば帝国の土台は崩れ落ちるだろう。ただしその「崩壊」の行為主体は貴族であって改革派ではない。
「彼は現在前方総軍の司令官として帝国宇宙軍の半数を握る立場にあり、父親リヒテンシュタイン元帥やネーリング公と共同し、改革派の動きと結びつけば大きな脅威になりかねません。殿下はこの後帝位を存続される御身、敵と味方をお取り違えの無いよう」
大貴族とカール皇太子の枢軸は強固であり、彼らの権力独占体制は、一日では崩せない鉄壁金城に見えた。
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