第三幕・次なる戦場へ
帝国宇宙軍参謀本部
銀河帝国宇宙軍参謀本部はその名前の通り帝国宇宙軍の参謀たちを統制し、帝国全軍の戦略を立案する部署である。実際の帝国全軍の指揮権は皇帝の代理として宇宙軍総司令官が執る。彼らに全軍の指揮統率の権限はないものの、各軍団、各師団の参謀を通じて全軍の作戦行動に対して強い影響力を持っていた。
現在の参謀本部の長は参謀本部総長ハウサー上級大将である。ハウサー侯爵家は五公の一人であるランズベルク公爵の元にあり、即ち門閥貴族の武官代表格とでも言うべき立場であった。しかし軍事卿マンスブルク元帥はロエスエル公爵の甥に当たり、彼の権威には抗い得ない。こと帝国宇宙軍においてはランズベルク公とロエスエル公の影響が強く、二つの家の勢力の派閥に彼らに対抗するほか貴族らの派閥、更に近年急速に影響力を拡大した平民や下級貴族出身の若手将校らの改革派派閥と大きく分けて四派に分かれている。改革派派閥は他省庁の官僚らとの連携を強め、門閥貴族と対抗しつつあった。
参謀本部内部における人事権はハウサーの手にはなく、軍事省人事局長シュトラッサ―中将の手にある。彼はマンスブルク同様ロエスエル公爵の配下にあり、参謀本部内においてハウサーが他の派閥の意向を無視した振る舞いはできない。とは言え五公同士で露骨な対立姿勢が存在するわけではなく、そもそも現在戦時中であり参謀本部としての機能に障害を出すわけにはいかない以上、現状は軍部内において派閥抗争は目に見えて活発なものではなかった。
しかしそれは貴族の内では、と言う話である。門閥貴族の影響力を削ごうとし、他省庁の官僚とも連携する改革派は無視できない勢力であった。彼らを権力で排除しようとしても、改革派の背後には反門閥貴族として利害が一致する宰相ボーデン侯爵がいる。
帝国軍部内においてはこうした激烈な派閥争いが繰り広げられ、誰が勝者たり得るかは見通せないものであった。
この日、ハウサーは参謀本部内の応接室にランズベルク公爵の訪問を受けていた。ハウサーにとっては自身の立場の守護者とも言うべき存在である。
ランズベルク公爵は保有する星系の数においてはヨッフェンベルク、リヒトホーフェン両公に次ぐ五公の中では三番目の勢力を持つ大貴族であり、特に帝国宇宙軍に対して大きな影響力を保持していた。この年五八歳、権力の絶頂期である。
「あのジークムントと言う男、随分と権威を拡大しているようではないか」
話の口火を切ったのはランズベルク公であった。
「この度上級大将に昇進し、今までは縮小編成であった部隊も拡大して大軍団になったそうだな。この次元帥に昇進すれば卿を超える強大な権威を持つことになる。さすれば卿が参謀本部総長の座を追い落とされることになるやもしれぬ」
「公爵閣下のご懸念はごもっともです。奴はリヒテンシュタイン元帥の実の息子。今回奴が上級大将となったのも、奴の軍団が拡充されたのもリヒテンシュタイン元帥の働きが大きかったと噂されております。あの親子が仮に手を組む、或は現状どの勢力にも近づいていない奴が改革派へと接近すると我々にとっては大きな不利益となりかねません。何しろ実戦部隊の統括は彼らですから、運用に対して私が口を出すことはできません」
宇宙軍総司令官リヒテンシュタイン元帥は武門の名家たるリヒテンシュタイン家の者であるが、リヒテンシュタイン家が今に至る不動の名家たり得た理由はどの貴族とも寄り付かない孤高の地位にあったためである。他のどの名家とも接近せず、帝室と国家の忠臣たろうとしたその態度がリヒテンシュタイン家を帝国内でも比類ない武門の家としての地位に着けた。伝統的に生まれた子供を無名の貴族家に養子に出して、リヒテンシュタイン家の権威を恃まずに軍人として成長させる方針を取っているが、その伝統を決して崩さない点にも称賛が寄せられることが多い。
「あの親子が軍部の実権を握ることはまずい。そうでなくても我々に敵対する可能性は捨てきれぬ。奴はあくまで下級貴族の身分故、改革派とか言う不逞な輩に接近する可能性もあるだろう」
彼らが認識せざるを得ないほど、改革派若手将校らの影響力は増大しつつあったということである。
「そこでだハウサー侯」
ランズベルク公は声を低くしてその身を乗り出した。
「ジークムントに何か大きな敗戦を経験させる、と言うのはいかがかな」
「と仰いますと?」
「彼は現在においては一部隊の指揮官にしか過ぎぬ。奴の軍団を単独で遠征に向かわせ、その情報を一部エリウスにリークして迎撃させる。いかにジークムントが己の知略を誇ろうと、倍の敵に包囲されるようなことがあれば手も足も出まい」
ハウサーは頷いた。
「なるほど、敵の力を以て奴の影響力の源泉を絶つと」
「もし奴が手持ちの軍団を壊滅させれば降格させることもできるし、戦死することがあれば願ったり叶ったりであろう」
「その通りですな。エリウスに奪われた失地の奪還と言うだけでも十分に奴を出征させる名目は立つ。外務省筋から情報をリークすることも可能です。後はリヒテンシュタイン元帥から余計な横槍が入らないかですが…」
ランズベルク公は最高級品種の豆で淹れられたコーヒーが注がれたカップを持ち上げた。
「問題はあるまい。武人の誉れ高いリヒテンシュタインのこと、例え血を分けた子供でも何の成果も上げずに元帥に昇進させるようなことはさせまい。この遠征がジークムントにとっての試金石であると説けば納得するのではないかな」
「確かに…」
公爵は空のカップをテーブルに静かに戻した。
「これ以上ジークムントをのさばらせるわけにはいかんのだ。それは卿も分かっておることであろう」
上級大将に過ぎないハウサーにとって、自分より三十歳は年下の下級貴族が自分より先に元帥へと昇進すると言うことは、理性でも感情でも許容できるものではない。自分に害を及ぼすことなく目の敵を排除できるなら、躊躇する理由は無かった。
「御意」
公爵が辞去すると、すぐにハウサーは参謀本部次長シュタイン大将を呼び出した。彼の遠大なる策謀を実行するためであった。
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