スプリング号事件

 首都ロンディウム軌道上に浮かぶ宇宙ステーション「ニューテムズ」は高級ホテルやクラブ、カジノが集中した富裕層向けのステーションであり、このステーションへの入場自体が高額の会員料金を支払ったVIPだけにしか認められていない。ロンディウムでもセキュリティ能力が高い場所の一つであり、高級ホテルを使っての政治家や財界人のパーティーや会議なども頻繁に行われている。

 ロンディウムのエクセター国際宇宙港とニューテムズを結ぶ旅客便は複数機おり、その内の一機がスプリング号であった。この旅客便も行き先のステーションと違わず豪華絢爛な内装が施され、レストランも設置されている。

 五月二五日、この日はそのニューテムズの高級ホテルにて与党エリウス中央党の一部議員団によってパーティーが開かれることとなっており、これには数十人の議員や財界人が参加することとなっていた。往還機としてスプリング号他数隻が特別にチャーターされ、参加者をロンディウムの地表から軌道上のステーションへと運んだ。スプリング号にはこの時エリウス内務大臣マイケル・キャッスル、通商産業大臣ジョン・ブレアと二人の閣僚を始め外務省政務次官ジョンソン・カニンガム、アントニー・カニンガムを含む複数人の議員が乗り込んでいた。

 「そう言えば…」

 遠ざかっていく地表を眺めるジョンソンに隣から声がかけられた。今は下院中央党の副幹事長を務めるエイムズ議員である。

「貴方の弟さんでしたな、ジェフリー・カニンガム。最近中将に昇進しただとか」

ジョンソンは鼻を鳴らした。

 「家の伝統に従わず、カニンガム家に泥を塗った男ですよ。良くもその年齢で中将まで昇進したものだとは思いますがね。女遊びに現を抜かす男が私の弟だなどと、思いたくも無いですが」

 代々政治家を輩出してきたカニンガム家において最初の「異物」がジェフリーであった。他の兄二人が真っ直ぐ政治家としての道を進んだのに対し、性に合わないと逃げ出した男をジョンソンは許す気にはなれない。次男のアントニーは態度を軟化させたが、ジョンソンは少しも遠慮する気にはなれなかった。

 「ですがねカニンガムさん。仮にも血を分けた兄弟なんですから、仲良くしてやらなければ」

 家に対する反逆者と仲良くしてやるべき理由などない。そうジョンソンが言い返しかけたとたん、突然船が激しく揺れた。人工重力の効いた客室では複数人が席から投げ出され、飲み物の中身が飛び散り、固定されていない物は激しく飛び回った。

 「何事だ!」

 真っ先に大声を上げたのはブレア通商産業大臣であった。待機していたSP達は示し合わせたように拳銃を抜くと客室の入り口へと展開する。

 照明が落ちると更にパニックは拡大した。一座の中で唯一の女性議員であったスペンサー議員が金切り声を上げて走り回る。すぐに非常電源が起動し、赤いライトが客室内を照らし出した。

 ジョンソンは席を立つと近くにいるSPに声をかけた。

 「何が起きた?」

 サングラスをかけた長身のスーツ姿の男は首を横に振った。

 「不明です。現在確認中ですのでお席でお待ちください」

 再び振動が起きた。一度目ほど大きいものではなかったが、それでも立っていたSP達はよろめいた。常人であれば数人は転倒していたであろうが、それでも姿勢を崩さない辺りが要人警護のため鍛え上げられたSP たるゆえんであろう。

 「エンジンが外部からの攻撃で停止、現在右舷側に船がドッキングしています!」

 船内放送で船長の声が響き渡った。聞いた全員の脳内に「テロ」の二文字が思い浮かんだであろう。SP達はすぐに客室を駆けだして右舷へと向かった。

 「奴ら何が目的なんだ!?」

 動揺のあまり声が裏返ったキャッスル内務大臣の様子はジョンソンにとっては少々滑稽であった。

 戦時下の内閣閣僚でありながらこの動転ぶり、自分が内務大臣と言う要職にある自覚をエクセター宇宙港のコインロッカーにでも置き忘れてきたのだろうか。警察組織を司り、このSP達も統括する者がこの有様では王国の治安も悪化するであろう。

 カニンガム家の次男であるアントニーはジョンソンと同様少しも動揺の色を見せずに席に座っている。その手には拳銃が握られ、いざとなれば迎え撃つつもりだろうか。ジョンソンは自分で武力を用いることが嫌いで護身用の拳銃も持っていない。

