リンデン通り事件
帝国に入った大統領特使マーガレット・パタークレーだが、最初の数日は情報収集に時間を費やすこととなった。あくまで非公式の特使であり、表向きの外交交渉は駐帝国大使館のアキヤマ大使の仕事である。ブラウン国務長官がエリウスに入るのと時を同じくして彼は帝国外務省に対してエリウスとの講和を斡旋する旨の外交交渉を開始したが、帝国政府の応答は冷ややかなものであった。
「検討する」
ただそれだけである。無論アキヤマ大使もそのようなことは百も承知であり、マーガレットがここからどのような働きを果たすかが重要であった。
帝国における五公の存在は国政に対し大きな影響力を持ち、彼らが同意しなければエリウスとの講和などできようはずがない。しかし五公の誰もが自分が言い出しとなり、敗北論者として排除される可能性を恐れて戦争継続で一致している。これをいかに突き崩すかが重要だった。
「やはり、五公の誰かと会うしかないわね」
マーガレットはそう結論付けると、すぐに行動を開始した。五人の公爵に対して会談を申し入れたのである。あくまでアキヤマ大使の名義であり、公式外交ルートを通しての活動である。
しかし、五公の内会談に応じたのはリヒトホーフェン公とネーリング公の二人だけであり、他の三人からはにべもなく却下された。それでも五公の内二人と会談のチャンスを得て、マーガレットからすればこのチャンスをものにする必要がある。
序列上はネーリング公よりも年長のリヒトホーフェン公が上級であり、五月二一日にマーガレットはリヒトホーフェン公の邸宅に向かうこととなった。
フロイド・フォン・ヴァイス保安局長官の張り巡らせた諜報網はマーガレットの動きを全て捉えていた。当然リヒトホーフェン公の邸宅にマーガレットが向かうことも把握していた。事の次第をネーリングに報告した時、ネーリング公は目を細めた。
「リヒトホーフェンが先か?もし奴が連邦の後ろ盾を得て機先を制して他公爵の取りまとめにかかれば私がいくら動こうと太刀打ちできぬ。むしろ協力させられ、奴によって主導権を握られてしまうではないか」
ヴァイスは頷いた。
「はい。連邦政府のお墨付きを得る訳ですから、もし連邦の大使でも一緒に連れてこられたら、五公会議で誰が主張しても、他の公爵も易々と排除はできません」
これまでは帝国内部、正確には五公五人の内部での話であり、一人が和平論を持ち出しても他の四人によって排除される可能性は大いにあった。一度敗戦論者とでもレッテルを貼られれば貴族社会においては致命的なダメージとなりかねない。
しかしその風向きが変わった。連邦が外交ルートで動き出した以上、その提案を五公の誰かが後ろ盾として用いて和平の話を推し進めようとすれば、他の公爵は反論できないだろう。この際宰相が言い出しても発言力的に弱いが、五公の一人ともなれば訳が違う。
「他の三人が拒否してくれたのは幸いだったが、リヒトホーフェンに先を越されるのはまずい。どうにかして阻止はできないか?」
ヴァイスは回答を考える必要はなかった。
「ご安心ください。彼女の素性は調査済みです。私にお任せ頂ければネーリング公にお会いせざるを得ない状況を作り出すことができます」
「ほう?」
若い公爵は興味を持って身を乗り出した。
五月二一日、リヒトホーフェン公の元へと向かったマーガレットだったが、道中で突如市街戦に遭遇した。無論エリウスの軍隊が帝都の空から舞い降りたわけではなく、反体制派の一味の拠点に帝国保安局が踏み込んで戦闘となったのである。ヴァイスは敵対勢力をも駒の一つとして扱っていた。戦闘を激化させるためにわざわざ保安局側の戦力や摘発のタイミングを伝え、反体制派が迎撃の準備を取ることができるように仕向けたのである。更には反体制派の犯行のように演出して現場周辺の道路を爆破し、現場は死傷者で大混乱となった。
「特使、我々も戦闘に巻き込まれかねません!」
運転手の言にマーガレットは思わず舌打ちした。全く、運が悪いどころの話ではない。
ちょうどそこに(無論狙ってのことだが)小型輸送船数隻が着陸し、空いた扉から保安局の武装隊員が流れ出す油の如く躍り出て激しい市街戦の演出に一役買って見せた。
外に出れば流れ弾に撃たれかねない。しかし周囲では逃げ惑う民間人がばたばたと倒れ、次々と沸き起こる爆炎は車両をも巻き込んで業火に叩き込む。マーガレットが車から降りる決断をしかねていると、突然扉が叩かれた。
「帝国保安局エージェントのクラウディア・ヴェルトミュラーであります。連邦大使館の公用車とお見受けいたしました。我々で保護致します」
イングリッシュをすらすらと話すまだ二十歳を過ぎたばかりにしか見えない小柄な若い女エージェントは彼女よりはるかに膂力で勝るであろう隊員たちに命じて車の乗員たちを乗ってきた輸送船へと誘導した。
保安局の隊員らの計算されたかのような手際の良さに、マーガレットは不信感を抱いた。外交官として洞察力や冷静な観察力、判断力は必須のスキルであった。
「エージェントさん、この行動に裏は無いでしょうね」
ヴェルトミュラー、と名乗った女隊員は一瞬無言になって見返すと、すぐに秘密警察たる保安局員とは思えぬほど柔和な笑顔を浮かべて答えた。
「そうであっても、一国の外交官を害する利はないでしょう?」
輸送船は離床すると、すぐに現場を離れた。眼下の戦闘が見る見るうちに遠ざかっていく。
