政権交代

 「スプリング号事件」においてはアントニー・カニンガム議員を始め三人の議員が流れ弾によって死亡した。補欠選挙は元々選挙が近いこともあって行われないが、ともかく与党中央党にとって痛い出血であることに変わりはない。

 特に中央党にとって痛手であったのはハイジャック犯たちの主張であった。休戦を求めた彼らを国民は支持した。帝国との即時停戦の是非を記者会見で尋ねられても、内閣官房長官ワインバーガーは「検討している」と答えるだけであった。それは政治の論理であったが、国民の政府に対する不信感は募る一方であった。政権の支持率は四割を切り、対照的に一年前から停戦を求め続けた野党第一党の中道左派政党民政党の支持が拡大したのである。

 五月二九日、ぽつりぽつりと雨が石畳を濡らす曇天の下でアントニー・カニンガム議員の葬儀が執り行われた。葬儀には家族ら近親者のみが出席し、ジェフリーも当然一家の人間として参列した。

 視界の隅に映った母の姿を彼は一生忘れることができないだろう。父アーサー・カニンガムも妻の側に立ちながら項垂れている。ジェフリーにとっては厳格な父にも人の情が流れているのかと実感する瞬間であった。

 長男ジョンソンと違って次男アントニーとはジェフリーが帰宅する度に何度か会った。しかしジェフリーにとって兄の死はいまいち実感がわかないものだった。ジェフリーは政治家と言う職業が大嫌いだった。その道を選択した兄たちを失った時、衝撃は受けても流す涙を彼は持ち合わせていなかった。母親への引け目は感じても、その思いが兄へと向かうことは無かったのである。

 この時の彼の心情を後の人々は「彼は政治家を嫌っていた。それゆえに政治家一族であった自分の家に対する帰属意識を持ち合わせていなかったのである」と言った。果たしてそれが正しかったのか、それはジェフリー本人にも分かってはいなかったのである。

 長男ジョンソンは両手の拳を強く握りしめていた。ジェフリー以外の家族三人はそれぞれアントニーの死を悔やんでいる。ジェフリーだけが家族たちの意識から取り残されていた。その事実をジェフリーがどう感じていたのか、少なくとも同席者には分からなかった。

 葬儀が終わり、立ち去ろうとしたジェフリーに後ろから声がかけられた。若い提督が振り向くと、十一歳年上の兄は弟の胸倉を掴んだ。

 「どういうつもりだ」

 ジェフリーは答えなかった。

 「トニーが、貴様の兄が死んだんだぞ?何も思わなかったのか?」

 そんなことを言われてもジェフリーは困るだけである。自分でも何故だか分からない、そう言い返すとジョンソンは弟の身に着けた軍服を睨みつけた。

 「軍人になって人を殺すようになれば兄の死にも何も思わなくなるか?」

 ジェフリーは別に寛容さを持ち合わせた聖人君子ではない。忌み嫌う政治家の兄から自分の選択した道を侮辱されて頭に血が上った。

 「その軍人の後ろで政治ゲームに明け暮れながら今更善人気取りか?その良く回る舌は随分と便利だな」

 睨み合う兄弟の間に沈黙が流れた。互いが互いを理解しようと言う気持ちは欠片もない。十秒経って誰かの足音が近づいてくるのが聞こえるとジョンソンは弟を掴む腕の力を緩めた。

 「カニンガム家の面汚しが」

 唾を吐きかけ、兄は踵を返した。足音の主の方へと向かう。

 「何をしていた?」

 首相の問いかけに、長男は答えなかった。

 「お気になさらず。それよりも、何かありましたか?」

 アーサーは歩き去って行く息子の背中に目を向けたが、すぐにジョンソンに視線を戻した。

 「先ほど駐連邦大使館から入電が入った。帝国が和平を持ちかけてきた」

 「それは…」

 目を見開くジョンソンに、父は頷いて続けた。

 「ここで講和を纏め上げて、エリウスの勝利として戦争を終結させねばコミー共に政権の座を譲り渡すことになりかねん。お前も外務大臣政務官だ。サザーランドを支えて必ず講和を成立させろ」

