決戦へ
不完全ながらも構築されつつあるエリウス軍の防衛ラインに対し、帝国軍は積極的に挑戦する意思を示さなかった。挑戦する理由も価値もなかったためである。
星系を占領するわけでもなく、補給基地を撃破したのみで引き返して再度エルロモス星系に集結した。エリウス軍が防衛ラインから前進を開始した途端に軍を返す、絶妙な駆け引きである。その結果追撃を試みるエリウス軍は敗走する帝国軍を追撃するような格好に自然と相成った。エルヴィン、そして帝国軍にとってみれば既定の内の戦略である。このまま釣り出して補足撃滅することが「夏の嵐」作戦の骨子であった。
エリウス軍としては敗走する第五軍団を何としても殲滅してしまいたい。何せ本国艦隊二個が撃破され、周辺星系の補給拠点までが撃破されたのである。これを殲滅しなければ軍に対する国民や議会の姿勢は悪化する一方である。
「偵察及び諸々の情報を総合した結果、恐らく敵軍は一部兵力を以て撤退する我が軍の頭を抑えるべく機動していると思われます」
情報主任参謀バルツァー大尉がそう報告したのは七月二一日のことである。
バルツァーは第五軍団が作戦行動に入ってから徹底的に情報を収集し、更にその玉石混交の情報の中から有益な情報を取り出し、さらに整理して確実性の高い情報を司令官に提供し続けた。後には彼の存在がいかにエルヴィンの勝利に影響を与えたかを指摘する文献も数多く上梓されることとなる。
「数は?」
「恐らく三万から四万隻程度かと思われます。足止めしている間に後方から到着した主力部隊でもって包囲殲滅する腹づもりかと」
情報提供に謝意を述べてバルツァーを下がらせると、続いて参謀長ディートリンデを呼び出した。
「敵は一部の兵力をもって我が軍団の前方に回り、包囲殲滅するつもりらしい」
「どうするつもり?」
エルヴィンは席を絶ち、立体地図を指した。
「既に本隊はフロイテン星系に到達している。我々は針路を変えて急速前進し、迂回を試みる敵の針路の鼻先を通る形で撤退、その敵を本体に追撃させよう。その後反転し、本体と共に挟撃する」
「迫ってくる敵の本隊は?」
ホログラム上に投影された両軍の配置を示す三角の一つをエルヴィンは動かした。
「ハインリッヒの第十二師団に敵本隊にゲリラ的攻撃をかけさせる。敵の補給拠点を既に潰している以上補給路は長大となり、戦闘で物資を消耗すれば敵は停止して補給を待たねばなるまい。その間に敵迂回部隊を殲滅し、敵主力を攻撃する」
兵站線と言う概念は軍隊とは切っても切れぬ関係性にある。補給拠点から前線部隊への距離が長大となれば、その分だけ補給には時間がかかり、困難なものとなる。第五軍団がエリウス軍の補給拠点や輸送艦を叩いたことには十分な価値があった。
「了解。部隊の針路を変更し、第十二師団には敵主力への攻撃を指示するわ」
ディートリンデは踵を返して公室を出て行った。
彼女はエルヴィンとマーガレットとのかつての関係性を知っている。彼女ほど察しの良い女性なら、二人の間の出来事も察しているのではないか。それでも一切口を出そうとしない。エルヴィンは内心不安となった。ディートリンデは既に十年以上の付き合いとなり、家族と言える存在の無いエルヴィンにとって最も近い位置にいる人だが、一番近くにいるのに一番その内心が図りかねる存在であった。
銀河帝国軍の宇宙戦力を統括するのが帝国宇宙軍である。さらにその中で主力の艦隊戦力となるのが帝国宇宙中央軍であり、第一から第九まで存在する帝国の定数九個軍団の全てが配備されている。帝国中央軍の司令官は宇宙軍総司令官が兼ねており、即ちパウル・フォン・リヒテンシュタイン元帥が全帝国宇宙艦隊への指揮権を握っていた。
この「夏の嵐」作戦に参加したのはリヒテンシュタイン直率の第一軍団、パウニッツ上級大将の第二軍団、フリーデン大将の第四軍団、そしてジークムント上級大将の第五軍団である。これ以外の五個軍団の内第七軍団は先の作戦における損害の大きさから解体され、他部隊も再編や訓練の途上で作戦に参加できる状態ではない。つまり、この四個軍団が帝国が動かすことのできる唯一の軍勢だった。
第五軍団がエリウス領において当初予定された以上の奮闘を見せて暴れまわっている間、その行動を秘匿してエリウス領へと接近しつつあった帝国軍主力は長蛇の隊列を引いてその先鋒は第五軍団の位置から五百光年ほどの距離に達していた。
「閣下、第五軍団よりの入電です」
宇宙軍参謀総長ハウサー上級大将が司令官に一枚の紙を差し出した。参謀総長は宇宙軍総司令官が直接出撃するときはその参謀長として同行する役目を負う。
「第五軍団は前方へと迂回しつつある敵艦隊をかわす形で急進、我々主力部隊に敵迂回部隊の追撃を求めてきております」