己の向かう先にマーガレットは一抹の不安を覚えた。彼女は銃を携帯していないし、仮にしていたとしても何ほどのことが出来よう。いかに弁舌に優れた外交官でも、物理的に剣に勝つことはできないのである。
「この先に我々保安局特務部隊の駐屯基地があります。一旦そこに着陸し、大使館御一行を無事に保護するよう仰せつかっております」
「仰せつかるって、誰から?」
「上官からです」
この金髪の女エージェントの言葉は小学生のような応答であったが、保安局エージェントがそう易々と情報を口にするはずがなく、至極当然の回答と言えるだろう。
五分ほどで輸送船は駐屯基地の着床パッドへと辿り着き、船が完全に静止すると扉が開いた。最初にヴェルトミュラーが降り、次にマーガレットが降りた。
そこに立っていたのは凡そ保安局の職員らしからぬ男であった。二十代後半から三十代前半と思わしき姿であったがその威厳はとても市井の人間のそれではない。
「手荒な歓迎で申し訳ない。私はブライト・ヨハネス・フォン・ネーリング、名前を知っておられるなら有り難いが」
マーガレットの脳内で驚愕のけたたましいゴングが鳴り響いた。一瞬にして全ての事情を悟ったのである。ここまでの全てがリヒトホーフェン公の元へ先に伺うつもりであったマーガレットの行動を阻止し、自分へと引き合わせるための策謀であったと。
「閣下、では私は指揮に戻ります」
ヴェルトミュラーの言葉に若い公爵は頷いた。
「ご苦労、フロイライン」
一礼するとヴェルトミュラーは再び輸送船へと乗り込んだ。扉が閉まり、反重力エンジンが起動する。
「さて、このような無粋な場所で会談とは相応しくない。場所を変えさせていただきましょう」
飛び立つ輸送船の巻き起こす風に黄金色の長髪が巻き上げられ、思わずマーガレットは髪を手で押さえた。その間に脳内で素早く算盤を弾いていたのである。
リヒトホーフェン公と直接会ったとて、彼女の目的である講和の斡旋が果たされるとは限らない。しかし自ら彼女との会談を武力まで用いて設定しに来たネーリングは、彼なりの目的があって連邦の特使との会談を求めたのであろう。そうであれば彼女との利害とも一致するであろう。
「承知しました」
それだけ答え、全ての感情を外交官としての仮面の下にしまい込むと、マーガレットはネーリングの後に続いて車へと向かった。
マーガレットにとってもネーリングにとっても幸いと呼びうる結末となったであろう。
マーガレットの示した帝国とエリウスの講和を連邦が斡旋すると言う提案にネーリングは全面的に賛成した。更には他の公爵も講和の賛成派へと組み入れるための説得に同行することと、連邦国務省にエリウスと帝国の講和を仲介することを示す公文書を発行させることを提案し、マーガレットは無論これを承諾した。連邦国務省のバックアップがあるとあってはいかに選帝公と言えども反対はし辛いだろう。
その足で二人はリヒトホーフェン公の元へと赴くと、同様の内容を公爵に承諾させた。誓約書までも書かせたうえでネーリングとしてはこれによって帝国を講和へと導いた主導者としての地位を築くことができ、マーガレットからすれば仕事の半分はこれだけで達成できたようなものである。この先の五公会議でも、公爵が連邦政府のお墨付きの元で和平案を出し、五分の二が賛成したとあっては議論は一気に和平へと傾くだろう。
ただ、この際帝国と言う巨木の枝葉の事情がマーガレットの足元に勝利の果実を落としてきたようなものであり、この後マーガレットが本来の実力を発揮したのは大使館や本国国務省に向けて自身の活躍を課題報告することで自身の功績を最大化するための修辞と言う些か花も芸も無い仕事であったが。
ともかくマーガレットの初仕事は成功したのである。仮により有名で老獪な外交官であれば直接交渉に出向くことなどせず、地道に裏交渉を重ねたり、或は五公の間で不和を誘う工作を仕掛けたかもしれず、その意味ではマーガレットの無名性と若さが最速での結果を招来したとも言えよう。
これだけでもマーガレットにとってはお腹いっぱいであっただろうが、更なる出会いが彼女を待ち構えていた。
リンデン通りにおける保安局と反体制派の戦闘が夜になるまで続き、混乱の収拾のため正規軍が派遣された。首都駐留の地上軍や宇宙軍陸戦隊が現場周辺の警備に出動し、民間人の避難誘導や怪我人の救護、消火活動や混乱の中でのテロなど二次被害の警戒に当たる。第五軍団所属の部隊は現場にいち早く駆けつけ、直接指揮のために軍団長エルヴィンもこの現場へと到着していた。その仕事も後続部隊や警務省の公安警察の到着でひと段落付き、必要な仕事を終えてからエルヴィンは帰路についていた。
一人の女とすれ違った。長い黄金色の髪に橙色の瞳、その身長は彼の記憶にある女の姿と変わらない。
マーガレットもまた、若い軍人に懐かしい男の影を重ねていた。収まりの悪い銀の髪、暗闇でも目立つ群青の瞳。
すれ違った時、我慢できずに声をかけたのはマーガレットの方だった。
「あの!」
エルヴィンは足を止めて振り返った。
「マティアス・フォン・ゼッレと言う軍人を知っていらっしゃいますか?」
エルヴィンは答えなかった。答えられなかった。そしてそれが、何万の雄弁に勝る答えであった。
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