 通路の方から激しい銃撃戦の音が聞こえてきた。侵入者とSP達が戦っているのだろう。しかし同じ武器のフルオート連射の音はSP達の持っていた拳銃が出せる音ではない。恐らくは火力で圧倒されて制圧される。冷静沈着を己に課したジョンソンでも、額から汗が漏れ出ることは抑えきれなかった。

 客室のドアが蹴り開けられ、複数人の男が走りこんできた。全員が黒い戦闘用スーツと顔を隠すマスクを身に着け、手には取り回しに優れた船内用の短機関銃を持っている。リーダー格らしい男は顔が引きつった内務大臣の姿を目に留めると意地の悪い声を出した。

 「これはこれはキャッスル内務大臣閣下、そんなに動転していかがなさいましたか?」

 「あんた達誰よ!こんなことして許されると思ってるの!?」

 スペンサー議員が甲高い声を上げた。元々ヒステリー体質の議員であり、同僚の議員たちからの評判も芳しくない。

 リーダー格の男は手にした短機関銃を一瞬でスペンサー議員へと向けた。

 「喧しい女だ」

 乾いた銃声が響き渡った。一秒前までスペンサー議員だった肉の塊が頭に複数の風穴をあけられて高級絨毯の床に崩れ落ちる。飛び散った血と脳漿は床と席をどす黒く染め上げた。

 テロリストの容赦の無さを前にして誰一人それ以上何も喋ったり微動だにしようとはしなかった。相手が議員であろうと抵抗したり反発すれば問答無用で射殺する。抵抗しようにも客室の前後に既に十数人に入り込まれ、勝てるはずがない。

 「アントニー・カニンガム議員だな。この状況で銃を手にするとは勇敢な議員もいるものだ」

 嘲笑するようにリーダー格の男は言った。

 「床に置いて貰おう。他にも持っている客がいるなら同様だ」

 アントニーが渋々銃を床に置くと、テロリストの一人がそれを拾った。他の議員たちもそれぞれ武器を置いて完全に武装解除された。

 「貴方方は人質だ。我々の要求が満たされれば手荒な真似はしない」

 「何が要求だ」

 ジョンソンは枯れた喉から声を押し出した。

 「平和だ。四年続いたこの戦争を、今すぐにでも終わらせること」

 国民は戦争に厭いている。その事実をここまで肌身に感じさせられた瞬間は他にないだろう。自信が命の危機にさらされているのであれば本気で捉えざるを得ない。

 「平和を求める君たちが、こんな手荒な手段を用いるのか」

 テロリストを下手に刺激しないよう、慎重に言葉を選んでジョンソンは批判した。

 「これ以外に何の方法がある?次の選挙を待つまで何人が死ぬと思う?選挙の後に平和が訪れる確証は?」

 そう言われてジョンソンとしては何も言い返せない。元々はルーシアと帝国の間で行われていた戦争に便乗して帝国を弱体化させようとエリウスが挑んだ戦いはいつの間にかルーシアが単独講和して抜け時を失いだらだらと戦死者を増加させていた。戦争を終わらせようにも自分の力でできることが少ないなら、要人を人質に政府に停戦を求めることは確かに有効な手であろう。それに国民から支持を得られると言う利点もある。

 しかしスペンサー議員を射殺したことは誤りだったな。ジョンソンはそう分析した。いかに政治家に対して恨みがあっても手をかけた時点で正当性は失われる。だがその事実を知らしめない限りは正義はこのハイジャック犯たちの手にあると国民が受け取ることは大いにあり得ることだった。

 時に五月二五日、標準時十七時三二分の事である。


 「我々は内務大臣キャッスルや通商産業大臣ブレアら政権与党の重要人物を人質に、王国政府に対して帝国との即時停戦を要求する。国民が戦争の負担に苦しむ中で、彼らはこの豪華宇宙船で高級ホテルのパーティーへと向かっているのだ…」

 放送を聞いて同感の意を抱く者のどれだけ多いことか。ジェフリーも放送を聞いて政治家と言う職業の罪深さを思い知らされた気持ちだった。

 国民を戦争に動員して自分たちは安全な首都で利権争いやパーティーに没頭している。それが政治家の仕事なのか。

 自分が政治家と言う仕事を志さなくて良かったと思うジェフリーはやはり庶民肌の人間であったのだろう。そうした政治闘争や利権絡みの問題もあって当然だと言う兄たちや、もっと言えば帝国のエルヴィンや連邦のマーガレットの考えとは相容れぬものであった。

 とは言え軍人である以上国家の秩序を乱す者に対して鎮圧するのは当然の義務であり、ジェフリーもそれを履き違えるような愚か者ではない。彼の旗艦レゾリュートは護衛艦三隻を引き連れ真っ先に現場へと到着した。ちょうど機関をアイドリングさせていたこともあり最速で辿り着いたのである。一八時一三分の事である。