 「はい」

 その日の夕方にはワインバーガー官房長官が記者会見で帝国との和平交渉の開始を発表した。国民の政権に対する支持率が一瞬にして上昇へと向かったことは無理もないだろう。しかしそうなった時により多くの果実を求めるのが世論の常である。主要メディアは掌を返したように政府の軟弱な姿勢を戒め、帝国に対し惑星の割譲を求めるよう主張した。

 「本当にいつもマスコミと言うものは…」

 頭を悩ませたのは交渉の担当者たるサザーランド外務大臣である。このまま帝国に対して甘い条件で講和し、エリウスの取り分が無ければ国民の不満は政府に向かうに違いない。和平の機運の高まりで政権浮揚のチャンスを手に入れたが、次なる課題に直面することとなった。帝国に対して有利な条件で講和を結ばない限り支持率回復は望めない。選挙は四か月後に迫っており、この機を逃すことはできなかった。

 「どんな手段も使って構わん。何としてでも五星系は獲得して終わらせろ」

 首相カニンガムは本国艦隊とエルジア艦隊に臨戦態勢を命じ、帝国に対して徹底的に圧力をかける姿勢を見せた。

 この様子を冷ややかに見守っていたのは他ならぬ息子のジェフリーだった。

 「これだから政治家ってのは嫌いなんだ」

 聞き手になったのは出会って一か月になる女性少尉である。旗艦の自室のベッドの上で大真面目に語るような内容ではなく、この光景は些か滑稽ではあった。

 「どいつもこいつも選挙の事しか脳にない。五星系の割譲なんて、帝国が吞むはずはないだろうに」

 「でもあなたは戦いを望んでいるんじゃないの?軍人として出世するなら戦争しかないんだから」

 ジェフリーは少尉の柔らかな髪を触りながら答えた。

 「だがあいつらのために戦争してると思うのは嫌だね。仮にこれから戦いになったところで守られるのは国家じゃない。政権だ」

 少尉はため息をついた。

 「そうやって一人でベラベラ喋ってるところがこれまでの女から嫌われたんじゃないの?」

 ブロンド髪の提督は目を細めた。少尉の細い腕を掴んでシーツの上に押し倒す。

 「言ってくれるじゃないか」

 翌朝早く、部屋を出てきたジェフリーを目撃したのは第二内海艦隊情報参謀クラレンス・マクラウド中佐だった。

 「おや、昨日はお楽しみだったかな?」

 ジェフリーは肩をすくめた。

 「どうだろうね」

 「あらまぁ、また長続きはしなかったようだ」

 マクラウドは線が細いインテリと言った風の風貌である。美男子と言って差し支えは無かったが、その風貌を一人の異性のために用いることはせず、幾人もの女性相手に立ち回る仮面として使っていた。

 「中途半端に生真面目なのが悪いんだ。どうせ女相手に大真面目にベラベラと喋ってたんだろ」

 図星を突かれてジェフリーは形の良い眉を歪めた。

 「中々都合の良い女は現れないもんだな」

 「諦めろ。男の論理を女に押し付けようなんてしても無理だ」

 世渡りの才能と言う意味ではマクラウドは同期の司令官よりはるかに秀でていたと言えるだろう。この朝彼が持って来た情報は彼のそうした才能故に入手できたものであった。

 「情報部の一部で尻尾だけを掴んだ情報だがな、あのテロ事件、ルーシアが裏で手を引いているらしい」

 「ルーシアが?」

 「国民の厭戦感情を焚きつけて政権を崩し、左派に政権を握らせようって魂胆だろう。もっともまだ憶測のレベルで証拠があるわけじゃないが」

 ルーシア人民国。かつては銀河帝国と同様の帝政国家であったが、当時エリウスとの間で勃発した七年の長い戦争の中で国民の不満が爆発し、今から三七年前の宇宙暦二九五年、西暦二六八二年に共産党によって革命が起こされて社会主義国家となった。その後は共産党による一党独裁が続き、現在は党書記長フョードル・レーピンが指導者となっている。

