監視役

 軍事省兵務局長アルテンブルク少将は軍事省の局長級と言う立場から改革派軍人の代表的存在であった。参謀本部第三課長アウエンミュラー准将もまた参謀本部内における改革派軍人の中心的人物である。改革派と言う存在自体は特定のリーダーの下で動いているわけではなく、大貴族中心の国政や軍政に反発する若手将校や官僚らの総称であり、特段表立って貴族たちと対立しているわけではない。そもそも改革派の権力や規模を考えれば正面から戦うことなど不可能である。

 「元帥閣下が我々改革派の代表として立っていただけるのでしたらこれ以上に心強いことはありません」

 開口一番そう言われてエルヴィンは当惑した。

 「待ってくれアルテンブルク少将。誰も改革派の代表として貴族と正面から対立するとは言っていない」

 軍事省兵務局の応接室に招かれ、エルヴィンは代表的な改革派将校アルテンブルクと対面していた。しかし連絡ミスかはたまたネーリングの策略か、アルテンブルクはエルヴィンが改革派に加わってくれるとばかり思っているようである。

 「ですが閣下、ネーリング公爵やエルシュタイン子爵らと既に面会され、大貴族たちによる専横に共に対抗するべく協力していただけると伺いました。前方総軍として今や帝国宇宙軍のほぼ半数を統率する閣下が我々の同志として共に戦っていただければ、必ず軍部や政界の改革は成し得るはずです」

 自分の倍以上の長さの人生を生きているアルテンブルクから自分たちの組織の首魁として協力してほしいと頼み込まれるのも奇妙な感覚である。しかしそれ以上にエルヴィンにとっては下手に改革派の表に立って失脚しはしないかと言う不安の方が強かった。

 「私は皇帝陛下から一軍の統帥を預かる身。まかり間違えば反逆とも取られなかねない行動の前面に立つことは危険ではないのか。そもそも私が立ち、軍内部で新たな派閥抗争を生み出すことが帝国の益に適うとも思わない」

 それらしく言ってみたものの、つまりは責任逃れに過ぎない。大貴族の専横を打破すると言う意思はあっても、その矢面に立って自ら先頭を切って戦おうと言うつもりはなかった。

 自分が大貴族やその傀儡の将校らから見て疎ましい存在であろうことに気づかないエルヴィンではない。それだけにその自分が今軽挙妄動して改革派のリーダーとして派閥を纏め上げるようなことをすれば反発する勢力の敵意は彼に集中するだろう。或はそれをこそネーリングは狙っているのだろうか。

 明確な結論を出さないままエルヴィンは軍事省を辞した。長々と話すことで怪しげな謀議に耽っているのではないかと言う疑惑を避けたかったためである。地位が上がるからと言ってそれが行動の自由度を保障するわけではない。

 エルヴィンが現状最も自由でいられるのは彼が最も信頼する参謀長の前であった。

 「まぁ、今すぐ派閥抗争にどっぷり浸かるには時期尚早かもね」

 ディートリンデは銀髪の青年の考えに共感を示した。

 「元帥に昇進してまだ少ししか経っていない。下手に行動を起こす前に、まずは前方総軍を固めて実績を示す方が先だと思うよ」

 全くその通りであろう。まず総軍の人事すら取り纏まっていないと言う状況下で政治活動に腰を入れられるはずもない。

 「改革派に協力するのは良いと思うけど、今の時点でその矢面には立たない方が良いかも。それにしてもネーリング公と懇意みたいだけど何かあったの?」

 「まぁ彼の構想自体には共感するし、俺も貴族社会の中で味方は作っておきたいからな」

 流石に元恋人との一夜の行為のせいで協力を余儀なくされたとは口が裂けても言えない。

 「協力を要請してきたのはネーリング公だ。まだ全面的な協力は時期尚早だと、伝えておくか」

 

 内務省保安局長官フロイド・フォン・ヴァイス子爵がネーリング邸を訪れたのはこれが最初ではない。彼とネーリング公が繋がっていることは周知の事実であったが、他の高級官僚らも少なからず大貴族のバックアップを受けている以上、人の事を非難する正当性はなかった。

