突入作戦

 この間スプリング号を包囲したエリウス軍や治安部隊が何もしていなかったかと言うとそうではない。突入のためにエリウス陸軍特殊空挺群第二三空挺連隊C中隊とエリウス海軍特殊舟艇作戦群デルタ中隊が展開して突入の用意を進め、更に地表のエリウス軍情報局のサイバー戦闘部隊がスプリング号の制御システムのハッキングを試みていた。

 通信妨害や電波妨害のシステムの発展によって電波や通信を利用した戦闘が不可能となり、サイバー戦の比重は大きく低下したが、それでも対テロ戦争などにおいてはサイバー戦の役目は消えてはいない。優秀なハッカーが育成されているエリウス軍サイバー戦闘部隊は三十分ほどでスプリング号の制御を乗っ取ることに成功した。

 「ドアの開閉も含めて全て制御が可能です。しかし下手にこちらの手の内を明かせばハイジャック犯らがどのような行動に出るかは分かりません」

 スレイドの報告にジェフリーは目を細めた。

 「奴らが即座に人質を殺害可能な武力を保持している以上、彼らが対応できる前に客室を制圧しなければならない。船内のどこかに気づかれぬよう潜入して客室を制圧することはできないか?」

 旗艦レゾリュートに乗り込んだ特殊部隊の指揮官たちがスプリング号の船内構造図を持って来た。

 「船に接近すれば船外用カメラや警告装置が作動して敵に気づかれます。しかしハッキングによってセンサーやカメラを無力化すればその問題は解決するでしょう」

 デルタ中隊の指揮官が構造図を示して報告した。

 「船内のどこの窓からも死角になる船体下部から接近して穴を開けて潜入し、通気ダクトを通れば客室前方と後方から突入が可能です。しかし人質を戦闘に巻き込むことになりますが…」

 「それは仕方ない。他のどの手段を取っても客室が戦場になることは避けられないだろう」

 兄二人が人質になったことに対してジェフリーは表面上何らの反応も示さなかった。反感と強大としての絆のどちらが勝っていたかは他人には伺い知れなかったが、実のところジェフリー自身も分かっていなかった。

 彼が忌み嫌う政治家と言う職業を選んだ兄たちに対して彼が反発していたことは紛れもない事実である。特に長男のジョンソンとは気が合うはずもなく、この十年以上一度として口を利いたことは無い。しかしアントニーはジェフリーの選択した道を消極的でも認めてくれた。兄を失って嘆き悲しむほどの愛情は持っていなかったにせよ、積極的に消えてほしいと思う悪意もまたなく、ジェフリー自身がこの時自分の感情が分からなかった。


 十九時一分、特殊部隊によるスプリング号突入作戦が開始された。ハッキングによってセンサー類はダウンし、死角をカバーするカメラの映像は加工されて接近する船が写らないようにされた。その間に突入部隊十五人を乗せたシャトルが船底に張り付き、船体用カッターで外壁を焼き切るとそこから船底部の倉庫区画に入り込んだ。

 「第一段階は無事成功したようですな」

 首相官邸のオペレーションルームに集まって突入隊員のヘルメットに取り付けられたカメラからの中継映像を眺める閣僚たちの中で声を出したのは官房長官ワインバーガーである。

 「このまま上手くいけばな」

 首相カニンガムの返答はそれだけであった。

 その間にも突入部隊は作戦を続けている。二手に分かれた突入部隊は通気ダクトへと入り込み、音を立てないように客室の天井にある通気口へと移動しつつあった。

 ジェフリーは首相官邸に中継されたものと同じ映像をレゾリュートのスクリーンで眺めながら指揮官用シートに腰を下ろしている。自分が直接指揮をしているわけでもないのに心臓が激しく鼓動し、奇妙な感覚に襲われていた。

 自分は兄たちが死ぬのを恐れているのだろうか。父とも兄とも別の道を歩むことになると覚悟して軍人になった。今でも会うとは言え、父や兄と別れても後悔はしないと決めていた。だが今まさに生命の危機にさらされた兄たちを目の前に、自分は拘りを持っているのだろうか。

 彼が家族の中で唯一敬愛していると確信できるのは母アビーだけである。父や兄といかに対立しても彼が家に帰った理由はまさしく母を悲しませたくないと言う思いからだった。もし兄たちの命が失われることとなれば母は悲しむだろう。だから自分は緊張しているのだろうか。

