レーヴェンタール元帥

 元帥へと昇進したエルヴィンを帝国宇宙軍前方総軍司令官に任じ、その司令部を帝都ガルトから離れたパルサウ星系第三惑星ヴォルフェンに定めたと言う人事は帝国宇宙軍総司令官リヒテンシュタイン元帥の政治力を示すものであっただろう。

 帝国軍における武官の最高地位は軍事卿、宇宙軍総司令官、参謀総長、陸戦隊総司令官の四つである。陸戦隊総司令官はエルヴィンにとっては畑違いの分野であるし、当然ながら軍事卿と宇宙軍総司令官に就任するようなことができるはずがない。ハウサー上級大将を追い落として参謀総長に就任することは不可能ではないが、そうすればロエスエル公からの心証は悪くなるし、リヒテンシュタイン家の親子による軍部の独裁と非難されるであろう。

 そのため帝国軍第五、第六、第八、第九の四個軍団に属する十個師団を中核戦力とし、加えてルーシア人民国とエリウス立憲王国に接する辺境星系の各要塞や基地、警備艦隊や哨戒艦隊に陸戦部隊など宇宙軍に属する全部隊を含めて帝国宇宙軍前方総軍を編成する運びとし、その司令部をヴォルフェンに置いてエルヴィンを帝都から引き離した。貴族たちもエルヴィンが中央を離れるとなればひとまず納得するであろう。

 エルヴィンに与えられた役割はこれらルーシアとエリウスとの国境線を守備し、また戦争で大いに弱体化した帝国宇宙艦隊を再建すると言うものであった。

 加えて元帥に昇進しておきながら騎士階級と言うのも貴族社会の帝国においては問題があるようで、エルヴィンには断絶していたレーヴェンタール子爵家の当主たる座が与えられることとなった。

 エルヴィン・フォン・ジークムント改めエルヴィン・フォン・レーヴェンタールへの元帥杖授与式は九月二七日に行われた。

 元帥になればそれ以外の階級にはない特権が付与される。生涯現役が認められ、個人警護が付けられ、自身の公邸を定め、儀仗兵を立哨させることができる。給与面においても無論破格であり、銀河帝国における最高級の階級の恩恵は上級大将までの階級の比ではない。

 授与式には帝国宇宙軍総司令官リヒテンシュタイン元帥、宇宙軍参謀総長ハウサー上級大将、軍事卿マンスブルク元帥、宰相ボーデン侯爵、他に五選帝公も列席した。

 参謀総長ハウサー上級大将にランズベルク公が耳打ちした。

 「失敗したな。これで卿がそう簡単に手が出せる相手ではなくなった」

 「奴の軍事的な才能は相当なものです。侮ってはなりませんな」

 しかしランズベルク公は不敵にほくそ笑んだ。

 「そうかもしれぬ。しかし戦場の外ではどうかな」

 無論その声が聞こえるはずはなく、エルヴィンは階を上り、皇帝の前に膝まづいた。

 「素晴らしい功績であったぞ、レーヴェンタール“元帥”」

 「はっ…」

 皇帝ヴィルヘルム四世の言葉に銀髪の青年は深々と頭を下げた。

 「その若さで位階を極め、これからはその地位を守り抜かねばなるまい」

 皇帝は軸が黒い元帥杖を手に取った。元帥杖は一本ごとに別の色となっており、エルヴィンは黒い元帥仗が与えられる。また元帥であることを示すマントが与えられるが、これもまた黒色である。

 「精励せよレーヴェンタール元帥。卿の向かう先を見つけるためにもな」

 前回皇帝に会った時から今再び相まみえるまでにエルヴィンの中では大きな目標が完成していた。彼の後ろに並び立つ貴族たちを皆駆逐し、帝国をあるべき形へと再生する。ただの市井の一小市民がそれを言っても夢物語であるが、今のエルヴィンの地位と権限を持ってすればそれも不可能ではない。

 謁見の間を出てエルヴィンが広大な廊下を歩いていると、後ろから声がかけられた。

 「やぁ、元帥」

 振り返ってそこに立っていたのは五公の一人、ブライト・ヨハネス・フォン・ネーリング公爵である。エルヴィンにとって大いなる脅威となったヴァイス帝国保安局長官の後援者であった。

