作戦名「夏の嵐」
「閣下は連邦の外交特使を招き入れ、一晩そこにいた。中で何が起きたにせよ、邪推はいくらでもできます。皇帝陛下に仕える臣下と言う立場を超えて外交官と良からぬ謀議に耽っていたかもしれませんね」
宮廷において疑惑と言うものは大きな影響力を持つ。少なくとも連邦の外交特使であるマーガレットを自分の部屋に招き入れていたと言う事実を隠すことはできない以上、ヴァイスがこの事実を周囲にばら撒けばエルヴィンの立場は極めて悪くなるし、最悪罪を被せられて逮捕される可能性すらあった。
つまり、エルヴィンは政治闘争と言うものを理解していなかった。それは彼が高潔だったと言うよりも、自分の思考の外にある概念を理解しようとしなかったためであろう。しかし現実は彼が見て見ぬふりをしていれば道を開けてくれるほどに優しいものではなく、今まさに自分の警戒心の無さに牙を剝いて来たのである。
「脇が甘いですな、閣下」
ヴァイスは声を落とした。
「私は帝国保安局の人間です。事実を元に犯罪を作り上げることなど造作もない、それは閣下もご理解いただけるでしょう」
エルヴィンは答えなかった。と言うより答えることができなかった。かつての恋人と再会し、連れ込んで寝たことをすっぱ抜かれてまともな返答ができるほどにエルヴィンの面の皮は厚くない。
「ご安心ください。ご協力さえ頂ければ閣下にいらぬ疑惑がかかるような事態には致しませんよ」
「…またあの話ですか」
ヴァイスは頷いた。
「ネーリング公は一個軍団級の実戦部隊を統括される閣下のご協力を頂きたいと思われています。無論閣下ご自身が直接介入されるわけではなく、私を仲介としてね」
「…改革派に協力し、ネーリング公のために働けと」
「乱暴に言えばその通りですな。改革派の助力を得ることができるなら、閣下にとっても悪い話ではないでしょう」
エルヴィンは舌打ちした。
「卑怯な手を使う」
敏腕の保安局長官は肩をすくめた。
「それが仕事ですから」
ヴァイスからネーリング公爵の元へ赴くよう言われ、エルヴィンは従わざるを得なかった。外国の外交官と一夜を過ごしたなどと言われればスパイ容疑で逮捕されかねない。それは同時にマーガレットにも禍が及ぶ可能性があると言うことだった。
心臓が死神に鷲掴みにされているような感覚を味わいながらエルヴィンは自身の執務室へと向かった。己の考えなしの行動がどのような結果に結びつくか、そしてどのように他人に利用されうるかを初めて実感したのである。
しかし、一度事実が生まれてしまい、証拠を握られている以上エルヴィンにヴァイスに対して歯向かうことはできない。彼としてはヴァイスに敵視されぬようにしつつ、可能であれば逆にヴァイスを抹殺する必要が生じた。彼が生きている限りエルヴィンは危険と隣り合わせなのである。
執務室へと入ると、既に彼の参謀長が待っていた。昨日の己の行動や、思い出された過去のせいでとてもディートリンデを直視できたものではない。なるべく自然を装って彼女を見ないように席に腰を下ろすと、忠実な女士官はデータパッドを手渡した。
「言われた通り、艦隊の情報参謀と後方参謀、通信参謀を選んだわ。まぁ大体改革派の人間になっちゃったけど。あと副官もね。私一人で全部は大変だから」
エルヴィンは無言で表示された参謀のリストを見た。
情報参謀、主任参謀ジークリット・バルツァー大尉以下三名。
後方参謀、主任参謀ブルーノ・フォン・ヴィンター少佐以下四名。
航海参謀、主任参謀オスヴァルド・ヨハネス・タイヒマン少佐以下三名。
副官部、首席副官フロイド・ランツィンガ―少佐以下三名。
「全員平民階級か、下級貴族から選抜した。その過程で改革派派閥の人と知り合ってね」
また改革派か。何かの縁があるのかと勘繰らざるを得ないエルヴィンである。しかしディートリンデの人選に誤りはないだろう。少なくともエルヴィンは論評する立場にはない。
「分かった。これでやってくれ」
エルヴィンはデータパッドを突っ返した。当然、ここまでの間に赤毛の参謀長には一瞥たりともくれていない。
それに流石に怪しいと思ったのか、ディートリンデは言及した。
「ねえ、何かあったの?」
「…いや、大丈夫」
銀髪緋眼の青年の返答はディートリンデを満足させられるものではなかったが、二秒だけエルヴィンを見つめた彼女はこれ以上深入りすることが得策ではないことを悟った。
「分かった。そしたらまた参謀たちを出頭させるわね」
踵を返し、すたすたと立ち去っていく。
その後ろ姿を追うことも声をかけることもせず、エルヴィンは無機質な壁に視線をぶつけていた。
