五選帝公
銀河帝国の首都星系エストマルク星系の第三惑星ルーメン。銀河帝国軍宇宙艦隊の本拠地となっている惑星である。通常本国に駐留する部隊の大半はこの岩石惑星上に無数に存在するドックに着床するのである。
数瞬前まで何もなかった空間に突如として全長が二キロを超える宇宙船が姿を現した。恒星エストマルクの光を浴びて、帝国軍特有の曲線を帯びた滑らかな造形の船体が銀色に輝く。周囲には同じ形の大型船や、より小型の船も同じくジャンプアウトし、一万隻を優に超える船が数秒にして何もない空間から出現した。
銀河帝国宇宙艦隊の象徴ともいえるカイザー級一等戦列艦が何千隻も列を成し、その周囲をニュルンベルク級二等戦列艦やデーニッツ級フリゲートらの中小艦艇が固める。カイザー級戦艦ザイドリッツ。帝国軍第五軍団の旗艦である。艦隊の他の艦が眼下の惑星ルーメンへと降下していく中で、ザイドリッツは二隻のフリゲートに護衛されて正面に見える惑星へとまっすぐ突き進んだ。
大気が無い岩石惑星であるルーメンとは違い、海と緑の大地に地表が覆われたエストマルク星系第二惑星ガルト。ザイドリッツと二隻の護衛艦は速度を落とさず第二惑星へと向かった。
近づくにつれ、周囲を航行する船舶の数が増えた。帝国軍の軍艦から帝国保安局や警務省所属の巡視船やパトロール船、民間の貨物船や旅客船など様々な船がひっきりなしに行きかう。帝都星ブラウメンは帝国全ての星の中でも最も交通量の多い惑星であった。
巨大な巨大戦艦はブラウメンの大気圏へと降下した。眼下には広大な大地と、それ以上に広大な海が広がっている。数万メートルの上空からでも確認できるほどに巨大な都市が、惑星ガルトの中でも最大の都市カイゼルブルクであった。南北二千キロ、東西三千キロにもなる帝国のみならず銀河でも屈指のメガポリスである。
地表に近づくにつれ、より巨大都市のシルエットはくっきりと見えるものとなった。十キロ以上の長さを持つ高層ビル、巨大な浮遊プラットフォーム、その間を飛び回る宇宙船やスカイカーの群れ…その中でもひときわ目立つのが直径十二キロにもなる半球形の建造物である。
ザイドリッツは半球状の建造物へと向かった。道を開けるかのように半球の表面の巨大なハッチの一つがゆっくりと開き、半球で覆われた内部のドックが姿を現す。この無機質な半球こそが銀河帝国軍事省と帝国宇宙軍参謀本部に地上軍参謀本部、宇宙艦隊と帝国地上軍の総司令部等の帝国軍の中心機関が一つに収まった帝国軍本部施設ヴェアヴォルフである。ザイドリッツはドックへと着床し、通路が接続されタラップが降りた。
第五軍団長エルヴィン・フォン・ジークムント大将はタラップを降りた場所に立つ場違いな服装の男を目に留めた。王宮職員であることを示す紫を基調とした制服であり、エルヴィンが地上へと降り立つと恭しく一礼した。
「皇帝陛下が閣下のことをお待ちでいらっしゃいます。どうぞこちらへ」
職員が示した先には王宮から差し向けられた一台のスカイカーが駐車している。
皇帝直々の呼び出しを無視できるような臣下は銀河帝国広しといえども存在しない。エルヴィンは頷くと、職員の後に続いてスカイカーへと向かった。
銀河帝国帝都星ガルト最大の都市カイゼルブルク。そこから向かって北にあるシュピッツェ山地の中にガルト宮殿は建っている。カイゼルブルクの高層ビルと同じ国の建物とは思えないほどに古い建築方式で形作られた石造りの宮殿であった。
大小数百の建造物、庭園、噴水、人工林が並び、帝国の威厳を視覚的に暗示している。二〇平方キロメートルの広大なこの宮殿こそが、人類社会を二分する大帝国、ローゼンベルク朝銀河帝国の政治的な中枢であった。
宮殿の中に「水の間」と名前の付けられた部屋がある。帝国には共和国のような議会は存在しない皇帝権力による専制国家であったが、皇帝一人ですべての政治を回しているわけではない。銀河帝国の権威を支える貴族階級の内、皇帝を選挙する権利を持つ強大な五人の公爵、いわゆる「五選帝公」の会議が行われる部屋である。
皇帝フリードリヒ・ヴィルヘルム二世は貴族税の増税や一部荘園の没収、貴族私兵の廃止などの手段を用いて、膨張した貴族の権力を抑えようと試みた。だが大貴族たちはこれに猛反発し、大貴族たちの私兵により皇帝は退位を強要され、貴族たちによってまだ三歳のフリードリヒ二世が立てられる事態にまで発展する。法律の制定や増税、貴族に関する政策、閣僚の任免などに関しては五公の了承を得なければならないと言うこととなった。以降大貴族が一層政治的な力を持つようになり、皇帝や宰相は貴族に配慮した政策運営に頭を悩ませることとなる。
水の間の厚い扉が重々しく開き、中から流れ出す油のように参加者が出てきた。一番前を歩いているのは五公の中でも最大の実力を持ったマンフレート・フォン・ヨッフェンベルク公爵である。彼の親族、配下の貴族も含めて五十以上の星系を支配し、現在の財務郷フリードリヒ・フォン・グライフ子爵や文部郷ヨハン・フォン・フォイエルバッハ伯爵も彼の手の内の者であった。他にもリヒトホーフェン公爵、ランズベルク公爵、ロエスエル公爵、帝国宰相ボーデン伯爵ら帝国最大級の実力者らと共に彼らの中ではひときわ若い男も現れた。
