新政権の下で

 ワーキントン=プランプトン海戦における大敗が引き金になって総選挙で野党へと追いやられたエリウス中央党に対し、下院で過半数を獲得して与党となったのは元野党第一党の民政党と社会党であった。この二党による連立政権が組織され、九月六日に首相となったのは民政党のジェームズ・カニングである。この年五三歳、首相としては少壮の議員であり、前職のアーサー・カニンガムの不人気に対して若者を中心に支持を集めていた。

 民政党は総選挙において社会党と政策協定を結んでおり、それに従い新たな施策を矢継ぎ早に打ち出した。

 戦争終結に伴う臨時特別給付金。特にワーキントン・プランプトン海戦における戦死者の遺族には通常の倍額が給付される。

 続いて保育園から大学に至るまでの公教育の完全無償化。

 これらの施策のために法人税を増税し、さらに高所得者層への課税を強化する。

 左派政権らしい政策の数々は戦争の負担にあえぐ国民、特に低所得者層から大いに歓迎を以て迎え入れられた。

 一方外交政策においても新たな方針が打ち出されることとなった。

 「帝国に相対することのできる安全保障環境を築くため、ルーシア人民国との友好関係を強化し、安全保障における協力を推し進めます」

 帝国はこれまで戦ってきた不倶戴天の敵である。連邦は中央党政権が友好関係を築き上げていたものの、エリウスのためにこれと言った協力をしてくれたわけではない。ルーシアとの協力関係は国民に歓迎された。中央党政権をこれまでさんざ非難してきた主要マスメディアは総選挙直後から政権の支持へと回り、民政党による改革がいかにバラ色に満ち満ちたものであるかを雄弁に物語った。国民の政権与党への支持率は政権始動時点で七三パーセントを記録した程である。

 「まずは国民の支持を獲得している内に改革を一気に進めてしまうことだ。実績が出れば国民の支持は盤石になるが、のんびりとやっていれば足元をすくわれかねない」

 最初の閣議においてカニングはそう発言した。

 「財政改革は強力に推し進めます。官僚機構は手強いでしょうが、我々には人事権がある」

 蔵相アルフ・パテルが言った通り、内閣官房長官ヒュー・スナックの元には官僚組織に対する巨大な影響力があり、人事権を以て官僚を相手に戦うことができる。万事に保守主義的な中央党は前例主義、事なかれ主義に走りがちな官僚機構との相性が良く、また政権も積極的に官僚と争うつもりが無かったので政官界の関係は良好であった。しかし改革を推し進めるのならこうした官僚の既得権益と戦わなければならない。

 「早期にルーシアを訪問して協力関係を模索すべく目下調整中です」

 そう発言したのは外務大臣ミッチェル・レイであった。全閣僚中三名の社会党出身者の一人である。

 「官房長官、スタートアップが大事だ。官僚機構の人事とマスメディアへの対処は抜かりなくな」

 「お任せください。既に新たな人事リストは作成済みです」

 官房長官マイケル・オズボーンは鷹揚に頷いた。

 この閣議の直後、各省庁において主要な高級官僚の半数近くを総入れ替えする人事が内閣官房から発せられた。過去に前例のない大規模な人事異動であり、これによって異動の辞令を受けた官僚の人数は五万人にも上る。無論これは上級の閣僚に限った話であり、この先さらに官僚組織にメスが入れられることとなることは疑いなかった。

 カニングはこうしたこれまで前例のない施策を国民に向けて「演出」することに長けていた。天下りや民間企業に対する行政命令の濫用等の弊害を抱えた官僚組織を腐敗の温床として「敵」と認定し、これを打破すべく大改革を実施する政権は国民にとってはヒーローのように映ったのである。後にカニングの政治手法が「劇場型政治」と呼ばれることとなる理由であった。

 

 カニングはその政策の立案に当たり、軍隊に対しても改革のメスを入れようとした帝国を相手に敗北を喫したエリウス海軍も改革し、国民に向けてアピールしようとしたのである。国防大臣には民政党内きっての国防通として知られるテリーザ・スコットを任じ、彼女に国防政策を一任した。前政権における戦争の敗北を敗北と強調するべく、軍の指導部層に対してメスを入れることとなった。

 第一海軍卿テルフォードは解任され階級も大将へと降格、権限のない海軍本部参事官と言う閑職へと追いやられた。本国艦隊司令長官デーティやエルジア艦隊司令長官スティーブンス大将も同様に中将へ降格の上で閑職に飛ばされ、空席となった第一海軍卿の座には本国艦隊司令長官からフォートランド艦隊司令長官となっていたマックス・ブラッドフォード大将を充てた。

 帝国との四年に渡る戦争の中で問題となったのはエリウス海軍の艦隊が本国艦隊、内海艦隊、エルジア艦隊などと小分けにされていることだった。エルジア艦隊は対帝国、連邦方面、フォートランド艦隊は対ルーシア方面などと担当する地域を設定して編成しているが、平時ではそれで良くても戦時においてはあまり役に立たないことが立証されたのである。

 国防大臣、第一海軍卿の二人の間で固まった方針により、既存の艦隊を全て解体し、再編成することとなった。無論これにはエリウス海軍全体に大いに衝撃が走ったことは言うまでもない。