 「スプリング号は最初の攻撃で旗艦が停止。その後右舷側に接舷した武装船から乗り移ったハイジャック犯に制圧されたと思われます。監視カメラの映像を解析したところハイジャック犯の総数は十八人、また護衛は全員射殺され、船長らクルー含め人質は全員中央の客室に集められているようです」

 参謀長スレイドが説明した。

 「制圧は容易ではなさそうだな」

 「はい。無闇に突入しようものなら人質全員が殺害される恐れもあります」

 既に乗客名簿から自分の二人の兄が乗り込んでいることはジェフリーも知っている。彼にとって必ずしも好いたものではなかったが、血を分けた兄を見捨てて良いと思う気持ちは無かった。

 「可能な限り人質全員の解放を目指す。新たな指示が下るまで現状を注視しろ」

 レゾリュートと護衛艦は機関が停止したスプリング号を包囲して沈黙する。少しでも動けば自体が破局に向かう恐れがある以上慎重に慎重を期して行動しなければならなかった。

 

 自分の息子二人が乗る船がハイジャックされたと言われて愉快になる父親はいないだろう。ましてや彼らを人質にただでさえその終着点を悩んでいる政治的課題の即刻の解決を求められたとあっては。

 エリウス立憲王国首相アーサー・カニンガムは無言のままに手に持ったペンを握り締めていた。

 「既に突入用の特殊部隊は展開済みです。ご命令とあらば直ちに奪還作戦には取り掛かれますが…」

 「だがそれでは内務大臣や通商産業大臣の命が危ない。それに総理のご子息も…」

 国防大臣ボブ・ブライアンの言に対し大蔵大臣アントン・ボールドウィンが反論した。

 議論は平行線で、良案が出る気配もない。外務大臣ウィル・サザーランドは沈黙しっぱなしである。

 「現場の指揮官は誰なのです?」

 意味の無い質問を上げたのは国家安全保障会議議長キャロリン・アドラムである。

 「ジェフリー・カニンガム中将です」

 第一海軍卿アーノルド・テルフォード元帥が応じる。

 「彼もカニンガム家…」

 奇妙な縁のようなものを一同は感じ取ったであろう。

 「奪還作戦はともかく、彼らの要求にどう応じますか?二時間以内に要求が受け入れられない場合、彼らは一時間に一人づつ人質を殺害するそうです」

 話を進めたのは内閣官房長官ベネディクト・ワインバーガーであった。首相の補佐を行う内閣官房の長であり、閣議においては進行役を務め、政権のスポークスマンも担当する役職である。

 「彼らが求めているのは即座の休戦ですが…」

 「それは現実に不可能です。我々が休戦を求めて相手が応じるとも思えない」

 ブライアンが言下に否定した。

 「帝国は今でも好戦的な態度を崩してはいない。国境付近では小規模な戦闘が今でも相次ぎ、三つの惑星での地上戦も続いています」

 エリウス常備陸軍参謀総長ザカリー・ホワイト元帥の報告に出席者は呻いた。この翌日に帝国においては五公会議でエリウスとの講和交渉の開始が決定することを考えれば滑稽な話でもあるのだが。

 「今大声で和平交渉を進めると言って国民は納得しても、帝国からは弱腰と見られて外交攻勢をかけられることは避けなければなりません」

 沈黙を破って外務大臣が口を開いた。

 「では内務大臣以下の議員らを全員犠牲に捧げるのか?」

 ワインバーガーが目を細めた。

 「鎮圧しなければならない。ことはエリウス政府の威信に関わる。国王陛下から預かった政府がテロリズムに敗れるようでは誰が政府を支持するのか」

 初めて首相が声を上げた。それに即座に応じたのはこの年四七歳と少壮の国防大臣である。

 「では、直ちに鎮圧致しますか?」

 「彼らの条件を飲むタイムリミットまではあと一時間しかありません」

 ボールドウィンが腕時計に視線を落として言った。

 「直ちに奪還作戦を準備しろ。作戦開始後国民にはテロリズムには屈しないと、それだけ伝えろ」

 カニンガム首相はそれだけ告げて、再び沈黙の海へと潜航して行った。

 息子二人がテロリストに囚われ、下手をすれば殺されるかもしれない。しかし判断を誤れば国民の政府、或は政権与党に対する批判を招く。父としても首相としても、この時カニンガムは追い詰められていた。神よ、と彼が内心で祈ったのも無理はないだろう。

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