 「左派が政権を握ったら、ルーシアに接近する可能性があると?」

 マクラウドは頷いた。

 「民政党は元々ルーシアとの関係が深い。親連邦派の中央党が民政党へと代われば、また情勢は変わるかもな」

 「なるほどな」

 ジェフリーは政治に対して深く考えるつもりは無かった。そんなことは政治家たちがやれば良く、ジェフリーは純粋な軍人であれば良い。ある意味で彼は理想的な軍人そのものだっただろう。

 本国艦隊が臨戦態勢に入る中でも内海艦隊にお呼びがかかることは無かった。そもそも艦隊の再編すら済んでいないのに出撃などできようはずがない。ジェフリーはこの先の「七月戦役」においては完全に蚊帳の外にあり、戦闘そのものには一切関わることは無かった。

 メディアの熱を利用する形で議会においては野党民政党が政府を突き上げ、中央党は帝国を相手に高圧的に五星系の割譲を求め続けた。その結果として帝国軍は第五軍団を以てエリウス領へと侵攻してきた。

 「帝国も一枚岩ではないと言うことだ。これを撃滅して帝国に条件を飲ませるぞ」

 首相は意気込んだ。連日のストレスは彼の視野を狭め、支持率の数字ばかりに目が行くようになっていたことは否定できない。軍部が求めた帝国軍をより引き付けて圧倒的大兵力で叩き潰す作戦を却下し、すぐに動員できる六万隻で迎撃するように命じた。

 その後の流れは既に述べられた通りである。八月三日、ワーキントン・プランプトン海戦においてロイヤルネイビーは帝国軍相手に惨敗し、戦役の全期間の合計で五百万を優に超える犠牲者を出すこととなった。

 「…そうか」

 八月四日、首相官邸の執務室で報告を受け取り、首相はそれだけ言って秘書官を下がらせた。その表情は憔悴しきっていたと官邸の関係者は後に証言することとなる。しかし翌五日に記者団の前に姿を現した時はその歩調には些かの衰えもなく、淀みのない声で内閣総辞職と議会の解散総選挙を宣言した。

 八月二六日投開票のエリウス下院議会総選挙において総議席数九五三の内五一三を中道左派政党民政党が獲得し、半世紀ぶりに政権交代が行われることとなった。三七〇議席しか獲得できなかった中央党は野党へと転落し、民政党は野党第二党の左派政党社会党との連立政権の組閣を宣言した。九月六日、下院臨時本会議の場において民政党党首ジェームズ・B・カニングが内閣首班に指名され、国王エドワード三世はカニングを新たなエリウス立憲王国内閣首席大臣へと任じることとなる。

 前首相アーサー・カニンガムは不出馬と引退を既に決意していたため選挙に出馬せず、長男のジョンソン・カニンガムは逆風が吹き荒れた選挙の中でも何とか議会に自身の席を確保することに成功した。無論外務大臣政務官の座からは追われることとなったが、党幹部の大部分が落選した中央党において政務調査副会長へと任命されることとなる。

 それに先立つ八月三十日、最後の仕事として外務大臣ウィル・サザーランドは帝国代表との講和条約調印式に臨み、条文にサインした。

 エリウスにおいては政権交代が行われた。戦争は終結し、人類社会には一時の平和が訪れたこととなる。最初の大仕事で成功を収めたマーガレット・パタークレー、決戦において大きな功績を上げて凱旋するエルヴィン・フォン・ジークムント、艦隊を預かり受けて一国一城の主となったジェフリー・カニンガム。

 三人が歴史を自らの意思で突き動かすこととなる時代の到来はまだ先の事である。しかし人類史は一時の休息もなく、幾億の生命をその内に抱きかかえたままに回り続けるのであった。


~第一部・完~

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