 「卿の言った通りだったな。ジークムント、いや今はレーヴェンタールは私に協力するしかないらしい。卿が一体どんな手段で従わせたのかは分からないが」

 ヴァイスは肩をすくめた。

 「中々人間と言うものは弱く欲深い者ですから。利用することは簡単です」

 ネーリングが差し出したグラスを手に取り、ヴァイスは軽く振って見せた。

 「まぁ、頭は回る男のようですな、彼は。並の人間よりは余程手ごわい存在です。しかし自分にとって大切な人間の前では仮面が剥がれるようで」

 「なるほど。まぁどう従わせたかは聞くまい。その彼が今日、改革派にすぐ協力し、その前面に立って他派閥と対抗することは難しいと言ってきたが」

 ヴァイスは机にグラスを置くと指で叩いた。

 「彼の思惑もあるでしょうし、無理強いしてサボタージュされても困るでしょう。協力を拒むことはできませんし、好きにさせて構わないかと」

 「良かろう。どのみち彼はすぐに帝都を離れる訳だからな」

 ネーリングは琥珀色の液体で喉を潤すと続けた。

 「しかし野放しにしておけば我々を後ろから刺してくることもあり得る。監視役は必要じゃないか」

 ヴァイスは頷いた。

 「その通りですな。人選を進めましょう。表向きは我々との連絡役兼護衛として。元帥との調整の方はお願いいたします」

 ネーリング邸を辞したヴァイスは車に乗り込むと、待っていた秘書官に告げた。

 「エージェント・ヴェルトミュラーを来させろ。彼女に仕事をやらせる」

 保安局本部へと向かう車の中で、ヴァイスは無言のまま、窓の外を流れゆくメトロポリスの風景を眺めていた。

 彼にとって権力者とは彼の地位を保障するための寄生主に過ぎない。時の権力者の裏に隠れて帝国を操ることが彼の目的であり、ネーリングに接近したのもそのための手段でしかなかった。ネーリングが彼にとって邪魔となれば彼の持つ情報網と権限の限りを使って彼を失脚させ、また別の寄生主を探せば良いのである。帝国全土に張り巡らされた帝国保安局の網を以てすればヴァイスの敵対者に安寧は存在しなかった。

 

 「護衛?」

 オフィスの執務室でエルヴィンは目を細めた。

 「はい。クラウディア・ヴェルトミュラーと申します。ネーリング公爵閣下より、元帥閣下直属の護衛、それと公爵閣下との連絡将校の役割を命じられて参りました」

 エルヴィンは斜め後ろに立つディートリンデに目を向けたがディートリンデも首を傾げるだけだった。

 「妙だな。元帥には元より個人警護がある。それを公爵閣下が知らないと言うことは無いだろう」

 エルヴィンにはすでに警護部隊が組織されており、アドルフ・フォン・ローン大尉が率いる一個分隊が彼が公務で赴く全ての場所に護衛として同伴するようになっていた。

 「勿論。しかし個人警護はあくまで閣下の公務の範囲でしか護衛はできません。ですが閣下が大貴族たちにとっての脅威となった以上、今後閣下の御身体を狙われる危険性もあります。無論国内だけでなく、エリウスやルーシア等潜在的な敵国、或はRBI(共和国情報局)からも狙われるかもしれません。私は閣下が公務を離れているときでも、いかなる時でも閣下をお守りするよう命じられました」

 エルヴィンが何か言おうとしたが、先に口を開いたのはディートリンデだった。

 「いつでもって、それこそ元帥のプライベートにおいてもですか?」

 「はい。勿論閣下が個人的になさることに邪魔立ては致しませんよ」

 「はぁ…」

 女同士の会話を遮ってエルヴィンは核心的な質問を口にした。

 「ヴェルトミュラーと言ったな。保安局のエージェントか?」

 「元はそうですが、現在は帝国軍少尉の待遇となっております」

 エルヴィンは自嘲じみた笑いを浮かべた。

 「体の良い監視役、裏切ったら殺すようにでも命じられたか」

 正体を一瞬にして見破られても、金髪の女エージェントは一切動じなかった。

 「閣下のご想像にお任せします」

 「待ちなさい、そんな人間を…」

 ディートリンデが一歩前に進み出たが、それをエルヴィンは手で制止した。

 「良いだろう。ランツィンガー少佐を呼べ」

 首席副官フロイド・ランツィンガー少佐が現れると銀髪の若い元帥は新たなボディーガードを指し示した。

 「彼女に部屋を宛がってやれ」

 二人の来客が去ると、赤毛の参謀長は不信の眼差しを扉の方に向けた。

 「本当に良いの?」

 「ヴァイス長官が裏で手を回したんだろうが、監視されようがされまいがネーリング公に牙を剥くつもりは無い。逆に彼にとっても今俺が消えることは望ましくない。今は信用しておいて良いだろう」

 「またそうやって女が身の回りに増えるんだから」

 エルヴィンは憮然とした表情になって頭を搔き回した。

 「それは関係無いだろ」

 「ま、後悔しないでね」

 ため息をついてディートリンデは引き下がった。

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