 「公爵閣下」

 恭しくエルヴィンは一礼した。ここで慇懃無礼に振舞うメリットはどこにも存在しない。

 「まずは元帥への昇進おめでとう」

 ネーリングは随分とフランクに話しかけてきた。その真意が読めないだけにエルヴィンは思わず身構える。それを知ってか知らずかネーリングは言葉を重ねた。

 「今まではヴァイスを君の下へやっていたが、一度くらいは顔を合わせてみたいと思っていたんだ。今日はちょうど良い機会になった」

 広い廊下にはエルヴィンとネーリングの二人しかいないが、ネーリングは警戒するように周囲を見渡した。

 「どうもこういう監視カメラと盗聴器まみれの場所で会話するのは性に合わない。外に出ようじゃないか」

 真意の読めない相手はエルヴィンにとって一番苦手な存在である。しかし公爵から言われて断ることができるはずもない。軍隊の範囲を一歩外に出ればそこは貴族としての地位が全てを決する階級社会であった。

 薔薇の花園に幾何学模様に道が引かれた庭園に出て、ネーリングは銀髪の青年元帥の斜め前を先導した。

 「君を改革派将校団の味方として引き入れたいと言うことは常々伝えていたから今更言うまでもないだろう。ヴァイスによれば了承してくれたようだが」

 「…はい」

 弱みを握られれば嫌でも従わざるを得ない。しかし大貴族の勢力と対決するために単独で戦うわけにもいかない。下級貴族や平民出身の将校が中心となり、中央官庁の若手官僚とも結びついた改革派は強力な味方となるかもしれない。そう思えば何故それを五公の一人であるネーリングがバックアップしているのかが不思議に感じるのであった。

 「私が改革派を後押しするのは軍部に確固たる勢力が無いからだが、それ以上に軍部を大貴族たちが独占して派閥争いを繰り広げるこの状況に嫌気がさしたからだ」

 予想以上にあっさりとネーリングは理由を打ち明けた。五公の中でも最も若く、またネーリング公爵家は五公の中においても最もその影響力や実力は弱い。彼を改革派の支援に回らせることも無理のないことであろうか。

 「君もそうは思わないか?中央官庁も軍部も、五公ら大貴族の専有物のように扱われている。宰相ボーデン候も苦労するだろうよ」

 エルヴィンは何も答えなかったが、構わずネーリングは続けた。

 「改革派軍官僚たちは他省庁の官僚とも結びついているが、やはり強力な支柱となるような人物が不在だ。私が表舞台に出る訳にもいかないしね。そして君は元帥となったは良いがこれから先嫌でも貴族社会からの敵視を受けることとなるだろう。彼らに対する対抗手段は持っておくべきだ」

 「利害が一致するだろうと、そう言うことでしょうか」

 「理解が早くて助かるよ。まぁ私が君を改革派の一味に引き入れたいのはそういう訳だ。君は今度ガルトを離れなければならないと聞く。その前に是非会って欲しい人物がいるんだが」

 どうもネーリングに都合よく話が進展していくようで愉快にはなれないエルヴィンである。

 「どなたですか?」

 「軍事省兵務局長アルテンブルク少将と参謀本部第三課長アウエンミュラー准将、厚生卿エルシュタイン子爵だ」

 想像だにしない立場の人間の登場に、エルヴィンは思わず目を細めた。

 「厚生卿?」


 厚生省は帝国の保健衛生を担う中央省庁の一つである。そのトップとして任じられているのが厚生卿ベルンハルト・フォン・エルシュタイン子爵であった。

 この年六一歳の彼の身長は一九五センチに及び、一七一センチのエルヴィンからすれば見上げる程の巨人である。遠目に見て高身長に見えないのは恰幅もまた堂々たるものであるためで、八の字に伸ばした髭を上に跳ね上げたその様は線の細い老人と言った雰囲気のある宰相ボーデン候よりも遥かに宰相に相応しい容姿である。何なら皇帝もできるんじゃないかとエルヴィンは罰当たりな事を想像した。

