幕間劇

 統一銀河暦三三二年五月一日、帝国宇宙軍第五軍団は再編成後最初の大規模演習に出立する。

 アルフレート・フォン・フーバー中将の第九師団約一万四千隻、ブリュンヒルデ・フォン・ハインリッヒ中将の第十二師団約一万六千隻、ヴィルヘルム・ヨハネス・ジーメンス中将の第十四師団約一万五千隻、これに軍団司令部直下の護衛艦隊約千隻、輸送艦や工作艦、掃海母艦、通信支援艦など後方支援部隊約六千隻が加わり第五軍団総計は五二三七一隻、総兵員数は六七三二五六二人となる。数万もの艨艟の群れが漆黒の海を圧して進む威容は正しく大艦隊と言って差し支えの無いものであった。

 軍団は帝国宇宙軍の本拠地である第三惑星ルーメン上空に集結し、エストマルク星系内で一週間の大規模訓練を開始した。

 軍隊は単に兵員や装備の数だけを揃えれば良い訳ではない。それを訓練し、司令官の元で一丸となって有機的に行動できるように鍛え上げる必要がある。ことフーバーとブリュンヒルデ、若い指揮官たちは個性が強く、彼らの用兵術に適応した部隊へと作り変える必要があった。

 ブリュンヒルデは変わらず巡洋艦以下の高速艦艇だけで部隊を編成し、柔軟な隊形変更や常識外れな速度での部隊展開を可能とした。それは司令官ブリュンヒルデの艦隊運動手腕に加えて猛訓練で兵員たちの艦船運用技術が急上昇したこと、更に参謀長ブロンベルク准将ら有能な参謀たちによる調整能力の高さもあるだろう。

 フーバーは元より守勢に強いと言う評判があった。その評判に違わず訓練では素早い防衛隊形への移動、隙を作らない後退戦、更には敵に少しでも隙が見えればすぐに反撃するための指示から実行までのプロセスの迅速化など、部隊を自分の手足として動かせるように鍛え上げる。

 一方のジーメンスは他二人のような派手さは持たずとも、地道に麾下部隊の実力向上に努めた。第十四師団は彼が四年前に第七軍団に配属されていた時から彼の子飼いの部隊であり、今更特別なことをする必要もない。

 二週間に渡る訓練の中で各師団はそれぞれ実力を蓄積して行った。五月十四日、演習最後の日には模擬戦闘演習も行われ、この二週間の訓練の成果を見せた。

 この訓練は各師団レベルで行ったものであり、軍団長たるエルヴィンは大まかな方針を指示しただけでその運用に関しては参謀長ディートリンデ・フォン・マンハイム大佐に一任し、自らは通常通りの業務をこなしていた。ウンタ―作戦から帰投してすぐに第五軍団の再編が行われ、この演習に至るまでほぼ休みなしで勤務していた彼の疲労は大きく、誰も咎めようとはしなかった。


 エルヴィンの自宅は彼が上級大将と言う階級から得ている給与を考えれば信じられないほどに質素なものだった。決して貧民街に住んでいるわけではないが、大して広くも無いマンションの一室に、必要最低限の物品しか置かれていない。そのマンションの部屋も彼一人が使うには手持無沙汰なようで一室は空き部屋と化していると言う状況だった。

 それでもともすれば殺風景極まりない部屋が「質素で落ち着いた」と言う印象を与えるのは複数配置された観葉植物の存在ゆえであろう。無論、家主が考案した訳ではなく、彼の部屋の無個性ぶりに呆れたディートリンデがサボテンやテーブルヤシを持ち込んで部屋に緑を取り込んだのである。部屋の見栄えが良くなり、気に入ったエルヴィンはそれ以降自分の執務室や旗艦の私室の中にも植物を置くようになった。

 五月十四日、エルヴィンは帰宅すると、私服へと着替えて再び家を出た。マンションを出て下町へと向かう。キロ単位の高さの摩天楼の群れに囲まれた低層区画へと足を踏み入れると、人で賑わう繁華街だった。戦争のさ中であっても、直接戦果の及ばない帝都にもなればその市民生活が大きく変わるようなことは無い。日々労働し、得た賃金を生活費と貯金、投資に回し、残った僅かな金で遊びに出る。彼らにとっては衣食住が確保されればそれで良く、高尚な思想も政治的な権利もどうでも良いものであった。

 やや人通りが少ない場所へ入ると高級レストランやバーが並ぶ街区へと続く。エルヴィンはその内一軒のバーへと足を踏み入れた。

 ピアノソナタが流れる店内は暗めに抑えられた照明の元で平静な空気が充満し、上品と言って差し支えない空間である。カウンター席へと腰を下ろしたエルヴィンは、しばらくの間一人黙々とカリーブルストを供にビールを喉に延々と送り込み続けた。

 エルヴィンが愛飲家であると言うことを裏付ける資料が後世に残されているわけではない。しかし同時代の者たちの証言で、彼が酒を好んだことは伝えられている。ここまで軍人一筋としての生き方しか知らず、風流などと言うものにも一切縁が無かった彼でも、食に関しては好みが働いたようである。

 「隣、宜しいですかな」

 突然声をかけられたのはエルヴィンが三杯目のビールの水位を半分まで下げた時だった。聞き覚えのある声をエルヴィンは脳内で反芻し、記憶の図書館を走り回ったが、目的の本棚に辿り着くより先に振りむいて予期せぬ来訪者を視界に収めるほうが早かった。

 「ヴァイス長官…?」

 帝国保安局長官、フロイド・フォン・ヴァイス子爵であった。


 ガルト中央宇宙港はカイゼルブルクの中心区から西におよそ百キロほどの広大な土地を占めている。半径ニ十キロの巨大な円形の土地には無数の着床パッドや滑走路が設けられ、数千隻の民間船を停泊させることも可能だった。

 たとえ真夜中になろうとも帝都カイゼルブルクが闇に包まれることは無い。無数の建造物が光を放ち、まるで昼間かのように巨大都市を明るく染め上げるのである。その壮麗な夜景を見下ろすように、一機の民間旅客船が降下してD59パッドに着床した。

 接続された昇降用通路を他の民間人客に混じってマーガレット・パタークレーは通り、到着ロビーへと向かった。

 銀河連邦共和国から二十日ほどの旅路をえて銀河帝国帝都に辿り着いた彼女に課せられた使命は並のものではなかった。帝国の政府要人と接触して帝国を和平へと動かすなど容易にできることではない。

 しかし彼女に恐れはなかった。外交官としての自信が彼女の足取りを律動的で力強いものへと補強している。どのような戦場であっても、そこにチャンスがある限り、マーガレットは万難を排して挑むだろう。

 一国の国論を突き動かすなど外交官としては余りに大仕事であり、だからこそ成功すれば彼女の名声は嫌でも高まる。そうすれば各国の大使や国務長官と言った外交の重要役職の椅子も夢ではない。

 彼女を迎えに来た連邦大使館の車へと向かう途上、彼女は摩天楼がそびえ立つ帝都の夜空へと視線を向けた。

 エルヴィンも、今ここにいるのかな。

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