ネーリング公爵とリヒトホーフェン公爵の提案、そして同席した連邦特使マーガレット・パタークレーの持ち込んだ連邦国務省による講和斡旋に関する公文書が五月二六日の五公会議の全てを決した。ここまで用立てられては他の公爵らも反撃のしようもない。それどころか戦後のことを考え、即座に寝返って講和の支持に回る始末であった。
五公からの支持を取り付けた宰相ボーデン候はすぐに外務卿リュッチェンス男爵に指示してエリウスとの和平交渉を開始させた。しかし、エリウス側は戦いの勝者は自分であるとし、有人惑星も含む合計五の星系の割譲を求めてきた。そこにはロエスエル公の所有する惑星も含まれており、彼は当然反発したし、帝国政府としても五星系の割譲は認められたものではない。何とか一星系程度の割譲、可能であれば原状回復で手を打ちたいところであった。
エリウス首相アーサー・カニンガムとしては、戦争の長期化で下がった政権への支持率を講和によって回復させたい狙いがあった。これまでの半世紀ほどは彼の属する中央党の政権下にあったものの、戦勝が長期化してから政権支持率は目に見えて低下し、反対に野党第一党の民政党が支持を伸ばしている。四年に一度の選挙が一〇月に迫り、何としても戦争を勝利で終結させて支持率を回復させる必要があった。
その首相の意を受けた外務大臣サザーランドは、しばしばエリウスが用いる外交論法を以て帝国に対して強硬的に挑んだ。
「貴国は既に戦力が大きく減殺され、長期戦に耐えられる状態ではない。翻って我々はいつでも出撃できる艦隊は二五万隻を超え、交渉決裂とあらば直ちに出兵して今度こそ貴国の帝都へと迫るが如何?」
エリウス側の主張もただのはったりではなく、実際にエリウス国防省は本国艦隊とエルジア艦隊に臨戦体制を取るように指示したと言う情報が帝国軍情報部や外交ルートからもたらされた。
「ならばその軍事力を打破すればよいではありませんか」
そう主張したのは帝国宇宙軍参謀総長ハウサー上級大将であった。
「我々にはこれまで艦隊戦において不敗常勝のジークムント提督がいる。またリヒテンシュタイン元帥閣下直属の第一軍団も健在です。エリウス軍に打撃を与えられましょう」
「しかし、我々の総兵力は今やエリウス軍より劣勢だ。両軍が全部隊を出撃させ、終わりなき消耗戦へと陥れば帝国軍が先に消耗し尽くし、宇宙の塵と消えること疑いない」
帝国宇宙軍総司令官パウル・フォン・リヒテンシュタイン元帥の言は誤解しようのない明確さであり、その明確さが彼を現在の地位に十年以上の長きに渡り就けていると言えるだろう。
「無論そうです。しかし、小部隊を以て敵の一部部隊を釣り出し、我が全軍を以て撃滅すればいかがでしょう」
ハウサーが提案したのは以下の作戦だった。
ジークムント上級大将の第五軍団が先行出撃し、エリウス領へと侵入する。その間徹底的な情報秘匿の元で第一、第二、第四の三軍団は国境付近へと向かう。第五軍団は迎撃に出てきたエリウス軍と戦い、戦いつつ後退する。エリウス軍がいかに有力な戦力を誇ろうと、一個軍団の撃破のために全艦隊を出動させているようでは割に合わない。釣り出されたエリウス軍を、より優勢な我が全軍を以て迎撃し、撃滅する。
大筋はこのようになっていた。
「なるほど、では第五軍団が敵の矢面に立つと?」
「その通りです。かの国は十月に議会選挙を控えているとか。その直前にかような大敗を喫すれば、これ以上の損失を出す前に講和に応じるでございましょう。ジークムント将軍の師団は壊滅するやもしれませんが、その代償に敵の全軍を撃滅できればエリウスにとっては大打撃です。ご不満ですか?」
ハウサーは息子たるエルヴィンの名前を出し、牽制してみたつもりだった。しかし、堂々たる体躯の宇宙軍総司令官は一顧だにしなかった。
「良かろう」
総司令官の裁可が降りた。直ちに作戦案は上奏され、皇帝の代理として宰相はこれを認可し、外務卿に対しエリウスとの交渉を長引かせ、時間を稼ぐように指示した。
帝国は動き出した。「夏の嵐」と命名された作戦には第一、第二、第四、第五の四軍団、総計十九万八千隻に上る艦隊が参加し、とりわけ戦力が大幅に拡充され、数字上は帝国軍最大の軍団となった第五軍団と、本国において温存されてきた第一軍団と言う強力な二個軍団が全軍の中核となる。
しかしリヒテンシュタイン元帥もエルヴィンも知らない事情が存在した。ハウサー参謀総長の後ろ盾たるランズベルク公が、密かに第五軍団の編成、戦力、そしてその行動経路を含めて全てエリウスへと耳打ちしていたのである…
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