 「彼がこの度元帥に任じられたエルヴィン・フォン・レーヴェンタール子爵です」

 ネーリングも公爵でありながらエルシュタイン相手には頭が上がらぬ様子である。確かに彼を前にして尊大に振舞うことのできる人物はそう多くは無いだろう。

 「卿が二二歳の元帥か」

 エルヴィンを品定めするようにエルシュタインは銀髪の元帥を眺めた。彼を相手にするとエルヴィンは自分が子供のような錯覚を覚える。

 「若いな」

 ごもっとも、としか言いようのない感想で酸素を消費すると、エルシュタインは自分の席へと腰を下ろした。

 「それで、ネーリング公爵。卿の今日の来訪はその男を紹介するためだけではあるまい」

 「当然です。戦争が終わった今、閣下を宰相として挙国一致の体制を築き上げるべき好機が訪れたと私は考えております」

 エルシュタインはにこりともせずネーリングの脇に立つエルヴィンに目を向けた。

 「その者が聞いていても構わないのか?」

 「レーヴェンタール元帥は我が同盟者も同じ。問題ありますまい」

 勝手に同盟者扱いされて愉快にはなれないが、エルヴィンはこの場では頷いておくこととした。ヴァイス保安局長官の存在がエルヴィンの今後の一挙手一投足に制約をかけて来ることは想像に難くない。

 「ボーデン候も既に十二年の長きに渡り宰相を務められ、近頃では引退の話も囁かれるようになったとか。しかしその後継者たるべき人材が見いだせていないのが帝国の実情です。エルシュタイン卿であればその重責も担うことができると、私は確信しております」

 「そのための政治工作に協力すると言う話は分かる。しかしそもそも五公の一員たる卿が選帝公を排して挙国一致体制を敷く利点が解せぬ」

 エルシュタイン子爵は骨の髄からの保守主義者であった。貴族と言う地位に甘んじず、皇帝の臣下として帝国の国益のために働くと言う点ではリヒテンシュタイン家とも似通っている。それゆえにボーデン候はエルシュタインを閣僚に迎えたのだろう。しかし主要閣僚の人事は五公に配慮せざるを得ず、厚生卿と言う脇役の閣僚となってしまったが。

 「五公の存在は帝国の統一を阻む腐った林檎です。強大な権益を持つがそれを国家のために用いるわけではなく、己のために浪費することしか知らない。彼らに国政を壟断させていれば、帝国の柱は腐り果て、やがてはドアの一蹴りで家屋そのものが倒壊するでしょう」

 正論であることはエルヴィンも認めざるを得ない。

 五選帝公らは他の貴族たちと比べても圧倒的に広大な領地を持ち、そこから一人の貴族が得るには過大な程の税収や資源を得ている。だが特権に保護された彼らからその資産を帝国政府の下に納めさせることはできない。それをするためには五公の同意が必要だが、自らの首を絞めるような決定を彼らがするはずが無かった。ネーリングは五公が納めるべき貴族税の増額や一部領地の帝室への返還を訴えていたが、彼以外の四人は拒否していた。

 「そのような事態になれば私とて無事では済みますまい。本来帝国は五公らの持つ権益を手に入れれば他の国家を優に上回る国力を手にできます。エリウス相手にこれだけの長期に渡って不利な戦争を続けさせられたのはひとえに五公の存在があったからこそ。外敵がこれだけいる環境下では、挙国一致こそが唯一取るべき道です」

 そのようになれば、下らない内輪揉めや政治闘争で帝国が歪められることは無い。エルヴィンが目指したいと思った理想への近道となるのではないか。無論エルヴィン一人の力でその理想が達成できるはずもなく、むしろネーリングやエルシュタインと協力することが彼のためになるのではないか。

 「なるほど」

 エルシュタインは一言頷いたのみである。その反応に満足したように若い公爵はエルヴィンに視線を向けた。

 「君にとっても悪い話ではないだろう。武力を用いて反旗を翻すことは反逆だが、平和的手段でもって特権階級の大貴族を排除することに問題はあるまい。帝国の主は五公ではない。あくまで皇帝陛下ただ一人なのだから」

 エルヴィンは無言で小さく頷いた。まだネーリングは警戒すべき相手である。安易に口を開くべきではないとエルヴィンの生存本能が語っていた。

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