今年二七歳のブライト・ヨハネス・フォン・ネーリング公爵。親族や配下の貴族を含め二九の星系を荘園として支配する大貴族である。他の公爵らと比べても二十代という年齢はかなり若いといえた。
他の出席者の後に続いて宮殿の壮麗な大廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「公爵閣下」
そこに立っていたのは帝国保安局長官フロイド・フォン・ヴァイス子爵であった。細い身体に病的なまでに白い肌、落ち窪んだ眼窩の中で黄色い瞳だけがギラギラと輝いている。任務に対する異常なまでの執念と高い情報収集能力、目的のために手段を択ばない残忍さで帝国の闇の一側面を象徴する帝国保安局の長官まで上り詰めた彼は今年四三歳、まだ若いがネーリングの秘かな支援を受けてこの地位を手に入れた身である。ネーリングからすればそれほどにこのヴァイスと言う男に利用価値があったのだ。
帝国内務省の配下にある帝国保安局の職権は帝国内部における敵性分子や不穏分子の摘発、占領地の治安維持など、いわば秘密警察としての役割を持つが、その性格上捜査や情報収集の範囲は国外にも及ぶ。帝国軍には諜報機関として軍事省配下の中央情報部があるが、情報部の担当する範囲は周辺諸国のみならず国内の不穏分子も含む。ゆえに帝国保安局や、警察機構を掌握する警務省と職権が被るのである。当然のごとくこの三者は互いにライバル関係にあり、所轄や予算を巡って激しい縄張り争いを繰り広げていた。
「どうした?」
ネーリングの問いにヴァイスは手に持つ紙を差し出した。
「こちらは機密情報となりますゆえ紙面で失礼いたします。連邦内部でどうやら我が国とエリウスの講和を斡旋する動きがあるようです」
ネーリングは受け取った紙を見た。
「特使の名前はマーガレット・パタークレーだと?聞いたことがないな」
「調査したところまだ二十代前半の若者だそうです。ですがジョン・マクラカン大学を主席卒業し、大統領に直接任命される程ですから、侮れる存在ではありませんな。非公式の特使として来訪し、恐らくは内部工作で五公会議を動かすつもりかと」
若い公爵は紙を細長い指で叩いた。
「この者を上手く利用すれば私が五公会議の主導権を握り、講和へと論を動かすことができるかもしれない。情報収集と監視を怠るな。何かあればすぐに私に報告しろ」
「はっ!」
ヴァイスは深々と頭を下げた。ネーリングは紙を懐にしまって立ち去っていく。その彼とすれ違うようにして、一人の男が歩いてきた。
「これはエルヴィン・フォン・ジークムント提督。長期の征旅よりお戻りで」
銀髪の青年は足を止め、表情を固めた。
彼は政治の世界に深く関わってはいないが、それでもこの帝国保安局長官の名前は知っている。直接声を掛けられ、嫌でも身構えざるを得ない。
何よりその落ち窪んだ眼窩や射貫くような眼光を目にして率直な好感など持ちようがないものであった。
「皇帝陛下のご威光の賜物でございます」
当たり障りのない返答でエルヴィンはこの場を収めることにした。
「そのお年で戦果を重ねて大将、恐らくは今回の出征で上級大将ですかな?とにかくにも注目されるべき才能だ。閣下のご活躍を私も楽しみにしております」
エルヴィンは無理矢理表情筋を動かして愛想笑いを作ろうと努力した。
「ありがとうございます。閣下こそ内国の安全保障を担われる重要な役割、更なるご活躍を祈念しております」
「そういえば、本日はどうしてこちらに?」
「陛下の下へのお招きに与った次第でございます。これから参内するところです」
ヴァイスは微笑を浮かべた。微笑と言ってもそれは微笑と名付けられた絵画を貼っているだけのような違和感をもたらすだけで、エルヴィンはこの場を早く去りたい衝動に駆られた。もし下手なことを口走って粛清リストに加えられてはたまったものではない。
「そうですか。それはお声掛けしてお邪魔致しました。それでは私はこれで」
しかしヴァイスは想像を絶するほどあっさりと立ち去って行った。思わずエルヴィンはこの一分にも満たぬ会話を思い出し、自分の発言に何か問題がなかったか振り返ったほどである。無論問題となるべき会話が出たはずもなく、取り合えず安堵してエルヴィンは謁見の間への歩みを再開した。
ヴァイスがエルヴィンと別れて廊下を曲がると、一人の部下が立っていた。表情の無さは上司のそれを受け継いだのか本人の生まれつきか、とにかくにも一般市民の視点から見れば不気味なことこの上ない。
「エルヴィン・フォン・ジークムント、彼について情報を集めろ。何かしらの利用価値があるかもしれない」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます