エルロモス星系海戦
七月九日二一時三十分、エルロモス星系に突如帝国軍第五軍団の二個師団が出現した。その総数は三万五千隻を上回り、一方この星系に布陣していたエリウス軍は第二本国艦隊と第五本国艦隊合わせて二万九千隻に過ぎない。エリウス軍の一個艦隊は戦時編成の帝国軍一個師団と比べて数で劣り、数的差において帝国軍が優勢だった。
「馬鹿な!総司令部は敵の到着は十日以上先だと言っていたではないか!」
エリウス軍が驚愕の淵に叩き落とされるのも無理はないだろう。何せ帝国軍は兵学上の常識を超える速度でエリウス領へと進撃し、実行が極めて困難な分進進撃、同時攻撃を見事成し遂げたのである。
「どうなさいますか?」
幕僚に問われ、第二本国艦隊司令官クライド・スモールウッド中将は舌打ちした。
「全艦後退だ。あの数の敵と戦っても勝てん!」
この戦場ではスモールウッドが先任指揮官である。直ちに第五本国艦隊にも指示が飛び、エリウス軍は後退を開始した。
「遅いな」
エリウス軍の動きを眺め、エルヴィンは独語した。
「こちらの奇襲を予想していなかったものね」
傍らに控える参謀長ディートリンデが応じる。
エルヴィンは頷き、今度は後ろに控える幕僚らにも聞こえるように声を上げた。
「ジーメンス、フーバー両師団に攻撃を開始させろ」
エルヴィンの手元には今二個師団がある。フーバーの第九師団とジーメンスの第十四師団はエルヴィンの指示を受け、直ちに砲撃戦を開始した。緑色の光の束が漆黒の空間へと投げつけられ、鮮やかなコントラストを網膜に投影する。
エリウス軍も応射した。赤い光が帝国軍の艦列に雨あられと降り注ぎ、エネルギー・シールドにぶつかって青白い閃光を放つ。数万の艦船と、それに数倍する火箭が両軍の間で交換され、シールドを食い破られた艦船の爆炎の華が両軍の隊列の中でひと際目立って輝いた。
「序盤はつまらぬ撃ち合いだな」
戦闘の様子をフーバーは腕を組みながら眺めていた。この年三九歳、線が細くやや高めの体系に黒い髪と同じくらい黒い切れ長の瞳と言う前線指揮官と言うより官僚のように見える提督である。
「ご不満ですか?」
参謀長グスマン准将が尋ねた。
「いや。退屈するにはまだ早いな。暫くは楽しませて貰えそうだ」
フーバーは席に腰を下ろし、肘掛けに置かれた紅茶のカップに手を伸ばした。
両軍の砲戦は当初確たる優劣が見えないままに進んだ。帝国軍は前進し、エリウス軍は後退する。激しい砲火が応酬されたが、開戦後一時間は戦線に大きな変化はなく、直進速度で上回る帝国軍がじわじわと距離を詰めるのみであった。
「九時の方向に重力震反応!艦隊がジャンプアウトしてきます!」
十日〇時五分、第二本国艦隊旗艦ディフェンダーの艦橋オペレーターが声を上げた。
「敵か!数は!?」
「凡そ、一万五千!」
オペレーターの報告にスモールウッドは顔面蒼白となった。エリウス軍の左側面から一万五千隻もの新鋭兵力が現れれば辛うじて支えているエリウス軍の隊列はたちまち崩壊する。
星の海を背景とした空間が突如歪み、無数の艦船が姿を現した。これまで戦線に投入されなかったブリュンヒルデの第十二師団が到着したのである。巡洋艦と駆逐艦で構成された第十二師団はすぐさま展開すると、エリウス軍左側面に苛烈な砲火を投げかけた。これにはたまらずエリウス軍の隊列は崩れ、陣形が乱れて敗走する。しかしその敗走のスピードよりもブリュンヒルデの艦隊展開は素早かった。その時点で既に二個連隊が出しうる限りの速度でエリウス軍の後方へと向かい、主砲を左舷へと向けて緑の光の矢を撃ち放っていた。
エリウス軍左翼は前、横、後ろから砲火を浴び、半包囲されつつあった。
「このまま後退することは不可能です。背後を取られる危険を冒してでも、反転回頭し、敵を突破して撤退すべきかと存じます」
参謀長アーモンド少将の献策を容れてスモールウッドは反転撤退を指示した。
恐らくはこの状況下で取り得る最善手であっただろう。しかし、撤退までに数方向からつるべ撃ちにされたエリウス軍艦隊は損傷艦の収容もできず、最終的に撤退に成功できたのは一万四千隻、全軍の半数に過ぎなかった。轟沈した艦は少なかったが、損傷し、収容できなかった艦船の全てが帝国軍によって鹵獲されたのである。