リヒテンシュタインはハウサーに差し出された紙を受け取った。
「ジークムント提督の説明では敵主力は補給拠点の喪失によって補給線が長大となり、その進撃速度が鈍るために我が主力が背後を取られることは無いとのことですが…」
ハウサーは一旦早口になった言葉を止めて一呼吸するとつづけた。
「その根拠は不十分です。敵に物資消耗を強いるべく一個師団を向かわせたそうですが、一個師団程度が足止めになるとも思えません。敵迂回部隊はジークムント提督に任せ、我が主力は直進し敵本隊と相対すべきでは?」
ハウサーにとってすれば状況は不愉快極まりない。エルヴィンは想像を絶するスピードでの進軍でエリウス軍に大打撃を与え、更に撃破されないまま二十万近い大軍を釣り出してきたのである。この数の敵を撃破するのは容易ではない。ほぼ帝国の全軍に匹敵する数のエリウス軍に勝利しつつ、同時にエルヴィンを敗北させるのは困難極まる目標だった。
エルヴィンは一個師団を割いてエリウス軍本隊へと向かわせた。つまりエルヴィンの手元には二個師団しか残っておらず、エリウス軍別動隊と交戦させればどちらエルヴィンが負けぬとも限らない。それ以上にハウサーにすれば自分が立案した作戦が失敗すれば己が失脚する可能性すらあり、エルヴィンの去就以上に正面のエリウス軍の撃破を考えざるを得ない。
このような事情が、ハウサーにエルヴィンの提案を拒否して正面のエリウス軍本隊に相対することを主張させたのである。
リヒテンシュタインは暫く黙っていた。ハウサーとしてはこの総司令官の頑固さ、重厚さは気に入ったものではない。
「仮にエリウス軍の補給が滞っているなら、それこそエリウス軍本隊への攻撃の好機かと思われますが…」
「良かろう」
リヒテンシュタインは表情一つ変えずに重々しく宣した。
「主力軍はこのまま直進、エリウス軍本隊の攻撃へと向かう。第五軍団はエリウス軍の迂回部隊に対応させよ」
ハウサーにとっては少々意外だった。リヒテンシュタインの立場からすれば息子たるエルヴィンを見捨てるに等しい選択である。しかしハウサーにとってはこの状況ではベストとは言えずともベターと言うべき結果であった。
帝国軍主力艦隊三個軍団十三万六千隻は針路を変えずに前進する。目標はエリウス軍主力艦隊。その総数は各方面から集めた十二個艦隊に他小部隊も加わって約十七万隻である。
一方で第五軍団は既に放った第十二師団を引き戻すことはできず、二個師団約二万九千隻(純粋な戦闘艦艇の数)でエリウス軍三個艦隊約四万隻に対抗しなければならない。
「何だと?」
「本隊はエリウス軍主力へと向かうそうね。第五軍団はエリウス軍迂回部隊と交戦せよとの命令よ」
エルヴィンは思わず机を拳で叩きつけた。仮にその場にディートリンデ以外の人物がいればこのような率直な反応はしなかったに違いない。
「奴め、俺には死ねば良いとでも思っているつもりか?」
父親に対して偏見に満ちた悪態をつくエルヴィンに、ディートリンデはため息をついた。
「あんたが元帥を恨むのは分かるけど、敵本隊が補給不足で足止めされるならむしろ本隊を撃破すべきと思うのは仕方ないでしょう。別動隊を殲滅するのはこの軍団の視野に過ぎない。元帥はそれを考えたんでしょう」
当人は気づいてなかったし、仮に知っても認めようとはしないであろうがエルヴィンの頑固さや意志の固さ、プライドの高さは父親から受け継いだものであった。ディートリンデに言われたところで、自分の父親への感情と相まって自分の作戦が味方の決定で脆く崩れ落ちたことに対してすぐに怒りを抑えることができるほど彼はまだ成熟した大人ではなかったのである。
「それより、状況がこうなった以上向かってくるエリウス軍別動隊と戦うしかないでしょ?味方に作戦が受け入れられなかったからって泣いて帰るつもり?」
銀髪の青年は押し黙り、舌打ちしてから肩の力を落としてため息をついた。彼の感情の変化は他人が思っているよりも豊かで、素早い。それもまた今現在はディートリンデのみが知るエルヴィンの特徴である。
エルヴィンは頑固でプライドが高い男だが、頑迷ではなかった。理性的な言葉に駄々をこねる程狭量であれば彼はこの階級まで上り詰めることはできなかったであろう。
「分かった。迎撃の準備を始めよう」
エルヴィンの才能の非凡さはディートリンデが一番良く知っている。しかし、それと同時にエルヴィンには幼い少年のような自我も存在することも分かっていた。それが彼に害を成しかねない時は彼女がそれを抑えなければならない。ディートリンデは己の役割をよく心得ていた。
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