空中都市の公使館
九月二一日、エリウス領内、ノリッジ星系第四惑星ノリッジ。
惑星へと降下していく客船の展望窓からは夜闇に包まれた広大な地表の上空に点在する人工の光を望むことができた。巨大な惑星であるノリッジには5Gと言う膨大な重力がかかり、通常人間が生活することはできない。そのため反重力技術で重力が1Gまで軽減された空中都市の中で居住しているのである。ノリッジからは豊富なガスを中心とする天然資源を獲得することができ、多くの人口が流入したために空中都市が複数形成されることとなった。
マーガレットは大気圏の摩擦で揺れる船の窓から少しづつ近づく夜の地表を眺めていた。彼女の乗る船以外も何隻もの宇宙船がオレンジ色の尾を引きながらノリッジへと降下していくのが見える。
彼女の脳裏には父親の姿が見え隠れしていた。
彼女が本国に戻っていた僅かな間、父ジェファソンと会うことができなかった。彼は地方遊説に出ており、彼女がニューフィラデルフィアの地表にいた一か月程度の間に戻ってくることは叶わなかったのである。彼女にとって父親は今や唯一残された肉親であった。折角戻ったのに一度も顔を合わせることなくまた遠いノリッジまで来てしまったことに僅かに後悔を感じたのである。
彼女がそのようなことを考えている間にも船は惑星の成層圏へと入り、一直線に中心都市タクスフォードシティへと向かって行く。天候が不安定なこの惑星は常に厚い雲によって覆われ、地表まで日の光が届くことは無い。上空二万メートルの高度にあるタスクフォードシティまで雲の一部は到達していた。
半径三十キロの巨大な円形の基盤の上に築き上げられた空中都市は煌々と光を放ち、人々の営みを感じさせる。近づくにつれ人口の大地の上にそびえ立つビルの街並みもくっきりと見えるようになってきた。
着床パッドの一つへと船は向かい、そして着陸する。重力制御によって1Gに抑えられた都市に降り立っても、マーガレットはそこまで違和感を感じずに済んだ。
「貴女ほどに若い外交官はここでは初めてです」
窓口で相対した入国管理官はマーガレットの差し出した電子パスポートを一目見て言った。手首のモバイルコンピューターをセンサーに近づけるだけで自動的に必要な情報が管理官に見えるように立体映像に投影されるのである。
「若いだなんて、嬉しいこと言ってくれるのね」
大して上手くもない返しで入国審査を通り抜けると、黄金のポニーテールの若い外交官はタクシーへとその足で向かった。
駐ノリッジ公使館一等書記官。それがマーガレットに与えられた役職である。通常一等書記官ともなれば早くて四十代で就くような役職であり、それだけ彼女の能力が見込まれたのだとも言えよう。彼女が大学時代に著した論文は時の国務長官が外交政策の参考にした程に完成されており、実際彼女がここまでのスピード出世を成し遂げたのはそのような理由があった。
「ようこそノリッジ公使館へ」
彼女を迎えたのは駐ノリッジ行使ファン・ウー・ミンであった。浅黒い肌に切れ長の細い目、立ち住まいそのものは模範的な外交官と言うべきである。連邦が持つ在外公館は五つしかなく、その一つのトップに抜擢されただけでも十分優秀な人物であった。
場所は彼の執務室である。後ろの窓の向こうにはそびえ立つビルと、空中都市の外に広がる無限の雲海がその姿を投影していた。
「知っているとは思うが、ここは多国間外交の最前線だ。連邦の平安を守る大事な仕事でもある。忙しい場所だが頑張ってくれ」
簡単な挨拶だけでファンはマーガレットを下がらせた。若く昇進したからと言って特別扱いするわけでもなく、かと言っていびろうともせず、ただの一職員として扱う公平な男であり、少なくとも最初から人間関係で困ることは無さそうでひとまず彼女は安堵した。
続いて他の職員たちにも挨拶したが、彼らは彼女を良い悪いと思う以前に興味が無いと言う印象であった。元々激務なのと、個人業務が多いためにノリッジ公使館は人の横のつながりがそこまで多くないらしい。それはそれで気楽だな、とマーガレットはポジティブに捉えることにした。
「早速だけど、貴女には明日からエリウスの情報収集を担当して貰います」
彼女にそう告げたのは直属の上司となるエリウス担当の参事官カサンドラ・パルラスであった。
「ここノリッジは四か国の中立地帯として設定され、必然的に各国の様々な情報が集積している。多くの企業の支社が置かれてもいるし、貿易の中継点でもある。エリウスの情勢に関する情報を集め、纏めて本国国務省へと伝えるのが貴女の役目です」
思ったより退屈な役目だな、と内心マーガレットはがっかりした。外交レセプションや交渉などの花形の場で活躍したいと思ったが、情報収集とは何とも退屈である。
「勿論一人で全てやらせると言うわけではありません。二人の部下を付けます」
この年二二歳の三等書記官シリル・アーモンドと二十歳の三等理事官エカチェリーナ・レムスキー。まだ新人の二人と共に動くこととなるらしい。
こうなると既に自分を持て余してこのような仕事をさせているのではないかと邪推がマーガレットにもできるようになった。むしろどこの馬の骨ともわからぬ若者が急に一等書記官として放り込まれてくる方が迷惑であろう。
そうならばまずは自分の実力を実績で示し、認めてもらわなければ。マーガレットは人一倍前向きな性格だった。
「私がマーガレット・パタークレー。新しく赴任してきた書記官です。宜しく」
シリル・アーモンドはブラウンの髪に黒い瞳と落ち着いた見た目であり、まだ学生気分が抜けていないようにも見受けられる青年だった。雰囲気はエルヴィンにも似てないことは無いかな、と全く関係ないことをマーガレットは考えた。
エカチェリーナ・レムスキーは去年入省したばかりの新人らしい。長い金色の髪をなびかせ、青い瞳が煌々ときらめく典型的な程のスラブ美女であり、その美貌に同じ女性であるマーガレットが嫉妬するくらいであった。
考えてみればこれまで部下と言える部下を持ったことのないマーガレットにとっては初めて人を使う経験である。人心掌握の術を身に着けるためにはこういう経験も必要なのかもしれない。
「私はまだこういう仕事は良く分からないからトライアンドエラーかもしれないけど、一緒に頑張っていこうね」
このようにしてマーガレットのノリッジ公使館での生活が始まったのである。
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