ワーキントン=プランプトン海戦・Ⅰ
エリウス軍本隊への攻撃を命じられたブリュンヒルデの第十二師団はその持ち前の機動力を活かして神出鬼没の攻撃を加え、エリウス軍はその対応のために弾薬燃料を大量に消費していた。しかし十万隻を超える大艦隊への攻撃は容易なものではなく、第十二師団は四千隻を超える艦艇や数千機の航空機を喪失することとなった。
「損失が馬鹿にならないな」
想像がついたこととは言え総兵力の四分の一を瞬く間に損失したことにブリュンヒルデは愉快ではいられない。
「ですが敵の行き足は止まりました。大量の弾薬燃料を消費し、補給のために立ち止まった模様です」
参謀長ブロンベルク中佐の報告を聞き、ブリュンヒルデは肯首した。
「それだけでも成果だね」
「閣下!軍団司令部より緊急入電です!」
通信士官が声を上げ、印刷された電文を手に取って走ってきた。銀の長い髪に水色の瞳を持つ若い女提督は紙を手に取って電文を読んだ。
「何と?」
「合流命令だ。第五軍団は単独で敵別動隊を相手するらしい」
ブロンベルクは目を細めた。
「本隊は?」
「敵主力と正面からぶつかるつもりらしい。我々が足止めに成功したなら、むしろ敵主力を叩けば良いと」
「しかし、敵兵力は我が本隊とほぼ同数、しかも敵軍には更に増援が見込まれます。一方我が軍は敵別動隊を殲滅し、第五軍団の戦力が加わらなければ敵に優勢を確保できる保証はありません」
この作戦に投入した戦力が一張羅であり、予備などない帝国軍に対しエリウス軍はまだ潤沢な後方部隊がある。帝国軍を相手に劣勢と見ればすぐにでも増援が動員されるだろう。
「ならすぐにでも敵別動隊を叩き、本体の援護へと向かい、敵主力に痛打を与えて撤退するだけだ」
ブリュンヒルデの言は常に単純明快で、他の解釈の余地がない。
「全連隊は直ちに第五軍団主力へ向かい反転!合流は戦場までにできれば良い。急げ!」
参謀やオペレーターたちが敬礼し、艦橋内は慌ただしくなった。命令が伝達され、航海参謀が航路を算出し、ブロンベルクが命令文の起草に取り掛かる。
第十二師団は反転し、第五軍団主力との合流へと向かった。しかし、師団が戦闘に入る時にはすでに第五軍団とエリウス軍別動隊、そしてエルジア、帝国両軍主力部隊の戦端は開かれていたのである…
帝国軍の作戦は成功していた。敵に数倍する大兵力で第五軍団を包囲殲滅しようとしたところに十万を超す帝国軍本隊が駆けつけてくることは予想外であった。
「帝国軍凡そ十三万隻が接近しつつあり」
報告を受けた時、エリウス本国艦隊司令長官ロバート・デーティ大将は目を見開いた。
「敵はあの艦隊だけではなかったのか?敵の大軍だと?」
この時エリウス本国艦隊を中核としたエリウス軍主力連合艦隊は帝国軍第十二師団との交戦で消費した物資の補給のために輸送艦の到着を待って待機していた。国境付近の補給拠点は進入してきた帝国軍第五軍団によって軒並み破壊され、輸送艦も破壊されていたためである。第十二師団の神出鬼没の攻撃はエリウス軍主力に損害を発生させるものではなかったが、変幻自在に隊形を変化させてちょこまかと動き回る小賢しい敵を相手にエリウス軍は物資の消費を強いられ、これ以上の作戦行動のためには補給が必要と言う状況になっていたのである。その内何割が損失するか分からない数万隻の艦船の物資を満載することは物資の余計な浪費に過ぎない。継続的な補給によって戦闘能力を維持することがこの時代の艦隊戦略の常識であった。
その補給を待って足止めを食らっている間に帝国軍本隊が迫ってきたのである。その数はエリウス軍よりも少数であったが、補給が未了のエリウス軍は全力を挙げた反撃を行うことはできない。
とは言え補給状態は万全とは言えずともが総数では我が軍が優勢であり、補給状態を整え、本国艦隊の更なる増援を迎えれば優勢に持ち込むことは容易だ。デーティはそう結論付けた。
「補給状態の良好な艦隊を抽出し、前衛として配置しろ。他の艦隊から物資を融通しても構わない。帝国軍の攻勢に耐え、我が軍の準備を整えてから総反撃に移る」
「エルジア艦隊主力はこのままの針路で宜しいですか?」
参謀長ウォリナ―少将が尋ねた。