エルロモス星系海戦は帝国軍の完勝に終わった。帝国軍の進撃速度の速さを予想できなかったエリウス軍の動員は遅れ、帝国軍の奇襲を許す形となった。
「初戦は勝ったね。ここからどうするの?」
戦勝に沸く艦橋の中でディートリンデは二歳年少の司令官に尋ねた。
「敵が大規模に反撃に出れば当然補給の根拠地が必要になる。そのためとなる拠点を破壊すればこの後の作戦は我々が優位に立てる」
なるほど、と赤毛の参謀長は肯首した。
「艦隊は直ちに分散し、敵の補給拠点となる敵基地を掃滅させろ。敵主力が出てくる前に潰して撤退する」
この後彼がより多くの軍勢を率いて戦うようになってからもそうだが、エルヴィンは積極的な行動において敵の機先を制し、その後の主導権を握ることを好んだ。そしてそれは同時に合理的な計算の元で成されていた。この時も彼は一時の戦果に驕って軍を返したり、或は無謀に退却する敵を追撃するのではなく、一手先を見据えて行動したのである。
帝国軍第五軍団は想定外のスピードでエリウス領へと到達して第二、第五本国艦隊の半数を損失させる大被害を負わせた上周辺星系に点在するエリウス軍基地を次々と占領、破壊して同地の補給物資を収奪している。更には物資輸送のために調達していた輸送船が多数撃沈されて現在迎撃に出動しつつあるエリウス軍諸隊への輸送が滞りかねないと言う事態に至り、エリウス海軍本部も第五軍団を現実の脅威として認識しなければならなくなった。
「現在第一エルジア艦隊がリューク星系に、第三エルジア艦隊がボーレート星系に急行しております。ですが、何分敵に先手を取られ、その他の艦隊の到着は一週間程度の期間を見込まなければなりません」
海軍軍令部次長シモンズ中将の発言に、第一海軍卿テルフォード元帥は舌打ちした。
「敵の一個軍団に我が全軍がかき乱されている。これ以上奴らの好きにはさせられん」
「しかし敵軍の行動が迅速なために秩序だった防衛作戦を立案できておりません。対処療法的に艦隊を派遣していますが、各個撃破されては目も当てられません」
「仕方あるまい。出動可能な全艦隊を出動させる。待機している艦隊を全て出動させ、他に本国艦隊の全部隊も出せ」
海軍本部の立案した迎撃作戦は、敵が既に踏み荒らした星系に飛び込んでいたずらに戦力をすり減らすのではなく、その後方の星系に防衛ラインを構成し、その上で数の優位で敵軍を撃滅すると言うものだった。時間の余裕が無くすぐに作戦案は了承されて臨戦態勢で待機中だった五個艦隊八万隻が出動し、更には残る本国艦隊の全部隊にも出動が命令された。七月十七日の事である。
「エリウス軍が本気を出し始めたようだな」
旗艦ザイドリッツの司令官公室で情報主任参謀ジークリット・バルツァー大尉が上げてきた報告を見てエルヴィンは不敵に笑った。敵は既にエルヴィンの部隊に倍する戦力を用意している。更にその数は増大する見込みであり、最終的には二十万隻を超えるであろう。「夏の嵐」作戦に帝国軍が投入した全軍(つまり、帝国軍に残された戦力の八割強の戦力)をも上回る戦力が投入されると言う情報を受けても、少しも彼は慌てるそぶりも見せなかった。
「ランツィンガ―少佐」
「はっ」
後ろで待機していた首席副官フロイド・ランツィンガ―少佐が司令官に向き直った。この年三二歳の彼は副官としての経験が長く、その無難な性格故に首席副官としてディートリンデが選んだのである。
「紅茶を一杯。キャンディスはいつも通り二杯」
頷き、ランツィンガーは次席副官カイト大尉に司令官の指示をそのまま伝えた。
エルヴィンは再度情報参謀に向き直ると、渡されたデータパッドを返した。
「優秀な情報参謀たちだ。この先の敵の動向も徹底的に探れ」
「はっ!」
敬礼し、バルツァーは引き下がった。
エルヴィンは壁面のスクリーンに映し出される宇宙空間へと目を向け、声に出さず口の中で独語した。
面白くなってきたじゃないか。
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