 「我が艦隊は第二内海艦隊から第七艦隊へと名称が変わるみたいだ」

 第二内海艦隊情報参謀クラレンス・マクラウド中佐が仕入れたばかりの情報を持って来たのは九月二八日、この時第二内海艦隊は長きに渡る艦隊の編成作業が終わり、最初の訓練航海中であった。

 「大規模に海軍全体を再編成するらしいな」

 参謀長カーティス・スレイド准将が顎髭を撫でて答える。

 「これも改革の内、と言うことだ」

 第二内海艦隊司令官ジェフリー・カニンガム中将は政治とは距離を取ろうとするにも拘らず、政治の本質を見抜く目を持っていた。

 「国民の支持を受けて政権の座を獲得した民政党だ。国民の熱狂が続く内に一気に改革を推し進めて、地盤固めをする心づもりなのさ」

 「なるほど…」

 首席副官ビリー・ハミルトン大尉が呟くと、整った金髪の若い提督は振り向いて幕僚たちに向き直った。

 「まぁ俺たちには関係のない話だ。何があろうと果たされた役割を果たすだけの事。我々は訓練航海を継続する。間もなく次のジャンプに入るぞ」

 「はい」

 スレイドが頷き、旗艦レゾリュートの環境には再び実務的な空気が舞い戻ってきた。航海参謀リン少佐がこれから艦隊が取る航路案を司令官へと手渡す。それに認可を与えて下がらせると、ジェフリーは司令官シートに腰を下ろしてスクリーンに映し出される星の大海へと目を向けた。

 彼は星が好きだった。この星の海で大艦隊を率いる軍人となることが、政治家と言う家の伝統から逃げ出すための目的となった。今でもそれは変わらない。彼も誕生日を迎えて三十一歳となったが、この若さにおいて一個艦隊の司令官となった人間はそう多くはあるまい。更に成果を上げればより高みを目指すことも不可能ではないだろう。自分が想像するよりも早く昇進が進んだことは、彼に新しいステップを見極める時期が来たことを示唆していた。

 本国艦隊司令長官か?それとも海軍卿?しかし、そのような地位だけが目標で良いのだろうか。

 組織の奴隷となる意思はジェフリーには毛頭なかった。自分がカニンガム家の本流を離れて生きている以上、離れただけの意味を自分で作らなければならなかった。彼がどこまでも愚直であったのはその使命感が理由だっただろう。

 「カニンガム」

 声をかけられて志向を中断させられたジェフリーは背後に向き直った。士官学校からの同期の情報参謀がそこに立っている。

 「どうしたんだ?」

 ジェフリーの問いかけに、マクラウドはいつになく真剣な面持ちで告げた。

 「お前と、お前の一族がこれから危険にさらされる可能性もあるから、それだけは警告しておきたい」

 そう言われてジェフリーは目を細めた。

 「分かっているだろう。お前の父親は仮にも前首相。今の民政党政権にとっては文字通りの敵だ。その息子であるお前も、政権からは敵視の対象となり得る」

 ジェフリーは舌打ちした。

 「馬鹿げた話だな」

 政治の論理で軍人に介入されては困る。しかしそうした理屈で政治家が動いていないこともジェフリーは分かっていた。故に彼は政治家を嫌ったのだが。

 「アーサー・カニンガムは今でも保守派のとりまとめ役だ。アビントンとは役者が違う」

 マクラウドが指摘した通り、前回の総選挙で議員を辞職したアーサー・カニンガムに代わり現在野党中央党の党首となったシンディ・アビントンは野党に転落した中央党党首の座を押し付けられたに等しく、人望はない。その一方で強い政治力でもって中央党を纏め上げたカニンガムに対する保守派層からの支持は根強いものがあった。

 「その息子のお前はこれから政治闘争に巻き込まれるかもしれない。お前が政治家を嫌うのは分かるが、最低限の自己防衛としての政治力を持っておかないと潰されかねないぞ」

 「面倒なもんだな」

 マクラウドは肩をすくめた。

 「こればっかりはどんな政治体制でも一緒だ。政治闘争は必ず起きる。その影響は軍隊にだって及ぶのさ」

 ジェフリーは視線を落とした。敵となり得るかもしれない強大な勢力の前に、唐突に自分の孤独さを感じたのである。

 家族に対する関心が薄い彼に家族と言うコミュニティの概念はない。マクラウドも心配はしてくれても、仲間として物心両面で支えてくれる、と言うような存在ではないように感じる。それ以上に彼にはマクラウド以外に友人も持たず、これまで付き合ってきた異性に対しても少しとして真面目に向き合ってこなかった。

 自分一人の力でこれまではやってこれた。だが、これからは共にやっていける仲間を作っていかなければ立ちいかなくなるのではないか。

 この後彼の軍事的なライバルとなるエルヴィン・フォン・レーヴェンタールはこの時常に側で支えてくれる人がいたから孤独を感じずに済んでいた。しかしジェフリーにはそれが無い。それを知覚した彼は、いかにも若者らしい苦悩に苛まれることとなった。

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