「構わん。我が本隊に攻撃をかけるためにあの艦隊は戦力を分散させた。迂回部隊の総力なら十分に対抗できるだろう。足止めだけでも構わない。時間は我々の味方なのだからな」
両軍主力による決戦の火蓋は七月三一日二三時四五分に切って落とされることとなった。
エリウス軍別動隊を率いているのはエルジア艦隊司令長官エーベル・スティーブンス大将である。彼の手元には第一エルジア、第三エルジア、第四エルジア艦隊と三個エルジア艦隊があり、その総数は凡そ四万隻であった。残るエルジア艦隊は現在デーティ司令長官の指揮下におり、スティーブンスが握るこの三個艦隊がエルジア艦隊主力と言うこととなる。
四万隻を超える艦隊が展開し、砲火を浴びせる姿は壮観と呼ぶに相応しい光景であっただろう。七月二九日十時二三分、両軍主力の戦闘開始に先んじてエルジア艦隊主力と第一二師団が欠けた帝国軍第五軍団はワーキントン星系で交戦を開始していたのである。
「敵艦隊は三万隻未満、我が軍より少数である。敵がいかに奇策を用いようが、一万隻の数的差は覆せまい」
スティーブンスは配下の第三エルジア艦隊と第四エルジア艦隊に前進しての攻撃を、第一エルジア艦隊には左翼に展開して敵艦隊の側面を取るよう命じた。
彼の指示通りに艦隊は展開し、帝国軍と砲火の応酬を繰り広げながら第一エルジア艦隊は左翼方向へと隊列を伸ばしていく。
この様子は当然帝国軍第五軍団旗艦ザイドリッツからも見受けられた。
「やはり陣形を展開してきたな」
エルヴィンは哄笑した。
「フーバーを前に出して防御させろ。ジーメンスは私の指示で一斉に敵最左翼を撃て」
防御に秀でたフーバーの第九師団が前へと出る。当然砲火は第九師団に集中するが、シールドの出力を上げ、装甲の厚い一等戦列艦を前面に押し出してこの猛砲火をフーバーは耐え抜いた。
その間にジーメンスの第十四師団は隊列を整え、陣形を広げて防御と言う意味においては最も脆弱な状態にある第一エルジア艦隊を狙う。
「撃て!」
緑色の光芒が漆黒の空間を薙いだ。集中する火箭に横殴りにされたエリウス軍の戦艦が次々と爆発し、轟沈する。統制射撃の訓練を重ね、師団長ジーメンスの手足のように動くことができるように鍛え上げられた第十四師団はその破壊力を思うままに発揮した。
「中々やるではないか」
艦橋で仁王立ちになって腕を組みながらジーメンスは独語した。
軍歴においては彼にとってざっと四倍の差がある若い上官の実力はまだジーメンスにとって不透明なものだった。非凡なものであろうとは思っていたが、まさしく戦神に愛されたと言っても過言ではない采配はジーメンスほどの経験ある労将もそう見てきたものではない。
その間フーバーも奮戦している。防御に徹するのみならず、果敢な射撃でエリウス軍の隊列に痛打を与え続けた。
エルヴィンにとってこの戦場における駒は第九、第十四の二個師団である。この二つは無論強力な駒ではあっても、決定打には欠ける。その意味においてブリュンヒルデの第十二師団は戦局に決定的影響を与えうる存在であった。エルヴィンとしては敵の攻撃を凌ぎ、時には反撃しつつ時間を稼いで第十二師団の到着を待たなければならない。積極果敢で機動的な攻勢を旨とするエルヴィンにとっては辛い我慢の時間であった。
「第三一連隊の一個戦隊をポイントD4へ」
「敵の攻撃が激しい。第二十連隊は後退してその穴を第八連隊で埋めて」
敵の攻撃にその都度隊形を保ち、必要に応じて射撃を加えて撃破する。敵の攻撃の集中するポイントに兵力を移動させて攻撃を凌ぐ。およそエルヴィンの精神的傾向と外れた作業であったが、参謀長ディートリンデの並外れた調整能力がエルヴィンに精神的負担を強いることなく事態への対処を可能としていた。
しかしディートリンデとて隊形の維持や司令官の意図に沿う作戦展開の調整はできても、瞬時に戦場の要点を見抜いてそこに火力を集中させるような天才的なひらめきには恵まれてはいない。彼女がこの銀髪の青年には勝ち得ない点の一つである。ディートリンデは参謀であり、エルヴィンは将帥である。二人の方向は必ずしも同じではなく、だからこそ銀河史においても類を見ない強力なコンビなのであった。
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