 「こちら突入部隊、ポイントDに到達。指示を請う」

 押し殺した声が艦橋に響き渡った。突入部隊が客室の真上に到達したのである。映像には客室内を歩き回る数人のハイジャック犯と囚われ、客席に座らされている人質たちの姿があった。その中にジョンソンとアントニーの姿を見つけ、安堵した自分にジェフリーは違和感を抱いた。

 「首相官邸からです。作戦を開始せよとのことです」

 通信士官の報告がジェフリーの意識を現実に引き戻した。作戦の実施の命令は彼に委ねられたのである。

 これから数秒の間に全ては決まるだろう。兄たち、他幾人もの議員たちの生命はこれから数秒の間に生死の狭間に立たされることとなる。それを意識すれば、たった一言の命令を下すことの重みを実感せざるを得ない。

 だが命令を下す以外の選択肢が存在するはずもなかった。

 「作戦開始」

 すぐに通信士官はコンソールに向けて語りかけた。

 「司令部より命令。作戦開始。突入せよ」

 「了解、突入する」

 客室の前後の天井の通気口に空いた穴の隙間から二個づつ、合計四個の物体が投げ落とされた。その存在にハイジャック犯たちが気づいたとたん、目も眩む閃光が客室内を包み込み、同時に一瞬で客室内に煙が充満した。フラッシュとスモークで突入隊は一瞬にしてハイジャック犯たちの目を奪ったのである。

 「突入!」

 開け放たれた通気口から完全武装の特殊部隊員らが飛び降りた。スモークの中でも赤外線ゴーグルをかけていればどこに敵がいるかは見て分かる。客室内は一瞬にして銃声と悲鳴が響き渡る戦場と化した。

 近接戦闘用のショットガンや拳銃の射撃で瞬く間に数人のハイジャック犯は鮮血を撒き散らして床に倒れた。しかし一瞬でハイジャック犯を全員射殺することはかなわず、視界を奪われたハイジャック犯らは目標も見えないままに手に持った短機関銃を乱射した。壁、床、天井で銃弾が跳ね返りまた新たな絶叫が巻き起こる。

 特殊部隊員たちは冷静にハイジャック犯を次々と射殺し、結局僅かに十秒で客室は制圧された。

 「怪我人の収容は後だ!第一班は操縦室を制圧しろ!」

 隊員たちはすぐに客室を駆けだし、前部の操縦室に向かった。途中出くわしたハイジャック犯は問答無用で撃ち抜かれる。操縦室にもスモークとフラッシュが投げ込まれ、瞬く間に制圧された。

 「制圧完了しました」

 その報告が上がるまでの時間は突入から三十秒。その時には客室の排気装置が作動して充満したスモークもほとんど排出されて視界が確保された。

 ジョンソンは何が起きたか分からないままに目の前で推移する状況を呆然と眺めることしかできなかった。視界が晴れて初めて自身が味方に救出されたことを悟ったのである。彼は立ち上がるとまず周囲を見渡して状況を確認しようとした。そしてその時彼の視界の隅に入ったのである。

 頭を撃ち抜かれて即死したアントニー・カニンガムの遺体が。


 スプリング号に戦艦レゾリュートが接舷し、人質たちはそちらに乗り移った。ジェフリーは司令官として乗り込んできた人質たちと対面することとなった。

 「貴方がジェフリー・カニンガム提督でいらっしゃいましたか」

 無事に傷一つなく救出されたキャッスル内務大臣はジェフリーの内心も知らぬままに彼の手を強く握りしめた。

 「首相のご子息と言うだけのことはある。貴方の功績は篤く報われるでしょう」

 社交辞令だけで構成された微笑を返してジェフリーは内務大臣を奥に通した。全く、忌み嫌う政治家の側から手を握られるなど気持ち悪い限りである。父親のことを話に出されるのも彼としては不本意極まりないものだった。

 そこに十年来会っていない兄が現れたものだからジェフリーの不快感は頂点に達したと言っても過言ではあるまい。しかし十一歳年上の兄はジェフリーの予想の斜め上を行く反応を示した。

 「アントニーが死んだ。流れ弾だ」

 沈痛な声でそう一言言ったのみである。

 ジェフリーは目を見開いた。

 「嘘だろ?」

 「俺が嘘を言うと思うか」

 ブロンド髪の若い提督は絶句した。

 ジョンソンはそれ以上何も言わず、ただ強く握りしめた拳を壁面に叩きつけて歩き去って行った。その残響が妙に響いてジェフリーの耳の奥にこびりついていた。

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